「はは…ははは……」

 しんと静まり返った部屋で、男は、立ち尽くしたまま、乾いた笑いをこぼし続けていた。

「終わった、何もかも、終わった……」
「……」

 私は、警察に連絡しなければと、部屋を抜け出そうとした。
 殺人については現行犯ではない。だけど、ハル様の父親や、使用人たちへの暴行罪では、現行犯逮捕できるはずである。
 あと一歩で部屋を出られる。その時だった。

「ははは……これも、あの糞女の仕業か。死んでまで、俺のことをなめやがって…!」

 男は、虚空を見て叫んだ。その様子が、狂気以外の何も感じられなくて、私は、思わず後ずさった。

「なら、この、お前が守ろうとしたくそウサギ、残忍にぶっ潰してやるよ! 破砕機がいいか?
それとも溶鉱炉がいいか? あの世で悲しむ顔が見れないのが、残念だなあ!」

 男がとびかかってきた。

 私は、慌てて部屋の外へと出た。しかし、左の後ろ脚が故障している。何とか走ったものの、階段で足を踏み外し、そのまま落ちてしまった。

「つーかまえた」
「……ッ」

 動けなくなったところを、掴まれた。狂気の笑みが、眼前に広がる。私はもがくが、力で叶うはずもなく――。

「何だ、写真立なんて大事に抱えて? ……なんだこれ、へー、あの女との写真。そんなに大事なのかあ? こんなもの、こうして……あがあっ!」

 写真立を私から引きはがして、床に叩きつけるつもりだったのだろう。しかし、私はそうされる前に、思いっきり男の指にかみついた。リアルに歯をつけてくれた、彼女の父親には、感謝しかない。

「このくそウサギ……っ!」

 男は、私を床に叩きつけた。写真立のガラスが、割れて飛散する。
それでも私は、それを離さなかった。

「あーあ、こんなにも、誰かに舐められたことはないよ。お前らには、特上の罰を当てないとなあ」

 動けずにいる私を、男は見て嗤った。

「破砕機? 溶鉱炉? そんなもんやめだ。お前には、もっと苦しんでもらわないと。そうだ。そんな精緻な考えができる人工知能なんて、そうそうないからな。その頭をいじくって、死ぬまで私の奴隷として使ってやろう。自我を保ちながらも俺に逆らえず、壊れるまで毎日こき使われる。これ以上の屈辱はないだろう?
そうだ。お前のAIの仕組みを応用して、ウサギなんかじゃなくて、人殺しの殺戮マシーンなんてつくるのもいいな。海外の裏社会じゃ、そういう需要がありそうだ。するぞするぞ~、新たな金の匂いが~」

 男はこの期に至っても、金儲け、というものを諦めていないらしい。
 男は、動けなくなっている私を拾い上げると、そのまま階段をずんずん降りて行った。


「フユ…っ!」

 男が玄関を出ようとしたとき、ハル様の父親が、男の足にしがみついた。腹を押さえて苦しげな彼は、それでも男の足にしがみつき、止めようとする。
 しかし、男が彼の腹に、もう一発蹴りこむと、彼はうめいて動かなくなった。

「三枝博士っ!」
「あーあ、下僕の分際で、()の足に触るからだよ。身の程を知れ」
「お前…! うわっ……!?」

 男は、私を上着で包み込み、紐で縛って拘束した。そのまま、私は車の後部座席に放り込まれたらしい。男が車に乗り込み、エンジンを駆ける音がする。

「あー、もしもし、俺だ。これから海外へ逃げるから、金と飛行機用意しておいてくれない?もちろん有り金全部だ。お前らも、さっさと用意しろよ」

 こいつは、私を連れてどうやら海外へと逃げるつもりらしい。
 そんなこと、許さない。


 私は、上着の中でもがいた。布を、紐を、何とか音をたてないように、嚙み切っていき、やっとのことで、出ることができた。
 男は気づいていない。それどころか、あんなことがあった後だというのに、まだ余裕の表情で、開けた窓に肘をつき鼻歌まで歌いながら、運転している。

「……」
 私は、嚙み切った紐で、決して離れないよう、写真立を背に結び付けた。


 これからすること?
 そんなこと、決まっている。
 犯した罪から、絶対に()がさない。
 それだけだ。


 私は、男のうなじにとびかかった。驚いて私を払おうとするよりも早く、思いっきり、首に嚙みついた。

「この糞野郎が…っ!」

 男は、私をつかんで引きはがそうとした。
 嚙みついた皮膚は、決して離さない。
 自然、男の首の皮膚は、引きちぎられた。そして、

「……ッ!」
 私は車の外へと放り投げられた。