ノリマサは師タモキンの言葉を聞き、すぐに西へ向かって旅立った。
師の言葉が耳に残ってやまない。
「我々のストツーのごときはほとんど児戯に類する」
もしそれが本当だとすれば、「天下第一のストツーリスト」というノリマサの野望の達成も、まだまだはるか先にあると言わざるを得ない。
児戯、つまりおのれの技がこどもの遊びのごときものかどうか、とにもかくにもそのアマバエ老師とやらに会って比べなくてはとノリマサはあせった。
あせったが新幹線にのっているのでどうあせろうが早く到着するものではない。
その点に気がつくと、ノリマサは平静に戻ろうと屁をひとつ放ち、駅弁をふたつ平らげ、また屁をひとつ放って現地でタクシーに乗り込んだ。
2時間あまりタクシーを走らせ、ようやく目指すニワカ乙の山頂へとたどり着くと、「すべて妻の金でここまで来た」と感慨にふける。
そんな鼻息あらぶるノリマサを迎えたのは、羊のようなやわらかな目をした、しかしひどくよぼよぼのじいさまである。
年齢は100歳を超えているのではないか。
腰が曲がっているせいもあって、長く伸びた白いヒゲを地面にひきずっている。
相手がおじいちゃんなので、耳も遠かろうとノリマサは声をはりあげて来意を告げる。
「老師! 自分の技を見てもらいたいのですが!」
あせったノリマサは相手の返事も待たず、いきなりスマホを取り出すやひょっとこみたいな顔をし、ひょうきんな動きで158コンボを叩き出した。
いやひょっとこみたいな顔をする必要は特になかったのだが、お面をしていたときの名残でついしてしまった。
しかしこれで自分が専用コントローラーを用いず、このようなふざけた状態でも絶技を出し得ることを知らしめる役に立ったろうと、ノリマサはコンボの最後をドヤ顔で締めた。
あごのしゃくれ具合もいつもの三割増しである。
ほっほっほ、とアマバエ老師はおだやかに笑って言った。
「ひととおりはできるようじゃな」
アマバエ老師は笑みを崩さず、こうつづけた。
「しかし、それはしょせんテストで満点を取って『じょうずにできましたね』とほめられたようなものにすぎん。ボウヤはまだ『ゲーム』という枠にとらわれていなさる」
ムッとしたノリマサを導き、アマバエ老師はそこから少し歩いた崖の上まで連れていく。
そこの端に立つと、足元は、見た瞬間いやおうなく死を意識させる切り立った崖であり、はるか下に糸のような細さで見える川は、目を鍛え抜いたノリマサだからこそ感じる「高さ」という圧倒的な暴力を、頭を横からしたたかに殴りつけたかと思うほどの勢いで押しつけてくる。
その崖から、1メートルあまり空中へ向かって伸びた、変わったかたちの岩がある。
アマバエ老師はつかつかとその岩にのぼり、ふりかえるとノリマサに言う。
「どうじゃ。この岩の上でさっきの超絶プレイをもう一度見せてくれぬか」
いまさら引き下がることなどできぬ。
ノリマサは不安を虚勢で押しかくしながら了承し、老人と入れ替わりにおそるおそる岩を踏んだとき、岩がかすかにグラリとゆらいだ。
――さっきじいさんが乗ってたんだから、だいじょうぶなはずだ……
ゴクリと唾を飲み、心中でおのれをはげましながらスマホを固くにぎりしめると、ちょうど崖の端から小石がひとつ転がり落ちる。
その行方を目で追ったとき、おぼえずノリマサは伏して岩にしがみついた。
からん、ころん、からん。
どこまでも落ちていく石の音が、落ちていく「ノリマサ自身」を連想させる。
立ちあがろうと足に力を入れるが、膝はぶるぶると震え、汗は全身を濡らすほどににじみ出た。
立つことさえできない。
岩と同化してしまったような状態のノリマサに、アマバエ老師は「ほっほ」と笑いながら手を差しのべた。
ていねいにノリマサを岩からおろし、老人はもう一度ひょいと岩にとびのると、
「では、ささやかながらワシのプレイをお見せしようかな」
と言った。
ノリマサはまだ動悸がおさまらず青ざめた顔をしていたが、すぐに気がついて這いつくばりながら言った。
「しかし、スマホは?」
老人は素手で、なにも持っていない。
「スマホ、あるいはコントローラーも、画面もなく、なにを、どうやってプレイするのですか?」
「スマホ?」
老人は笑う。
「スマホを必要とするうちは、まだ『ゲーム』の枠の中にすぎん。その枠からひとたびそとへ出れば、高精度のコントローラーも、8Kのモニターもいらんのじゃ」
8Kとか意外と俗世のことを知ってるな、とノリマサが思ったまさにそのとき、アマバエ老師はぐらつく岩の上で目を閉じ、おもむろに両手を中空にあげ、指揮者のごときしぐさで動きをとめた。
数瞬だけ、オーケストラの演奏を導くような優雅さで手を動かす。
ノリマサが異変を感じ手元のスマホを見やると、ノリマサの扱うキャラクターが乱入を受け418コンボをくらい惨敗していた。
ノリマサは、全身の毛が逆立つようなおそれをおぼえた。
いまにして、はじめてストツーというその深淵の、奥の奥をのぞき見ることができた心地であった。
こののち、9年のあいだ、ノリマサはこの老人のもとにとどまった。
そのあいだ、どんな修行があったものか、ひとつの動画もアップされず、一本のブログも書かれなかったため、それはだれにもわからぬ。
9年経って山をおりてきたとき、人々はノリマサの顔つきが変わったことに驚いた。
以前の気の強い、勝つためなら相手のプレイも邪魔する生来の負けずぎらいは影をひそめ、綾波レイよりなお感情の読みとれぬ、ドラクエのどろにんぎょうのごとき顔になっている。
ひさしぶりに旧師のタモキンをおとずれたとき、しかし、タモキンはこの顔つきを見ると感嘆して叫んだ。
これでこそはじめて天下の名人だ! われらのごとき凡人に、理解の及ぶはずはない、と。
TOKYO、いや、インターネッツの世界は、天下一の名人となって戻ってきたノリマサを迎えて、やがて繰り広げられるであろう超絶プレイへの期待に湧きかえった。
ところがノリマサは、一向にその期待に応えようとはしない。
いや、スマホを手に取ろうとさえしない。
山に入るとき持っていった最新のアイポォーン47も、どこかへ捨ててきた様子である。
じれた末、それをたずねた勇気あるインタビュアーがいた。
「ノリマサさん、スマホはどうしたんですか? もし専用コントローラーが必要なら、ほら、ここに用意しましたよ」
そう質問を受けたノリマサは、ものうげにこう答えた。
「至為は為すなく、至言は言を去り、至ゲーは操ることなし。あらゆる枠は、もはや存在しない」
なるほどわからん。
これがこのインタビューを見たネット民の総意であったが、それでもひと言もの申したい一部の面々はつぎつぎにコメントした。
「達人になるとこの領域に来れるのか」
「宮本武蔵がこれと似た趣旨の発言を遺している」
「まるで意味わかんなくて草」
とにかくお祭り騒ぎがしたいだけのネット民はそれぞれ好き勝手に解釈した。
スマホを持たざるストツーの名人は一部の誇りとなり、ノリマサの家はネットにさらされ有名になる。
ノリマサがストツーにふれなければふれないほど、彼の「無敵」という評判は尾ひれ腹びれをもって喧伝された。
尾ひれ腹びれはさまざまなかたちに変ずる。
いわく、深夜、日付の変わるころ、誰も操作していないはずのストツーが動き出し、人外としか思えぬ動きで戦う映像がライブ配信されていた。
けだし、ノリマサ名人が2つのキャラを同時に動かし修練を積んでいるのであろう。
いわく、ノリマサ名人の自宅の上空で、やけに大きな雲があるなと思ったらストツーのキャラに変じ、卒爾として雲同士で戦い出した。
ゲームを超えた、永遠に尽きることのない湧き水のごとき美コンボであった。
いわく、とある空き巣が、ノリマサ名人のウワサを聞き深夜に家へ忍び込もうとしたところ、どこからともなくストツーのキャラであるリョウの波動が飛んできて、頭がアフロになった結果自首をした。
こうしたウワサが広がって以来、邪心をいだくものはノリマサの自宅を避けて通るようになり、空を行き交う飛行機は万が一のため彼の家の上空を通らなくなったとのことである。
雲のように立ちこめるそうした名声の中、名人ノリマサは次第に老いていき、移り変わりの激しいネット界隈では一部のコピペとして残る伝説をのぞき彼のことを忘れていく。
「おれんちの上、飛行機通らないんだけど質問ある? コピペ 元ネタ」のワードで検索する若人。
どろにんぎょうのようと言ったノリマサの顔はさらに表情をうしない、言葉を口に出すこともまれとなり、ついには呼吸しているかどうかも定かでなくなった。
そうしていつしか、風が運動場の砂を運ぶように静かにノリマサはこの世を去った。
そのあいだ、彼は「ストツー」の4文字を口にすることはなく、もちろんストツーをプレイすることもなかった。
できれば、こんな物語を書きはじめたものとして、いっちょ老名人のものすごい武勇伝として118歳にしてストツーの世界大会で無双するストーリーでもこしらえたいところながら、孫の視点で「おれんちのヨボヨボじいちゃんにストツーさせてみたら天下無敵だった件www」というタイトルの逸話でも語りたいところながら、原作のあるこの話を好き勝手に改変するわけにもいかぬ。
ただ、次のような妙な話がひとつ残っている。
その話というのは、ノリマサの死ぬ1~2年前のことらしい。
ある日、老いたノリマサが知人の家に行ったところ、その家のこどもたちがやっているゲームを見た。
たしか、見おぼえのあるようなゲームだが、どうしてもその名前が思い出せぬ。
ノリマサはその知人にたずねた。
「これはなんていうゲームですかな」
知人は、ノリマサが冗談を言っていると思って「またまた」と大きく笑った。
が、ノリマサはまた真剣になって「このキャラクターの名前は?」とたずねる。
知人は「からみづらいノリだな」と思ってあいまいな笑みを浮かべた。
しかし、三度ノリマサがまじめな顔でこのゲームについて問うたとき、はじめて知人の顔に驚愕の色があらわれた。
問いかえす代わりにノリマサの目をじっと見つめる。
相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞きまちがいをしているのでもないことがわかると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、叫んだ。
「ああ、ノリマサさんが、あの達人であるノリマサさんが、ストツーを忘れてしまったというのか! ストツーのゲームそのものも、キャラの名前すらも!」
その話がインターネットで伝わると、絵を描く人は絵筆を折ってペンタブを物置の奥にしまい、プロゲーマーはコントローラーをドブ川に投げ捨てゲーミングチェアを空気イスへと変え、一部のネットコメンテーターはふくんだコーヒーをパソコンに浴びせながら「ボケてて草」と書き込んだということである。
完