「ふう、お掃除完了。おっ、だいぶ、つぼみがふくらんできたな」


 俺はその日も、日課の石段掃除をしていた。他の神職に任せてもいいのだが、こうやって毎日、四季の移ろいを感じるのが、俺は好きだった。

 多分このつぼみの膨らみ具合だと、あと一週間もすれば、花開く。
 そうしたら、花見ついでにやってくる参拝客が増える。

「また今年も、忙しくなるな~。桜がいてくれたら、助かるんだけど」

 その頃には、娘は、向こうに帰ってしまっているだろう。自分と他の神職たちとで、何とかしなければ。

「……ん?」

 ふと視線に気づき、見ると、石段の下に男の子がいた。小学一年生ぐらいだろうか。
 絵本らしき本を抱きしめ――なぜか、俺の顔を、不思議そうに、見上げている。

「……」

 親は傍にいなさそうだから、近所の子だろうか。だけど、それにしては、見たことのない顔だった。

「……迷子?」

 こんな田舎町で、そんなことはないだろう。だけど、俺の顔を穴が開くほどに見つめてくるので、気にはなる。俺は、石段を下りると、男の子に話しかけた。

「君、どうしたの? おじさんの顔に、何かついている?」

 すると、男の子は、ぽかんとしていたが、ハッとしてぶんぶんと首を振った。

「いや、違うの。なんだか、おじさん、どっかで見たことあるなあって」
「……」

 以前、親御さんと参拝にでも来たことがあるのだろうか。それなら、俺の顔に見覚えがあってもおかしくはない。
 ふと、なんとはなしに男の子の胸元の本を見ると、『人魚姫』と題名が書かれている。男の子にしては、珍しいと思った。

「……おじさん、僕と前にどこかで会ったことある……?」

 ふと、男の子がそう聞いてきた。だから、俺は、首を横に振った。

「ごめん、ないよ。でも、おじさん、ここの神社で宮司さんをやっているんだ。だから、もし君がここへ来たことがあったら、おじさんは君のことを覚えていなくても、君はおじさんの顔を見たこと、あったかもねえ」

 すると、男の子は、ぶんぶんと首を横に振った。

「僕、昨日、この町へ引っ越してきたばかりなんだ。だから、ここ、来たことないの」
「……」

 誰か、よく似た人物に会ったことがあるのだろう。俺は「そっかそっか」と言う。

「じゃあ、引っ越してきたばかりの君は、ここの神様にあいさつしないとね」
「あいさつ?」
「うん、あいさつ。この土地……この町を守る神様に、これからこの町で暮らします。初めまして、よろしくお願いしますって、あいさつをするんだ。君も、初めてあった人には、『初めまして』って言うだろう?」
「ふうん、そうなんだ。分かった」

 男の子は、素直に頷いて笑った。
 俺は思う。
 今は何かと『くそおやじ』と言ってくる息子にも、こんなかわいい時期があったなあと。
 何だか、ちょっぴり寂しくて、けれど、自立を感じさせる息子でもあった。

「じゃあ、一緒にいこうか」

 俺が手を差し出すと、男の子は、絵本を大切そうに手提げにしまい、「うん」と小さな手を差し出してきた。
 そして、なぜか男の子は、俺の小指だけをきゅっと握った。

「……」

 柔らかな肌のその手は、なぜか、どこかで触ったことがある気がして、懐かしい気がした。