「大和くんが好きです。付き合ってください!」
「……ごめん」
 すすり泣くあまり知らない少女を慰めるのも違う気がして、そのまま背を向けて教室に戻った。
 高校生になってから、告白されることが増えた。
 入学して三か月ほど。既に十回は告白されていると思う。
 別に、顔は普通だと思う。
 でも身長は中学校で一気に伸びて、もうすぐ180cmを超えそうだった。
 それに加えてサッカー部でもそこそこ活躍しているから、それが理由かもしれない。
 夏休みも目前となると、周りでもカップルになる人が増えてくる。
 そうなると、特有の恋愛ムードがクラスに漂い始める。
 恋人を作らなきゃ、という焦りをみんなが持つのだ。彼女たちも、それに浮かれて告白してきただけだと思う。

「またフったんだって?」
 部活の練習が終わり、ストレッチしながら駄弁っている時だった。
 どこからか情報を仕入れてきた友人が、からかってくる。
「いいよなぁ、イケメンは選び放題で。俺も彼女欲しいわ」
 選び放題。その言葉は、選ぶ気のない場合も適用されるのだろうか。
 数回話しただけのクラスメイトや、部活のマネージャー、他クラスの見知らぬ子、二年生の先輩。
 彼女たちが言う「好き」という言葉の意味が、あまり理解できないでいた。
 誰でもいいんじゃないか、と思うほどだ。
 彼女たちだって、きっとわかっていないに違いない。
 恋。世の中にありふれた言葉だけど、具体的な形があるわけではない。
 他人からは見えないし、見せることもできない。
「なんで彼女作らないんだっけ?」
「興味ないから」
「嘘つけよ。健全な男子高校生が女の子に興味ないなんてありえないって。あ、わかった」
 友人がぽん、と手を叩いて、ニヤニヤと口角を上げた。
「他に好きな子がいるとか?」
 まったく、誰もが恋愛で生きているわけじゃないのに。
 俺が呆れて黙ると、友人は調子づいて言葉を続けた。
「筒井大和が告白を断り続ける衝撃の理由! それは地元で待つ、結婚の約束をした幼馴染が――」
「帰る」
 なぜかニュース風に語りだした友人を放置して、俺はスクールバッグを肩にかけた。
「あ、待って。適当なこと言ってごめんって。それか、もしかして図星?」
 図星なわけ、ない。
 俺は脳裏に浮かんだ少女の顔を振り払って、そのまま帰宅した。

 伊勢愛歌のことは忘れようと思った。
 たかが、小学校の時に仲良かっただけの女の子だ。あれから随分と時間が経っているし、それぞれ違う人生を歩んでいる。
 向こうだって、勝手に俺に思い出されても迷惑だろう。
 ぶっちゃけ、キモイと思う。
 彼女のほうは俺のことなんて、とうに忘れているだろうし。
 そう思っているのに忘れられないのは、あの日々が、自分が思っているよりも輝かしい記憶だから。
 それと、ことあるごとに母親が話題に出すからだった。
「愛歌ちゃん、成績良いらしいわよ~。進学校なのにすごいわよね」
 夕食を食べながら、思い出したように母親が言った。
 ご近所コミュニティで仕入れた噂話を食卓で披露するのが、母親の趣味の一つだった。色々知っている私すごい、といったところか。
 俺のことはどんな風に噂されているのか。そう思うと憂鬱になる。
 昔はこの辺りに住んでいて、一度出たあと少し離れた市内に帰ってきた伊勢愛歌のことも、ホットな話題の一つらしかった。
 彼女は、市内の特進コースのある女子校に入学したらしい。もちろん、母親からの情報だ。
 そこは、県内でもトップクラスの女子校で、入学しただけでもかなりの学力だ。
 さすが、負けず嫌いな努力家なだけある。
「大和も昔は一緒に勉強してたのに、なんでこんなに差が開いちゃったのかしら」
 噂話のあとは俺と比較して、もっと頑張れと言ってくるのがいつもの流れだった。
 子どものころからそうだったから、慣れたものだ。
 でも、愛歌と比べられた時だけは、少しだけムッとする。
 彼女との勝ち負けは、俺にとって大事なことだからだ。負けるのも嫌だし、それを他人から言われるのはもっとムカつく。
「サッカーは俺のほうが上手いと思うよ」
「なに言ってるの。愛歌ちゃんは女の子なんだから当たり前でしょ」
 そんなことない。愛歌は、スポーツだって男に負けないくらいできた。
 相手は男だから負けて当たり前、なんて言うタイプではない。
「自分ができることだけ誇るのはやめなさい。佐々木さんの息子さんなんて……」
 母親こそ、俺が誰かより劣っている部分だけを上げ連ねて、誰々のほうがすごい、誰々はもっと頑張っているなどと言ってくる。
 どんな分野でも一番なんて、そんな超人になれるわけないのに。
「ごちそうさま」
「食器くらい運びなさい」
 食器なら既に手に持っている。
 反論する代わりに聞こえないくらい小さくため息をついて、食器をしっかり洗ってから、階段を上がった。
「まったく、洗うならフライパンも洗ってくれてもいいのに」
 そんな声を聞きながら、二階にある自室に入る。
 このままリビングにいたら、やれ進路はどうするのか、やれ彼女はできたのか、などと話が展開していくのは分かり切っている。
 これ以上イライラする前に、ベッドに倒れ込んだ。
 一番苛立つのは、母の口から愛歌の名前が出ることだ。
 彼女が優秀なことなんて、俺が誰よりも知っているのに。
 愛歌が神奈川に帰ってきてから、結局、一度も会っていない。
 会わない理由があるわけではなかった。ただ、会う理由がなかった。
 部活が忙しいのもある。
 うちのサッカー部は地区大会でいいところまで行けるくらいには強かったから、練習もそれなりに多い。
 ……もちろん、それは言い訳だ。休みがまったくないわけじゃない。
 でも、その言い訳を突破できるほどの、会う口実がなかった。
 会いたいと、心のどこかでは思っているのに。
 どうせなら、引っ越し祝いにでも行けばよかったか。
 後回しにすればするほど、会うためのハードルは上がり続けていく。
 気づけば見上げるほどの高さになっていて、高跳びの棒でもなければ届きそうになかった。
 あるいは、跳び箱のように、忙しいから、ただの幼馴染だから、などと理由をつけるたびに段数が増えていった。
 会う口実という名のジャンプ台と、会いたい気持ちという助走の二つが揃わなければ、それを跳び越えることはできない、
 小学校の頃は、一段とか二段とか、助走もいらないくらい低かったのに。
 そういえば、高校の授業では跳び箱がない。
 きっと俺は一生、高い跳び箱に挑戦することなく、人生を終えるのだろう。
 跳べるか跳べないか。それを試すことなく、目を逸らしながら。

 伊勢愛歌と会わないまま、秋になった。
 学校生活はそれなりに充実していた。
 試合にも出させてもらえて活躍したし、気の良い友人に囲まれ、楽しく日々を過ごしている。
 不満はほとんどなかった。
 それでもどこか物足りなく感じてしまうのは、友人の言うように、恋人がいないからか。
 漠然とした不足感を覚えながらも、どうしても彼女を作る気にはなれなかった。
「大和、今日オフじゃん? 放課後空いてる?」
 昼休み、サッカー部の友人がわざわざ俺のクラスにやってきて、そう言ってきた。
「まあ、空いてる」
「よっしゃ。じゃあカラオケ行こうぜ!」
「いいよ」
 部活でも会ってオフでも会うのか、とちょっと思った。
 でも他に予定もないし、彼はやや鬱陶しいのが玉に瑕だが一緒にいて楽しい友人だ。断る理由はなかった。
「言ったな? 言質取ったからな?」
「は?」
「いやー、実は他校の女の子が来るんだよな。緩めの合コン的な? 大和、いつもこういうの来てくれないからな~」
「聞いてない。それなら行かない」
「いいじゃん、大和がいると女の子の反応全然違うんだよ。頼む!」
 騙す気なら直前まで明かさなければいいと思うのだが、馬鹿正直に告げるのが彼の良いところで憎めないところだった。
 一度行くと言ってしまったのと、わざとらしい泣き落としが鬱陶しかったので、仕方なく参加することにした。
「可愛い子が多いって有名な学校だし、大和の彼女もきっと見つかるって」
 そんな説明とともに友人が言った学校は、聞き覚えのある女子校だった。
 愛歌が通っている学校だ。

 もう一人誘っていたようで、俺たちはサッカー部三人で制服のままターミナル駅で降りた。
「一人は同じ予備校の子なんだけどな。三体三であそぼーって」
 友人が得意気にそう言った。
 彼女と別れて一か月ほどのはずだが、随分と切り替えが早いようだ。
 サッカー部に休みなく参加しながら予備校にも週二で行っているらしく、どこからその元気が出るのかと秘訣を教えてほしいくらいだった。
 待ち合わせ場所に向かうと、そこには二人の少女が待っていた。
 彼女らもやはり制服姿で、一人が俺たち(正確には唯一の知り合いである友人)を見つけて手を振った。
「やばくね? 二人とも可愛いよな?」
 手を振り返しながら、友人が俺たちに囁いた。
 たしかに、見た目は整っているし、垢ぬけている。俺には、興味のないことだけど。
「こんにちは~」
 少女の明るい挨拶とともに、軽く自己紹介が始まる。
 予め考えてきたであろうやけに気合の入った友人の自己紹介を聞き流して、俺の番が回ってきた。
「筒井大和」
 短く、名前だけ告げる。
「ごめんごめん、こいつ人見知りなんだよ。慣れれば話すと思うから」
 ぶっきらぼうな俺の様子に焦ったのか、友人が隣でフォローする。
「てか、ちょっと無理やり連れてきたから怒ってるぽい」
 冗談めかして、女性陣の笑いを取っていた。
「わかる~。こっちももう一人いるんだけど、急遽お願いしたから遅れてて」
「私たちも結構強引だったよね」
「あの子、あんまりこういうの来たがらないから」
 少女の一人が、スマホを耳に当てた。
「あ、駅ついた? 場所わかる?」
 もう一人の参加者と通話しているようだ。
 彼女は集合場所までの道程を早口で伝えると、通話を切った。
「あいか、もうすぐ着くって」
 スマホをカバンにしまいながら、彼女は言った。
「あい……か……?」
「え、うん。伊勢愛歌。知り合い?」
 俺が名前を繰り返したのを見て、少女が怪訝な顔をする。
 名前だけだったら、別人の可能性もあった。
 しかし、高校とフルネームまで同じとなると、もう彼女以外ありえない。
「帰る」
「は? おい! 大和、どうしたんだよ」
「俺抜きで楽しんでくれ」
 引き留める友人を置いて、俺はその場を去った。
 なんで逃げたのか、自分でもわからない。
 高い跳び箱に隠されていたはずなのに、跳ばずに横をすり抜けていってしまったような気持ちになったのだ。
 向こう側に行くことだけが目的じゃない。
 そのまま家に帰り、友人に謝罪のメッセージを入れた。
 理由はどうあれ、彼の厚意を裏切ってしまったのは間違いない。
 すぐに、通知音が鳴る。
 しかし、彼からの返信ではなかった。
『いせあいか があなたを友達に追加しました』
 動悸が激しくなる。
 喉から耳にかけて熱い油でも流し込まれたように、重たくじんじんと熱を持った。
 また、通知音が鳴る。
 恐る恐る待ち受け画面を見ると、友人からのメッセージだった。
『謝るなら俺じゃなくて愛歌ちゃんに謝れ』
 そんな意図で、俺の連絡先を教えたらしい。
 彼は、どこまで知っているのだろうか。俺と愛歌が知り合いだということは、きっと愛歌が話しただろう。
 そう思うと、無性に恥ずかしくなった。
 しかし、彼の言うとおりここまで来て、連絡をしないほうが不自然かもしれない。
 俺は震える手で、愛歌を友達に追加する。
 しかし、なにを送ればいいのだろうか。
 約五年ぶりのやり取りに相応しいメッセージは、一晩考えても思い浮かばなかった。

 なんの連絡もできないまま、気づけば冬になっていた。
 友達欄には、伊勢愛歌の名前がずっと残っている。しかし、彼女から連絡が来ることもなかった。
 夕焼けをバックに影だけ映したアイコンと、ケーキの写真のホーム画像は毎日のように見た。ホーム画像は最近食べたものに変えているのか、何度か変わっている。だから、ブロックはされていないと思う。
 ジャンプ台だけ設置されただけだ。
 跳び箱から落下するのが怖くて、ゆっくりと助走して軽くジャンプ、手だけついてすぐ降りる。そんな状態。
 飛び越えるには、勇気も必要だったらしい。
「おい大和。結局、一度も来てくれないよな」
 あれから月に一、二回は遊んでいるという友人が、責めるような口調で言ってきた。
「愛歌ちゃんも来ないしさ。お前ら、昔なんかあったの?」
「なんもないよ」
「じゃあなんで二人とも、詳しいこと話してくれないんだよ」
「人に話すようなことはなにもない」
 そう、なにも。
 昔付き合っていたとか、喧嘩別れしたとか、友人が面白がるようなことはなにもない。
 劇的ななにかがあったわけではない。
 幼い頃一緒に遊んでいて、年齢が上がって疎遠になった。ただそれだけの、どこにでもある話だ。
「なんだ、つまんねえの」
 友人はすぐに飽きたのか、最近できたという彼女の話を始めた。
 そう、カラオケを主催した同じ予備校の子と付き合い始めたらしい。
「クリスマスは俺もあいつも部活だからなぁ。でも、初詣は一緒に行くことにした」
「そうなんだ」
「おう。鶴岡八幡宮だけど、一緒に来る?」
 この辺りで、いや神奈川県全体で見てもトップクラスに有名な神社だ。
 市外からも人が押し寄せるから、相当な混雑になる。
 いつでも行けるのにわざわざ新年に行くなんて、物好きだなと思った。
「行かない」
「だよな。二人きりの時間を邪魔しないでくれ」
「じゃあなんで誘ったんだよ」
「自慢したかった」
 はいはいよかったね、と適当に流した。
 初詣。俺は今年も、家族といつもの小さな神社に行くだろう。
 伊勢愛歌は、来るのだろうか。

 冬休みに入った。
 二十九日までみっちり練習だったから、大晦日が近づいてようやく休みになった。
 俺たちより、顧問の先生が可哀そうだ。
「せっかく時間があるんだから勉強しなさい。いい大学を目指す子は、一年生から勉強してるんだから」
 勉強の合間に間食を取りにいったら、炬燵で寝転がる母からそんなことを言われた。
 顔を見たら小言を言わないと気が済まないタチだ。レパートリーは少ないので、いつも同じことを言われている。
 とっくに勉強を開始している俺は、冷蔵庫からコーヒー味の豆乳を取り出して、直接口に注いだ。
 テレビで見た健康法を実践してはすぐ飽きる母の今のブームは豆乳らしい。ただ普通の豆乳では美味しくないと、味のついているものを買ってきた。それで本当に意味があるのだろうか。
 俺としては美味しいからいいんだけど。
 部屋に戻り、勉強を再開してもどうにも集中できなかった。
 ついスマホを開いてしまう。
 ロックを外すと、閉じていなかったメッセージアプリが画面に映し出された。
 集中できない理由はわかっている。
 目前に控えた、初詣だ。
 愛歌が引っ越すまで、初詣で身長を比べ合うのが毎年の恒例行事だった。
 今も、神社の井戸にはその跡が刻まれている。
 だから俺にとって初詣は、懐かしい記憶と結び付けられているものだった。
 今までなら、ふと思い出してノスタルジーに浸るくらいだった。
 でも、今年は近くに愛歌がいる。
 もしかしたら、初詣に来るかも……。そう、期待している俺がいた。
 いや、来ない可能性のほうが高いと思う。
 だって、わざわざ一月四日に、おみくじもないような小さな神社で初詣をするのはこの辺のご近所コミュニティだけだ。
 新年の顔合わせのロケーションとして選ばれているだけに過ぎず、別の地域からわざわざ来るほどの場所じゃない。
 普通に考えたら、市内とはいえやや離れた場所に住む愛歌が来るとは思えない。
「そうだ。来るわけない。だから、気にする必要なんて……」
 呼んだら、来てくれるかもしれない。
 でも、なんて誘えばいいというのか。
 それはドタキャンの謝罪を送るよりも、難しい。
 しかし……あの井戸の前が、再会の場所としては一番相応しい気がした。
「あっ……」
 井戸のことを考えていたら、一つ、思い出したことがあった。
 そういえばまだ、背比べで勝っていない。
 愛歌に勝ち逃げされたままだ。
 負けたままでいいわけがない。そうだろ。
 俺は意を決して、愛歌とのトーク画面を開いた。
 長いメッセージはいらない。きっと、これだけで伝わるはずだから。
 送ってすぐに、返信が来た。

『今だったら勝てると思うんだけど』
『髪の長さなら私の勝ち確定だね』

 初詣の日になった。
 当然、一月四日だ。
「今年も正月太りが大変ねえ」
「ほんとうに」
 母が雑談を始めたのを尻目に、俺はまっすぐあの場所に向かった。
 そこには、一人の髪の長い少女がいた。
「俺の圧勝だな」
「そうかな。線を引いてみないとわからないよ」
「あいにく、井戸のほうが低いからもう線は引けないみたいだ」
「じゃあ、私の勝ち逃げだ」
 相変わらず、負けず嫌いらしい。
「もう一個、私が勝ったことがあるんだ」
「髪の長さ?」
「それもだけど、大和からラインしたでしょ」
「先に連絡したほうが負けなんだ」
「そうだよ」
 だって、私も送るか悩んでたから――そう言って、伊勢愛歌はあの頃と同じように笑った。