『身に覚えのない切り傷や出血。えっと驚くが私たちは応急処置でやり過ごす。どうせどこかにぶつけたのだろう。治らないなら医者に行こう。そんな様子見をしているとどんどん事態が悪化して…』

●午後の学生食堂

「血が出てるよ」「えっ?」
指摘されて初めて気づく擦過傷や腫れ。
身に覚えのない軽傷に戸惑った経験は誰にでもあるだろう。
その原因や経緯をいくら考えても思い当たらず不安になる。
しかし謎は深まるばかりで手掛かりがないまま応急処置で問題解決する。
したことにする。
薄気味悪い後味だけが残る。
そして忘れたころに思い出す。だが、記憶をたどろうとしても曖昧で気持ち悪さがつのる。
どうしてだろう。
かまいたち現象とは違う。なぜなら発生メカニズムが合致しないからだ。冬の湿度が低い日に強い風が部分的な真空を作る。それが乾燥肌を裂くという。
「普通、音ぐらいしますよね どこかにぶつけて切ったのなら」
そうですねえ、と佐山は新庄を見た。
新庄は手にしていた湯飲みを置き、小首を傾げながら言う。
「でも、私は今まで聞いたことないですよ?」
「それは君の耳が悪いからだ」
「私の耳!? そんな……」
愕然とした様子を見せる新庄に対し、佐山は無表情だ。だが内心で思う。自分の耳に自信がある者は他人もそうだと考えるものだ、と。だから新庄の耳が悪くても何の問題もない。むしろ好都合だろう。何故なら彼女の声を聞くことが出来るのは自分だけだからだ。
などと思考していると、横合いから声が来た。
舞だった。彼女は腕を組みつつ、呆れ顔で言う。
彼女もまた湯飲みを置いたところであり、……いい加減、話を戻してもいいかな? と、思っていると、横目でこちらを見てくる視線があった。新庄だ。どうも自分が話の流れを変えてしまったことを気に病んでいるらしい。気遣うように眉尻を下げた彼女に、大丈夫だよという気持ちを込めて小さく笑みを向ける。
直後、いきなりテーブルの下で膝蹴りを食らった。舞の足裏が鳩尾に入ったのだ。
くぐっと息を詰める中、新庄が手を上げる。何かを言うつもりらしく、……あー、私ちょっとトイレに行きたいですけど、どこにあるんですか? と、聞いてきた。それに対して、佐山は呼吸を整えつつ答える。……男子便所の隣りに女子用がありましたよ……、と。
ああそうなんだ、と新庄は答え、席を立った。
彼女がいなくなると、佐山は自分の隣の席に座る少女に言った。
月詠初瀬。身長一六〇センチの小柄な身体に、長い黒髪の少女である。
いつも眠たげな半眼で、何を考えているのかわからない顔をしているが、しかし今日この場所に集められた使命に目覚め、いつもよりテンションは高い。