あなたのことが好きと言いたい。でも、恥ずかしくて伝えることができない。

「はぁ〜」

 口からこぼれ落ちるため息の大きさで、手元の本のページが捲られていく。

 室内に設置されたエアコンの風で、窓際に取り付けられている白いレース状のカーテンが微かに揺れる。

 揺れるたびにカーテンの隙間から差し込む夕焼け。室内に差し込まれた夕焼けの光によって浮き彫りにされる埃たち。

 埃が宙を舞い、古っぽさが露わになるこの場所が私は好きだ。

 多くの本に囲まれ、校内の中で最も静かで、尚且つ知識に溢れている宝物庫。それが、図書室。

 近頃は読書をする若者の数が格段に減少したせいか、図書室で本を読む目的で訪れる生徒の数は年々右肩下がり。

 誰か来たと思っても、読書をしに来たのではないのは一目瞭然。手にごっそりと抱えられた勉強道具を見ては、落胆してしまう自分がいる。

 勉強目的で図書室を利用するのは、否定はしない。でも、本来の図書室のあるべき姿ではないような気がして止まない。

 "ガラガラ"

 昔ながらの教室に立てかけられた古びた扉が、音を立ててゆっくりと開かれる。

 今日もまた図書室に誰かがやってきた。誰であろうと、私には関係ないのだけれど、ついつい誰が来たのか気になってしまう。

 私が図書委員になってから、放課後の図書室に訪れる生徒は基本的に0なのだ。テスト期間が近づくと、5人くらいに増えるが、それでもまだ一桁台。

 さて、今日は一体誰が来たのだろうか。図書委員だけが座れる貸出用のカウンターに備え付けられている椅子に座り、入口から入室してくる人物に目を向ける。

 皺一つない学ランに身を包み、すらっとした背丈。顔を見なくてもわかってしまった。

 そのくらい普段から私が目で追っているのがまじまじと実感させられる。

 徐々に視線を上に上げていくと、ニコッと微笑む先輩がいた。私の片想いの相手。

 決して実ることなどない、理想を絵に描いたような彼に私は恋をしている。

「こんにちは」

「こ、こんにちは」

 恥ずかしさで声が裏返っていないか心配していたが、なんとか声はいつもの調子で出すことができた。

「今日は何を読んでいるの?」

 俯いて本と睨み合っている私に大きな影が覆いかぶさる。きっと先輩が私のことを上から覗いているのだろう。

 彼の吐息が私の髪の毛をフワッと震わす。あぁ、近いな。心臓がバクバクと興奮しているのが伝わる。

 胸に手を当てなくてもわかってしまうくらい、私の心拍数は時間を追うごとに高まり続けてしまう。

「え、えっと。万葉集です」

 顔を上げてしまえば、絶対に目があってしまうことは間違いない。目を見て離さないのは失礼かもしれない。でも、今だけは許してほしい。

 そうしないと、私の心臓がいくつあっても足りないだろうから。

「万葉集? それって、和歌とかのだよね?」

「そうです!」

 先輩が興味本位で会話を広げてくれたのが嬉しくてつい、腹の底から声を出してしまった。

 直後に後悔の波が押し寄せてくる。やってしまった...勢いに任せてしまうのが、私の悪い癖だと知っているのに。

 羞恥心と不安が襲いかかってくる。先輩に嫌われていないだろうか。あぁ、なんで恋をすると些細なことでさえ気になってしまうのだ。

 半年前の自分には想像もできないに違いない。

「好きなんだね。万葉集が」

 驚くほど静かな声だった。私の高まっていた心臓の鼓動が落ち着きを取り戻すように、先輩の声は私の思っていた考えを全て打ち消してくれる魔法の囁きだった。

「はい。好きなんです。変わっているかもしれないですけど、昔の人がどんな想いで何を想って、和歌を綴っていたのかってのを知ると切なかったりして・・・」

 スラスラと言葉が口から溢れ出してきたことに自分でも驚く。

 先輩の前だというのに、緊張せずに話せたのは自分が好きなものについて語っているから。

 私の目の前に置かれた古っぽくて、歴史を感じさせるこの本のおかげ。

 ふふっと笑う耳障りのいい声が聴こえてくる。そっと顔を上げると、整った顔をくしゃっと破顔している先輩が私を見ていた。

 その顔にまたしても心が奪われる。手に持っている万葉集のページが音をたて、捲れていく。

 まるで、私の胸中を理解したかのようにペラペラと止まることなく。

小野(おの)さん。よかったら、僕にも万葉集の良さを教えてくれないかな?」

 私の手から万葉集をそっと手に取り、パラパラと中身を流し読みする先輩。

 その姿ですら、知的に見えて『いとうつくしうてゐたり』

 "もうめっちゃ可愛いよ!!!"

 今のJKが訳したらこんな感じの意味合いだろう。

 言葉に出せずとも心の中で叫んでいる私を彼は知らない。

 それよりも、大好きな先輩が私の名前を覚えていてくれたことが嬉しくて、今日はすぐには寝付けないだろう。

 この瞬間を思い出しては妄想し、自分の良いように作り替える夢でも見て1日を終えよう。

 最高の1日を最高のまま終わらせるために。

「明日もまた来るから、その時教えてよ。少しだけ気になったからさ」

「はい! もちろんです!」

 こんなに自分は声を出すことができるのかと感心するくらい声が出た。

「約束ね」

 片手をヒラっと振り、図書室を出ていく彼の背中。言葉から挙動まで全てが完璧だ。

「はぁ〜! 約束だって。明日が楽しみ!」

 再び私の口から漏れ出した息は、ため息ではなく、幸せに満ちた吐息だった。

 原則で静かにしなければならない図書室。でも、今だけは許してほしい。

 この熱りが鎮まりかえる時まで。