放課後の始まりを告げる鐘がスピーカーから鳴り、1日終了のお知らせが校内に響き渡る。

 授業中で静かだったはずの校内が、嘘だったかのようだ。

 鐘が聞こえたと同時に教室を抜けて、遊びに出かける者。部活の準備をせっせとしている者。誰かの机に集まって雑談を交わす者たち。

 皆が様々な行動を取り、それぞれの放課後を過ごしている。数秒前までは、皆が同じことをしていたのに、一瞬で変わってしまうのは見ていて面白い。

 そんな私も皆と同様に、リュックを背負い図書委員の仕事先である図書室へと向かう。

 今日1日ずっと放課後のことで頭がいっぱいだった。今日の授業を思い出すことが難しいほど、先生には申し訳ないが授業中は上の空だった気がする。

 気付けば授業が終了していたというのが、いくつかあった。おかげで今日のノートの板書の写し書きは穴だらけ。

 浮かれ具合が目に見えた形になってしまい、羞恥心が込み上げてくる。

 廊下ですれ違う同級生たちの目に私がどんな顔で写っているのか気になる。もしかすると、頬を赤らめて歩いているのかもしれない。

 もし、そうだとしたら恥ずかしくて消えてしまいたい。先輩に見られでもしたら、穴に入りたい。

 もちろん、先輩がこの階にいることなんてあるわけな...

『きゃー!!』

 何重にも重なった黄色い歓声が後方から聞こえてくる。嫌な予感が頭をよぎる。お願いします...予感が当たりませんように。

「小野さん」

 あぁ、だめだ。悪い予感が当たってしまった。

 振り向いたら私の後ろにいるであろう先輩。それでも、私はここで振り返ってはいけない。

 学校1の人気者である先輩とクラスでさえ目立たない存在の私が、接点を持っているなんて他の女子たちに知られたらどんな目に遭うかわからない。

 今はいじめられていなくとも、これがきっかけでいじめに発展することだってあるかもしれない。

 幸い先輩の声は他の人には聞こえていなかったらしく、先輩に声をかけようと私にぶつかったことなどお構いなしに通り過ぎていく女たち。

 ぶつかった肩が少し重く感じるが、今はこの場から一刻も早く離れることが先決。

 痛みなど忘れ、小走りで女子たちが作る波とは反対方向へと進む。背後にチラッと見えた先輩の顔が、悲しそうに見えたのは幻覚だろうか。

 すぐさま先輩の姿は溢れかえる女子たちの後頭部で埋め尽くされてしまった。

 胸に刺さる棘の痛みを抑えながら、私は1人寂しく図書室へと歩みを進めた。自分で逃げておいたのに、悲しみを覚えるなんて最低なやつだ。

 当然ながら、図書室には誰もいなかった。きっと今日は誰も来ないだろう。先輩もあの様子では、抜け出すのも一苦労に違いない。

 図書カウンターに荷物を置いて、先輩と約束をしていた万葉集を指定された場所に置いてある本棚から抜き取る。

 昨日と同じ万葉集を手に取り、カウンターへと戻る。ついでに、室内が埃ぽかったので腕が通るくらいの窓を開ける。

 ひんやりとした涼しげな空気が隙間から入り込む。肌を掠める空気が室内を循環する。

 少しだけ息が吸いやすくなった室内。本たちも息が吸いやすくなっただろう。

 埃に囲まれて誰にも読まれず、ひっそりと過ごすよりは幾分かマシに違いない。

 カウンターに設けられた図書委員専用の椅子に腰掛ける。教室に置かれた木の椅子とは違い、クッション性のある椅子。

 長時間座っていることを考慮されてこの椅子になったらしいが、正直クッション性になっても長時間座っているとお尻が痛くなるのは変わらない。

「はぁ〜」

 昨日に引き続きため息が口からこぼれ落ちる。昨日よりもさらに幸せが逃げ去っていきそうなため息。

 原因はもちろん先輩のことしかない。申し訳ないことをしてしまった。

「昨日約束したけど、絶対来てくれないよね」

 手元にある万葉集を開く気分にもなれず、後悔の念だけが募る。

 返事をしたらよかったかもしれない。でも、返事をしたらと思うと怖くて仕方がない。

 先輩が人気でもなく、容姿も一際目を惹く見た目をしていなければ、私だって返事をすることはできた。

 だが、私が恋をしている先輩は校内1のイケメンで文武両道。まさに少女漫画にも出てきそうな王子様なのだ。

 なんでも高校3年生の全国模試では一桁台。既に引退してしまったが、現役時代のサッカー部ではキャプテンを務め、初の県大会優勝。全国大会への切符を手にしていた。

 もはや、ここまでくると現実に存在しているかすら疑わしい。

 中学の同級生にでも話したら、間違いなく話を盛っていると思われてしまうだろう。

 完璧すぎるが故に、彼に纏わりつく女子たちが多いのは否めない。私も周りの女子からすると、その1人なのだろうが...

 ガラッと勢いよく開いた扉に思わず、期待をしてしまった。先輩が来てくれた...と思ったが、図書室に来たのは図書委員会の顧問だった。

 勝手に期待していた分、落胆は計りしてないほど大きなものとなって私に襲いかかってきた。

 窓から流れてくる冷たい風が、私の背筋を凍らすように撫でていった。