「もしかして告白された?」
 教室に戻るなり、ニヤついた顔の北澤瞳に訊かれた。
 
 お昼休みが始まってすぐのことだった。お弁当を開けようとしたタイミングで、廊下にいる男子から声がかかった。
「あの、三浦さん。ちょっといい?」
 相手は委員会で一緒になったことのある武田君だった。
 私は、「ちょっと行ってくるね」と瞳に声を掛けてから廊下に出た。わずか三分程度の立ち話だったけど、瞳の言う「もしかして告白された?」の意味はそういうことなのだ。
「ううん、告白とかそういうんじゃないよ」
 実際告白はされていない。私は否定した。
「ふーん。じゃあ、ラインのID聞かれたとか?」
 瞳が質問を重ねる。
「あっ、うん。まあそんな感じかな」
「おおっやっぱり。それで教えたの?」
 瞳の目が興味津々だ。
「うん。だって断われないじゃん」
「えっ、そう? 私なら嫌だって断るけどね。まあ、ID聞いてくれる人もいないけどね」
 瞳は自虐をしてからふくれっ面をしてみせた。そして、頬の空気をふーと吐くと
「でさあ、もちろん告白されたら付き合うでしょ? だって超イケメンじゃん。あんなに背が高くて顔も良くてさあ。モデル事務所からスカウトされたらしいよ」
 瞳は小声で言った。私は武田君の容姿を思い浮かべた。たしかに背も高いし顔も小さいしイケメンだ。
「でも、まだ告白されるなんて決まってないし」
 告白されてもいないのに付き合うも付き合わないもない。
「いやいや決まってるでしょ。だってこの前のなんだっけ、ああ、三年の中村先輩だって最初はライン交換して、それから告白だったでしょ? その気がなければラインなんて聞かないって」
「そういうものかなあ」
 私は頭を捻った。でもたしかにそう言われるとそうかもしれない。
「でもさあ、中村先輩はないね。そりゃ悪くはないよ。でも、花と付き合うほどイケメンではない」
 瞳はきっぱりと言った。
「そんなこと……」
「またそんなこと言って。絶対ないよ。だって花って今まで超絶イケメンとしか付き合ってこなかったじゃん」
 瞳は中学時代からの親友だ。しかも中学一年から現在高校二年までずっとクラスも一緒。だから私の行動はほとんど把握している。
「花がどう思うかもそうだけど中村先輩じゃ周りが納得しないよ。その点、武田君ならみんなが納得だよ」
「なにそれ?」
「だってそれはそうじゃん。学園のアイドル三浦花さんとお付き合いする人ってどんな人だろうってみんなが注目してるよ。さぞイケメンなんだろなって。例えばもしも相手が松木だったらもう学校はパニックだよ」
 瞳は視線を斜め左後ろに向けた。私もその視線を追う。
「松木、またなんか絵を描いてるよ」
 瞳は呆れたように笑う。瞳の言うように松木亮を見ると物凄い勢いでペンを走らせている。眼鏡の奥の目が真剣そのものだ。
「まあ、松木のことは冗談だとしてもちゃんと相手は選ばなきゃね」
 瞳はいかにも親切心で言ってます、というような顔を私に向けた。
「そうね。それより私お弁当食べる。お昼休み終わっちゃうもん」
 これ以上、この会話を広げたくない私は弁当の蓋を開けた。
 
 学校からの帰り道。瞳とは家の方向が反対だから一人での下校。なんだか歩きながら考え込んでしまう。瞳から言われたことが引っかかっていたからだ。
 初めて彼氏らしきものができたのは中二だった。相手はサッカー部のキャプテンをしていた一歳上の柱谷先輩だった。
 突然、誰も使っていない理科室に呼び出されて、そこで告白された。柱谷先輩は目立っていたから存在は知っていたけど会話をしたことは一度もなかった。だからまさか告白されるとは思っていなかった。戸惑って声すら出なかった私に、柱谷先輩は「急に言われても困るよな。でも、考えといてよ」と言って理科室を出ていった。
 呆然としながら理科室から自分の教室に戻ると、どういわけか私が柱谷先輩から告白されたことはクラス全員が知っていた。
「花、凄いじゃん。柱谷先輩ってみんなの憧れの的だよ」
「柱谷先輩、ちょーカッコイイじゃん。でも花ならお似合いだよ」
 クラスの女子たちがキャーキャー騒ぎ出したのを見て、そこで柱谷先輩がとんでもなくモテ男子だということを知った。周りを騒がせてなんとなく気まずい思いをしながら席に着くと、瞳が近寄ってきた。
「いいなあ、あんなにカッコいい彼氏が出来て」
 瞳は当然のようにそう口にした。私は唖然としながら
「えっ、そんな、私、付き合うなんて言ってないよ」
 私が戸惑いながら答えると、今度は瞳が唖然とした顔をした。
「嘘でしょ? 付き合わないの? 意味わかんない」
 瞳は心底驚いた顔で言うと、周りの女子たちに向けて、「ねえ、聞いて。花が付き合うか迷ってるんだって」と大声を出した。近くにいた女子たちは瞳と同じ反応で、「もったいないよ」とか「絶対付き合った方がいいよ。お似合いだよ」「付き合わなきゃ絶対後悔するよ」と私を責めるような口調で詰め寄ってきた。これでは私がとんでもなく非常識なことをしたみたいだ。
 その勢いにやられたのか。それともクラスの女子たちに刷り込まれてしまったのか。私は三日後、柱谷先輩から「返事を聞かせてよ」との問いに首を縦に振ってしまった。
 正直、柱谷先輩のことを好きだと思ったことはなかった。付き合えば良さがわかるかもしれないと思ったけど結局魅力がわからないまま、私たちの付き合いは二か月で終わりを迎えた。結果的には私がフラれたのだ。
 二人での下校中のことだった。
「花ちゃん、俺のこと好きじゃないでしょ」
 不安そうな顔の柱谷先輩からそう言われた。図星だった私はうまく否定することもできず、ただ黙っていると、「じゃあ、別れようか」と柱谷先輩は寂しそうに言った。そこで私たちの付き合いは終わった。正直フッてもらってホッとした。実は毎日一緒に下校するのすら苦痛だったのだ。そんな相手と付き合うなんて無理がある。
 このとき、もし次に男子と付き合うことがあったらちゃんと好きな人と付き合おうと思った。でも、結局二人目の彼氏も、三人目の彼氏も、周りに流されて付き合ってしまった。それで結果は私がフラれる。理由は毎回同じだ。
 何回フラれても彼氏を失ったショックはまるでなかった。だけど、自分の流されやすさには自己嫌悪に陥ちいらずにはいられなかった。
 私も恋愛に興味がないわけではなかった。小学生の頃から少女漫画を読んでいたから、素敵な彼氏と素敵な恋をしたいと夢見ていた。それなのに、自分の恋愛が私が夢見ていた恋愛とあまりに違い過ぎて気持ちが塞いだ。
 いつもそうだ。周りに煽られて、その流れのまま、みんなが思い描く三浦花を演じて、みんなが思い描く男子と付き合ってしまう。自分でもどうかしていると思う。
 またこんな風に武田先輩と付き合ってしまうのだろうか。もしそうならまた自分に幻滅してしまう。
 そもそもだ。好きでもない人と付き合ってしまう私も悪いけど、私に告白してくる男子の気も知れない。だって告白してくるほとんどの人は私と接点のない人だ。私の趣味も生い立ちもなにも知らないのにどうして付き合いたいと思うのだろうか。武田君だってそうだ。委員会で一緒になったけど交わした言葉は二言三言。結局見た目で選んでいるのだろうな。そう思うと虚しくなる。
 こんな風な女子に話したら一発で嫌われそうなことを思い、肩を落としながら歩いていると自宅に着いた。家に入ろうとすると、目の前に見慣れた後ろ姿があった。このクマさんみたいな後ろ姿は間違いない。私は静かに近づいた。
「隙アリっ」
 私は目の前を歩く、松木亮のでっぷりとしたお腹を両手で掴んだ。
 亮はビクッと肩を震わせながら「なんだよー誰だよー」と絶叫した。
 そのナイスなリアクションに私は腹を抱えて笑った。
「なんだよ。花かよ」
 亮は私だとわかると口をヘノ字に曲げた。
「なんだよはないじゃん。冷たいね。ところで今日部活は休み?」
 私は亮に尋ねた。亮の額を見ると汗の粒が見える。
「いや、休みじゃないけど別に学校じゃなくても描けるしね」
 よく見ると、亮は絵の具やパレットが入っているケースを携えていた。
 たしかに美術部の活動は学校じゃなくてもできる。
「ねえ、ここで会ったが百年目。久しぶりに絵見せてよ」
 許可をとることもなく、私の足はもう亮の家に向っていた。
「久しぶりって先月も来ただろ?」
 亮が私の背中に声をかけた。
「一か月経てば久しぶりだよ。小学校の頃は毎日のように遊びに行ってたんだから。それよりいいから行こう」
 私は振り向き声を掛けた。
「仕方ねえなあ」
 亮は額の汗を拭きながら歩き始めた。
           ※
 亮の部屋には今まで描いた作品が所狭しと置かれている。自然の風景を描いても、人間を描いても亮の絵はどれも本当に素晴らしい。それなのに大切に保管しているとは言い難く、壁に立てかけてあればまだましな方で、中には額にも入っていない絵が床にゴミ同然のように落ちている。部屋はドアノブが絵の具で汚れていたり、カーペットの上はお菓子のゴミだらけだし正直汚い。だけど、この散らかり具合と絵の具の匂いのするこの部屋も慣れれば居心地が良い。
 亮とはご近所さんで親同士も仲が良い。言ってみればわたしたちは幼馴染だ。物心ついたころから亮の絵の才能は爆発していて、保育園に上がるか上がらないかくらいの頃から、私は好きなアニメのキャラクターを亮にせがんで描いてもらっていた。
 亮とは小学校までは毎日のように一緒に遊んでいたけど、中学ではクラスが別になったこともあって学校で会話をする機会は減った。それに高校では同じクラスになったにもかかわらず教室で会話をしたことはほとんどない。私たちが会話するのは決まって亮の家だ。亮は中学から美術部に入っている。私は絵を専門的にわかるわけじゃないけど亮の絵の素晴らしさは理解している。だかた新作が描き上がるたびに見させてもらっているのだ。
「あれっ新作はないの?」
 新しい絵が見たくて部屋全体をチェックしたけど、どうやらなさそうだ。過去に私が見た作品しかない。
「ああ、新作は美術展に出してるから」
 亮は答えながら机に紙を広げた。
「ふーん。そうなんだ。また金賞取れるといいね」
 私が知る限り亮は中学時代から数々の賞を受賞している。亮の絵を評価しているのは私だけじゃないみたいだ。
「いやあ、今回は全国規模の美術展だから無理だろうな」
 亮はペンを走らせながら言った。
「ふーん。そうなんだ。まあ結果はどうでも絵が返ってきたら見せてよね」
 私はなんの気もなく言った。しかし、亮は頭を搔きながら「うーん」と唸った。
「えっ、嫌なの? いつもなら見せてくれるのに」
 亮のリアクションがなんだか妙だ。
「うん。今回はだめだ」
 振り向かずに亮は言った。
「なんで。ケチ、最悪」
 ガッカリした私は毒づいた。
「そんなことより、花、また男子からライン聞かれたんだって」
 亮はペンを置き首だけで振り向いた。
「えっなんで知ってるの?」
「そりゃ北澤瞳があれだけデカい声で喋っていれば聞こえるよ」
「あんなに、絵に集中しているのに聞こえてたんだ」
 そうか。ということは亮について話していたことも聞こえていたのかな。
「うん。そんなことよりも今度はちゃんと考えて付き合えよ。毎回毎回すぐ別れてさあ。そろそろ落ち着けよ」
 言うだけ言って亮は再び絵に向かった。
「なに、その言い方。ムカつく。亮には関係ないし」
「はいはい。そうですね。ごめんごめん」
 口だけでまったく反省していないその態度にも腹が立つ。
「私、もう帰る」
 私は立ち上がり、部屋のドアを乱暴に閉めて亮の家をあとにした。
 帰宅してもまだ怒りはおさまらなかった。なにあの言い方、あれじゃ私が遊び人みたいだ。ああーイライラする。ときどき、亮はズケズケと言いたいことを言う。
 ただ、腹は立つけど、それも私が亮にすべて打ち明けているからでもある。瞳に話せないことでも亮になら話せることも多い。そもそも瞳に話したら教室中に広まることは覚悟しなきゃいけない。その点、亮は私から聞いたことを外に漏らすこと百パーセントない。それは口が堅いからというよりも亮に友達がいないことも理由の一つだ。
 多分、亮の友達は絵なんだと思う。好きなものは絵だけ。絵さえ描ければ幸せなんだ。あんな亮でも人を好きになることはあるのだろうか。そういう私も本当に人を好きになれることはあるのかなあ。
 そんなことを考えていたら怒りが静まってきた。そういえば亮はどうして新作を見せたくないのだろう。その謎を残したままだった。
           ※
 眠い。眠すぎる。昨晩は「ユラギ」というアニメをサブスクで見すぎて寝不足してしまった。そんなときに限って朝から全校集会だ。正直長時間立っているのはキツイ。
 登校してすぐにクラス全員で体育館に向かう。眠い目をこすりながら廊下を歩いていると、「花ちゃん」と私を呼ぶ声がした。声をする方を見ると、長身の男子がいた。武田君だ。武田君は白い歯を見せながら私に手を振っている。なるほどたしかに爽やかでかっこいいかもしれない。私は小さく手を振り返す。
「ねえ、武田君から下の名前で呼ばれてるんだ。距離が近づいているんだね」
 後ろから瞳が話しかけてきた。寝不足で元気のない私と打って変わって朝から元気だ。
「さあ、わかんない」
 実際距離が近づいていると言ってもラインをしているくらいでどこかに遊びに行ったわけでもない。
 ラインIDを交換してからというもの、毎日のように武田君からラインが届く。そのラインは内容を思い出すのが難しいほどに内容がない。内容が薄いからラインから武田君の人柄はにじみ出てこないし、私の性格も向こうに伝わっていないと思う。
 ラインをしてすぐに趣味を聞かれたから「アニメ」と答えた。「どんなアニメ?」と聞かれたから「ユラギだよ」とアニメのタイトルを答えた。だけど武田君がそのアニメを知らなかったから話題は一切広がらなかった。ライン交換してから三週間くらい経つけどまったく盛り上がっていない。それなのにあんなにも感じの良い笑顔を向けてくれるなんて、なんだか武田君のことがよくわからない。
 
 全校集会ではいつものように校長先生の長い長いおしゃべりが始まるかと思っていた。しかしいつもと違って校長先生の後ろに大きなスクリーンが用意されていた。
「みなさんに嬉しいご報告があります。なんとわが校の二年生松木亮君の作品が全国高校美術展で最高賞の金賞を受賞しました」
 えっ、それって亮の新作。やったあ。この前は全国規模だから難しいって言っていたのに。すごいやったじゃん。私は斜め後ろの亮を見た。亮は恥ずかしそうに下を向いている。せっかく受賞したんだからもっと堂々とすればいいのに。
「では、ここでその作品をスクリーンに映したいと思います」
 にこやかな校長先生がスクリーンを見上げた。なるほどスクリーンはそのためだったんだ。どうせなら実物を見たかったけど、少しでも早く見たかったから嬉しい。校長ナイス。私はスクリーンに注目した。しかし、補佐をしている先生が手間取っているのか中々映し出されなかった。
 新作を待ちながらも私はあることが気になっていた。それはせっかく同じ学校の生徒による快挙なのに周りがまったく沸いていないことだ。たしかに亮は人気者でもないし、それどころか孤立している。だけどもう少し興味を持ってくれてもいいのに。だって全国大会で優勝したくらい凄いことなんだから。私はこの状況が歯がゆくて仕方がなかった。
「準備ができました」
 校長先生が言ったと同時にスクリーンに絵が映し出された。
 絵がスクリーンに映し出されるとそれまで静かだった周囲がざわついた。
「こちらの作品は『初恋の人』というタイトルです。この作品の中には青春の美しさが表現されているとの評価があったようです」
 校長先生が亮の絵を解説する。
 初恋の人。この作品には女子高生の横顔が描かれている。満面の笑みを浮かべた女子高生だ。水彩絵の具で淡くて優しい雰囲気が絵から漏れ出ている。気持ちが和らぐ素晴らしい作品だ。でも、この絵って……
「ねえ、あれって花だよね」
 周りからヒソヒソと話す声が聞こえる。
「だよねえ。うわー、初恋の人ってことは、松木って花に恋してんの? キモッ」
 ヒソヒソ話は段々と大きくなっていく。
「ねえ、花。松木のくせに花が初恋相手だってさ、分不相応だしさすがにキモすぎじゃない」
 半笑いの瞳は私カーディガンの袖をつかんだ。
 どうして? どうしてキモいとかそんなひどいことが言えるの。私の体は怒りで震えていた。頭に血がのぼって後頭部が痛い。
「どうしたの? 体震えてるよ」
 瞳の手は私の背中に触れた。
「放してよ」
 私は叫びながら瞳の手を振り払った。
 瞳を見ると顔がゆがんでいる。
 突然大声を上げたから周りの視線も私に集まってくる。その瞬間視界がぼやけた。それと同時に眩暈がした私はその場に座り込んでしまった。
「えっ、大丈夫、花」
 私を呼ぶ声がしたけど意識は遠のいていった。

 目を開けると見たことのない天井が目に入った。ベッドに寝かされているみたいだけど、ここはどこだろう。そうか、私は貧血で倒れたんだ。ということは保健室か。
「あっ、目が覚めたんだ。ここ保健室な、あと今さっき授業終わったから」
 男子の声がした。この声は聞き覚えがあるからすぐにわかる。
「やっぱり亮だ」
 私はその姿勢のまま顔だけ亮に向けた。
「大丈夫か?」
 亮は心配そうな顔を私に向けた。
「うん。昨日、アニメ見すぎちゃって」
 寝不足さえしなければこんなことにはならなかったはず
「ああ、そうなんだ。アニメか。それって『ユラギ』だろ?」
「あっ、うん、そう」
 私が答えると亮は「はい。これ」と紙切れを私に渡した。その紙にはユラギの主人公由良タイギが描かれていた。
「うわっ、すごい。やっぱりうまいねえ」
 シンプルに鉛筆で書かれているだけだけど物凄く上手い。
「花が眠っている間に描いた」
 照れくさそうに亮は小さく笑った。
「あっ、そういえば、金賞おめでとう。あの絵もすごく良かったよ。早く現物で見たいよ」
 本心から凄いと思ったし、本心から早く現物が見たいと思った。
 しかし、私が言うと亮はしばらくの間沈黙した。
「花、ごめんなあ」
 亮はボソッとした声で謝った。
「えっ、なんで謝るの?」
「だってさ、あの絵のせいで周りを騒がせちゃったし、それに北澤瞳となんか微妙な感じになっただろ?」
 そうか。あのやり取りも見ていたのか。
「いや、大丈夫だよ」
 本当は大丈夫じゃないかもしれない。女子同志って本当に難しい。これからのことを思うと少し憂鬱になる。でもそれでもいい。どう考えても瞳のあの言葉は許せなかった。
「まさか金賞を取れるとも思ってなかったけど、それ以上にまさかスクリーンに映し出されるなんて思ってなかったよ」
 亮は苦笑いを浮かべた。
「それはさ、スクリーンに映し出されるくらいの快挙なんだよ。いいじゃん校長先生嬉しそうだったしさ」
「ううーん。でも俺あの絵は花にも見せる気もなかったのにな」
 亮はため息をつきながら頭を抱えた。
「ねえ、その。なんていうか。あの絵ってさあ……」
 あの作品にはどう見ても私の横顔が描かれていた。しかも作品のタイトルは「初恋の人」。
 もし私が思っている通りだったら亮が私に見せたくなかった気持ちもよくわかる。
「ああ、そうだよ。花を描いたんだよ。はいはい。ごめんな」
 亮は私と目を合わさずに不貞腐れたように言った。
「別に謝らなくても」
「いや、謝るだろう。俺に好かれたって嬉しくないだろ。俺みたいなカッコ悪い奴に」
 言い方は強気だけど亮の顔は真っ赤だ。
「亮はカッコ悪くなんてないよ。絵を描いている顔なんてカッコイイよ」
 私は本心でそう思っている。昔から周囲に流されてしまう私と違って、亮は自分を持っている。人の目なんか気にせず自分のやりたいことに情熱を捧げる。それだけでも尊敬に値する。それに、例えばサッカーが上手い人は誰が見てもカッコいいと思うと思う。柱谷先輩なんてみんなからキャーキャー言われていた。でも私には絵に集中する亮は柱谷先輩よりカッコいいと思う。そう前から思っていたけど本人に伝えるのは初めてだ。なんだか私も恥ずかしくなる。
「ああ、そう。嘘でも嬉しいよ。じゃあ、もう元気そうだし俺行くわ」
 亮は椅子から立ち上がり、保健室を後にした。
 亮が去って今ここでであったやりとりを思い出すと動悸が始まった。なんだろう。この感覚は。これも、寝不足が原因なのかな。このまま寝ていようか、それとも起きて帰ろうか考えていると保健室のドアがガラガラと開いた。亮が忘れ物でもしたのだろうか。しかし、ドアの近くで様子を伺うように立ってたのは瞳だった。
「花、調子はどう? 入ってもいい?」
 瞳は恐る恐るといった様子でこちらを見ている。
「あっ、うん。大丈夫」
 私は体を起こし、椅子を指さした。
 瞳はゆっくり近づき、ついさっきまで亮が座っていた丸椅子に腰かけた。
「花は、気を失って覚えていないかもしれないけど、花がしゃがみこんだときさあ、松木がすぐに近寄って花をお姫様抱っこして保健室まで運んだんだよ」
「えっ、そうなの?」
 そうか。だから目覚めたとき横にいたのか。
「そのとき、私、武田君がどんな顔をしているか見てたんだ。武田くんしまったって言う顔していたよ」
「そうなんだ」
 私は毛布の角を触りながら答えた。
「なんだか武田君のことには全然興味ないんだね。あんなにイケメンなのに」
「あっ、う、うん」
 答えづらいけど私は頷いた。
「あのさ、さっきのことで謝りたいんだけどさ。花と松木って仲良いんだね。二人がご近所って言うのは知っていたし、小学校の頃はクラスが一緒だってのは知っていたけど、まさか今も仲が良いとは思わなかった」
 瞳はそこまで言うと、言いづらそうに口ごもった。しかし、再び口を開いた。
「だからその、ごめん。仲の良い友達をあんな風に言われたら腹が立つよね」
 瞳は悲しそうな顔で斜め下に視線をやった。そんな瞳に私は話し始めた。
「実は私さあ、昔から亮のファンなんだよね。私自身はなにかに一生懸命になったことないからああいう風に絵に情熱的なのっていいなあって思うんだよね」
 私は、枕の横に置いてあった紙を「これさっきもらったんだ」と言いながら瞳に渡した。
「ふーん」
 瞳の関心は薄そうだ。アニメを見ない瞳からすれば興味がないのだろう。
「私今思ったんだけどさあ、花って、松木のこと好きなんだね」
 瞳は私の目をまっすぐに見た。
「えっ、いや、ちっ違うよ。ぜんぜんぜんぜん」
 私は全力で否定した。
「うわっ、そこまで動揺する花初めて見た。反応がガチじゃん」
 驚いた顔で瞳が私を見る。
「だから違うって」
「いや、いいからもう。そうか、だから今までイケメンと付き合っても乗り気じゃなかったのか」
 納得したように瞳が言った。
「あのさあ、そのことなんだけどさ」
 言いづらい。でも良いタイミングだからこの際言ってしまう。私は毛布を強く掴んだ。
「私、今まで周りに流されて好きでもない男子と付き合ってきた。でも全然好きな相手じゃないから一緒にいても全然楽しくなかった。そういうのが相手にも伝わるから長続きしなかったんだ。だいたいみんな私のこと全然知らないのに好きとか言ってくるでしょ。正直そういう人の気持ちがまったくわからない。何をもってそんなこと言ってるのかなって」
 私は早口で言った。
「うわっ、正直な感想だね。私もそんなセリフ言ってみたいよ」
 瞳が顔をくしゃっとさせた。
「あっ、ごめん」
「ううん。冗談。それよりさあ、周りに流されたって言ってたけど、周りっていうか私だよね」
 瞳は自分自身の顔を指さした。
「えっ、あっ、まあうん」
 私は正直に首をたてに振った。
 すると瞳は「やっぱりそうかー」と体を折り曲げた。そして態勢を元に戻すと
「なんか本当に申し訳ない。私自分が無類のイケメン好きだから、みんなもそうなのかと思っていた。その価値観を花に押し付けてたんだね。そうか。そうなのか。本当にごめん」
 瞳は深々と頭を下げた。
「いや、いいよ。自分のことなのに流される私も悪いんだから」
 実際、無理やり付き合わされたわけではない。瞳がすべて悪いとは言えない。
「でも、本当の気持ちが聞けて良かったよ。もしこのまま知らないでいたらまた私同じことしてたよ」
 瞳を見ると心から反省しているのがわかる。瞳はちょっと無神経なとこもあるけどもともと素直でいい子だ。だからずっと付き合っているんだ。
「じゃあさ、もう私はなにも言わないから松木に思い伝えなよ」
 瞳は真面目な顔で言った。
「えっ、ちょっと何言ってるの? 何も言わないからって言ったのに、速攻で言ってるじゃん」
 なんだか瞳らしくて笑えてきた。
「あっ、そうか。ごめん。そうだねまた指示してたね。でもさあ、花、松木のことを話すときは楽しそうだよ、それにあの絵がスクリーンに映し出されたときに花の顔を見たんだけど、すごくきれいだった。今まで見た花の中で一番ってくらいに。だからかな松木に嫉妬して、キモイとか言っちゃったのかも」
 たしかにあの絵を見たとき、息をのんだ。そして絵の世界に入り込むような不思議な感覚があった。亮の絵は昔から好きだけどあんな感覚は初めてだ。
「瞳、私さあ、さっき亮に、亮はカッコイイよって伝えたんだ。瞳には分からないと思うけど、私にとって亮はかっこいいんだ。それでさっきここで会話しているときも胸がドキドキしてさ。これってさあ、そのなんていうか、その……」
 恥ずかしくて次の言葉が出てこない。
「うん。わかる。それは花の思っている通りだよ」
 力強い目で瞳が言った。
「そうかそうだよね」
 やっぱりこれが恋なんだ。今までピンとこなかったけど、これが恋なんだ。
「だったらさ伝えてきなよ。家も近いんでしょ。こういうのは思い立った時にした方がいいよ」
「そうだよね。うんわかった」
 私は毛布をどけると、靴を履こうとした。
「花、頑張ってね」
 瞳は握りこぶしを作って見せた。
「うん。ありがとう」
 私は靴を履くと保健室を出た。よく寝たから体の調子は問題ない。よし、走ろう。私はこの勢いのまま走り出した。校門を出て亮の自宅を目指した。
 息を切らしながら思った。結局今回も瞳に後押しされている。でも、今度は相手が違う。今度付き合う人は私が本当に好きになった人なんだから。髪の毛を振り乱して走る私を下校中の生徒が見ている。でも、そんなのかまわない。私は亮目掛けて全力で走った。

       ※

「ねえ、知ってる? 花って武田くんをフったらしいよ」
「えっ、そうなの? 信じられない。あんなイケメンを。私ならぜひお願いするけどな」
 休み時間。一部のグループは花の噂話で盛り上がっていた。花が教室にいないのをいいことに言いたい放題だ。瞳は苦笑いをしながらも噂話に耳を傾けた。
「しかもさあ、ここからが驚きなんだけど、今ね花は松木と付き合っているらしいよ」 
 教室中がどよめいた。
「嘘だよ。それはさすがに信じない。いや、でもたしかに最近よく2人でいるかも」
 噂話はエスカレートする。私は斜め後ろの席に目を向けた。やはり松木の席も空席だ。女子たちもさすがに本人の前ではそんな話題を出さないだろう。でも、これで花と松木の交際は公になったも同然だ。
 花とは保健室で話あって仲直りをすることができた。今ではなんのわだかまりもない。でも、ほかの女子たち同様、瞳もこの交際を100%支持しているわけではない。花が松木を思う気持ちはわかるし、幸せになってほしい。それでもやはり納得できていない自分がいる。
「あーあ、花は超絶イケメンと付き合うと思ってたのにな。よりによって松木なんかと」
 噂話をしているグループが大きな声で言った。その意見には同意だ。でも親友のことを思うといたたまれなくて、思わず俯いた。すると古典の教科書が目に入った。古典にはなんの興味もないけどなんとなく文字を追ってみた。
そのページには万葉集が載っていた。
「うましものいづく飽きかじを尺度が角のふくれにしぐひ合ひにけむ」
 たまたま目に入ったのがこの歌だったけど意味がわからない。瞳は現代語訳を調べた。そこにはこう書かれていた。
「美しい女はどんな相手とだって結婚できるのに尺度のような美女が、よりよって角に住む醜男と結ばれるとは」
 そうか、誰をも魅了するほどの美女が、醜い男と結ばれたんだな。なるほど。万葉集って難しいイメージがあるけど案外そうでもないな。たしかに現実世界でもこういう展開は稀にある。ん?
 あれっ、この状況って……
 そのとき、教室に花が戻ってきた。しかも松木も一緒だ。2人は楽しそうに見つめ合い、幸せそうになにかを話していた。