「うさちゃん、ここにいたんだねえ、探したよぉ」
「……」

 扉を開けて入ってきた男を、私は毅然として睨んだ。

「あなたが、篠原社長ですね。こうしてお目にかかるのは、初めてですね」

 すると、男は、少し驚いた顔をして、私を見た。しかし、怪しい笑みはそのままである。

「うさちゃん、そんなにしっかりと話せたんだ。いいねえ、その仕組み。さすがは、あの女が作った機械だ」
「……何を勘違いなさっているかは知りませんが、私を作ったのは、三枝春ではありません。その父親の三枝昭義です」
「あれ、おかしいなあ。あいつの研究にはそんな存在、どこにも……」
「知らなくて当然でしょうね。私に関しての研究成果は、ハル様がすべて消去(デリート)されましたから」

 そう言った時だった。

「あの、くそアマ……」

 男の気配が変わった。喉の奥から、唸るかのような声を出し、言った。

「あの、(アマ)……どこまでも()をなめ腐りやがって……」
「……あの(アマ)、ですか? あなたの妻だった人ですよ。なんで、そんなにふざけた、見(くだ)した言い方をするんです?」

 私は、怒鳴りたい心地を抑え、男を見据えた。すると、男は、態度を豹変させた。

「妻ァ? ……あんな女、妻にもらった覚えなんてねえよ。俺はな、あいつの研究が欲しくて、あいつを金儲けの操り人形にしたくて、結婚しただけだ!
部下に指示して!
あいつの馬鹿な親をはめて!
借金作らせて!
わざわざ俺の物にしてやったって言うのに!」
「……」

 やはりそうだったのか、と思う私の前で、男は、おどろおどろしい怒りの表情をして、私を見た。

「あの女、俺と離婚するって言いやがった!
従順な妻のふりをして、その裏でこそこそと、俺がやってきたことの証拠をそろえて、俺と別れなければ公表すると、脅してきやがった!
ただの金の鶏のくせに、
ただの研究成果(じさんきん)(おまけ)の分際で、
俺に逆らいやがったんだ!

だから、分からせてやったんだ」
「分からせて、やった?」

 すると男は、私に、それはもう嬉しそうに、にやりと嗤って見せた。

「部下に命じて、轢き殺してやったんだ。俺に逆らえばどうなるか、思い知らせてやったんだよ。それに、死ねば、妻であるあいつの財産は、全部俺の物だからな。危うく離婚されてすべてを失うところだったが、離婚される前に殺せば、あいつの研究の権利は、全部俺に相続される。あいつの研究は、使いたい放題って訳さ。なのに……」

 男は笑みを一転させ、歯ぎしりをした。そして、頭を両手で搔きむしったかと思うと、叫んだ。

「あの女、俺の知らない間に、研究の成果や権利を全部、他の企業や人間に譲渡してやがった! 売却してその金も、全部寄付していやがったんだよ! 財産なんて、保険金と、どうでもいい研究(もの)以外、何にも残ってねえ……!
おかげさまで、金も!
これからの金儲けの算段も!
これから俺の会社が得るはずだった名声も!
何もかもがパアだ。
わざわざこの俺が結婚してやったというのに、あの女、感謝もせず、最後まで私を虚仮にしやがって……!」

 そこまで言うと、男は、一転して、哀しそうな、ひどく傷ついたかのような顔をした。

「な、うさちゃん。あの女、とーっても、ひどいだろう? だから、こんな可哀そうな()に一緒についてきて、慰めてくれないか?」

 私は、仮面をかぶったおぞましい男を、冷静に見つめると、一言言った。

「……あんた、最低の人間だ」
「何だと……?」

 男は、唸るかのように言うと、ぎろりと私を睨んだ。しかし、私は、臆することなく、その目を見つめ返して言う。

「あんたは、最低の屑だって言ってんだよ。頭に生ゴミでも詰まってんのか? あんたはな、行動原理の何もかもが、自分のことしか考えていない。いつでも、自分の浅ましい欲を叶える事しか考えていない、最低のド屑だ。
……いや、あんたはな、人間ですらない。人間ってのはな、常に相手の幸せのために動くものだ。犬ですら、猫ですら、仲間や子供の為を思って、毎日を過ごして生きていく。

なのに、あんたはなんだ? 金のため? 名声のため?
人を苦しめておいて、人を殺しておいて、感謝されない? 自分が可哀そう?

ふざけんな!

あんたは、化け物だよ。人間どころか、動物すらでない、畜生以下の化け物だ……!」

「このくそウサギ、言わせておけば……!!」

 男はづかづかと歩いてくると、私を蹴り飛ばした。写真立をとっさにかばったため、嫌な音が後ろ足からする。そして、壁に叩きつけられた。
 動けないままでいる私の頭を、男は踏みつけ、言った。

「さすがは、あの糞女の作ったものだ。その反抗的な目が、あの女にそっくりだ。お前にも直に分からせてやる。()に逆らったら、どうなるかって言う事をな。
〇〇会社の◇◇社長が、首をつって自殺したのだって、
××大学の●●教授が、海で行方不明になったのだって、
■■社の△△記者が、石段から落ちて事故死したのだって、
全部()が指示して、やってやったことなんだよ。ああ? 分かっただろう、()に逆らったら、どうなるかって!」

「そんなに、殺していたんですか。なのに、なんであんたは、こうやってのうのうと生きているんですか」

 動けないまま、だけど、私は問わずにはいられなかった。
 もっと早くに捕まっていれば、彼女は、こんな男の元へ、行くことなどなかった。

「ああ、知りたいか?」と、男は嬉々として言う。

()にはな、お偉い先生方がいっぱいついてくれているんだ。定期的にお金さえ渡していれば、そういう時になんだって言う事を聞いてくれる。なんだって、頼みごとを聞いてくれる。どうだ、よくわかっただろう? ()はな、お前らみたいな、地面を這って生きているような奴たちとは、違う次元の人間だ。世界に愛されるべき、高尚な選ばれし人間なんだよ」

 男は、はっはっはと高らかに笑った。


――サイコパス。


 私は、どこか、冷静な心地で、そう思った。
 もうこれで終わりだ、という諦めの心地がそうさせたのかもしれない。
 話に聞いているだけで、本当に生きている間に、お目にかかるとは思っていなかったけれど、
 実際見てみて、できれば会いたくなかったけれど。

 これほどまでに、人間ではない人間が存在するのか。
 なのに、こいつの体は、れっきとした人間で――。


 そう思うと、涙が出てきた。

 私は人間になりたくても、なれなかった。なのに、どうしてこんな奴が、人間として生まれてきたのか。

 神様はひどい、と思った。


 こんな奴を人間にするぐらいなら、
 私を人間として、生まれださせてほしかった――。


――まあ、もうそれも、無意味な話か……。
 私を掴もうとする手が、近づいてくる。私は、静かに目を閉じて――



 その時、電話が鳴った。

「何だ…こんな時に」

 鳴ったのは、男のスマートフォンだった。男は、胸ポケットから取り出すと、面倒くさそうに電話に出た。

「もしもし、なんだ? こっちは忙しいんだ、さっさと『社長! 大変です!』……は?」

 よほど大声で話しているらしい。電話から、慌てている相手の声が、よく聞こえた。

『今あなたがいる場所が……今のあなたの姿が……あちこちで動画でバラまかれています! 我が社にも、ひっきりなしに、電話が殺到して……』
「は……?」

 その時、ちりんと受信音がした。男は電話をしたまま、ズボンのポケットのスマートフォンを取り出した。
 そして、その画面を指でタップして……次の瞬間、余裕の表情が驚愕に変わった。

「何だ……これ……」
 男のスマートフォンには、男がスマートフォンをいじる様子の動画が流れていた。
 要するに、今の様子が、スマートフォンの画面に、全部、丸ごと生中継されている。

「……」
 私は、今更、思い出した。この部屋に、彼女が、父親を嵌めるために仕掛けた、あのシステムのことを。

 今、全国の、いや、もしかしたら世界中の人間が、この部屋を見ている。
 この男が、この部屋を逃げ出したところで、録画のばらまきが開始される。
 そうでなくとも、もうこの男は、終わっているだろう。
 例え、お偉い先生方、と言うのが守ってくれるとしても、
 皆が、見ていた。一人ひとりがれっきとした人間である、皆が。


――どこまであなたは、私のことを守ってくれるんですか。


「はは……ははは……」

 私は、かすれた声で、小さく笑った。そして、立ち上がると、唖然とする男に向かって、問うた。まるで、実況中継をする、インタビュアーのように、笑顔で問うた。

「篠原社長、ご希望通り、世界に愛される(・・・・)人間になった御気分はどうですか?
あれ? 急な立場の変化に驚いて、声も出ないようですね?
それもそうです、仕方ありませんよね?

なら、今の、私の気分から、先にお伝えしましょうか」


「「ざまあみろ」」

 彼女と声がかぶさったような気がしたのは、きっと気のせいではない。