ハロルたちは街に程近い場所で、休憩することにした。
 処刑は見せしめのためにやると言っていた。だとすれば白昼に行われるはず。宿を取りたいが、夜に子供がうろついていたら騒ぎになってしまうので、それは望ましくない。もしかしたらハロルたちが抜け出したことも知れ渡っている可能性もある。体力のことを考えれば、一度寝ておいた方が良いだろうと思い至ったのだ。

 人が腕を広げたよりも太い幹に寄り掛かり、二人で座る。ハロルのポンチョを虚構術で肥大化させ、二人を覆った。肩を寄せ合うと、ミーンからはすぐに寝息が聞こえた。その等間隔の呼吸音に誘われ、ハロルも眠りの中へと落ちて行った。

 さらさらと頭の上で風の音を聞いて目を覚ました。ポンチョをどけると、草木は若葉色に輝いていた。太陽はまだ顔を覗かせて間もない。
 青い匂いを胸いっぱいに含むと、ゆっくりと息を吐き出した。隣でまだ寝息を立てているミーンの髪を撫ぜると、むにゃむにゃと口を動かした。
 胸の奥にじんわりとした温かみを感じた。思えば彼女を一目見たときから、なにか心の奥の方がざわつくような、くすぐったいような感覚があった。どうしてもそばに居なければいけないような、本当は一緒に居るべきだと言うような、漠然とした、しかし強固な使命感。

 ミーンが起きるのを待って、ハロルはポンチョを元の大きさに戻して被った。なにが起きるかわからないので【硬質化】と【受動防御】は再度書き直しておく。
 ミーンのジャンパースカートにも一応書いておく。頭上から振り下ろされるタイプの攻撃に反応できないだろうが、胸から脛まではカバーできる。

「なんか動きにくいね」
「我慢しろ。丈夫にしたんだ」

 街の入り口に向かう。が、門の方からなにかが近づいてくる。

「あれは……」

 向こうも気付いたらしく、走り寄ってくる。銀の髪に赤い瞳、隣には夜を纏ったドラゴン。こんなに清々しい朝にはあまりにも違和感のある一人と一匹だ。

「ミーン! 後ろに下がってろ!」

 同時に前に出る。
 ドリシエは目尻を吊り上げながら忌々しげに声を吐き出す。

「見張りの交代に行った兵士から小屋が開かないと連絡が入ったからアナタが関与しているんだとは思っていたけれど、まさかもうこんなところまで来ているとはね」
「へぇ。そっちから出迎えに来てくれたのかと思ったぜ」

 ハロルが口角を上げるとドリシエは眉根を寄せて睨みつけてくる。

「アタシはアナタが死んでいるのを確かめに行くところだったのよ!」
「おあいにく様だぜ」

 ハロルが鼻を鳴らすと、ドリシエは眉を曲げ、不敵な笑みを浮かべる。

「いいわ、ここで殺してあげる。この天才虚構士ドリシエ・ラブックがね」
「返り討ちにしてやるぜ」

 とは言ったものの、ハロルにはわかっている。虚構士としての格の違い。まともに戦っても勝てない。プロセスなしで虚構術を使えると言うのは、虚構士にとって一番のネックである遅延がないと言うことだ。それはつまり剣を振るスピードで虚構術が飛んでくると言うことなのだ。

 ハロルはポンチョの中で、ドミドミから奪っておいたナイフに創筆を走らせた。
 ドリシエがドラゴンに掌を向けると、ドラゴンが咆哮と共に炎を吐いた。
 ハロルは地面を転がりながら避ける。立ち上がりざまにナイフを投擲。避けずとも、外皮にナイフが弾かれ、ドラゴンの後方へ飛んで行った。

「くそっ!」

 想像以上の硬さだ。相手はドラゴンにも虚構術を掛けているのだろう。
 続けざまに吐き出された炎からは、ただ逃げるしかない。
 ドリシエはそんなハロルを見て笑っている。圧倒的な優勢を感じているのだろう。
 ハロルは別のナイフを取り出し、言葉を書き足して放り投げた。
 狙いは目だ。どれだけ固い外皮に包まれていても、目だけはやわらかい。問題は小さな的にそれを当てられるか。しかし、ナイフ投げの技術がないハロルでも、虚構術を使えばその問題もクリアできる。
 ドラゴンは長い尻尾を振り回しそれを跳ね除けた。

「まだだ!」

 返されたはずのナイフは空中で止まり、またドラゴンの眼に向かって飛んで行く。幾度となく撃墜されてもなお近づく。

「鬱陶しいわね!」

 ドリシエが溜まらず叫んで、ナイフに手を翳した。ナイフが地面に突き刺さる。防御に集中しなくて良くなったドラゴンから炎が放たれる。
 ハロルは走って避けたが、躓いて地面を転がる。手に持った創筆を地面に刺してよろよろと起き上がる。
 ドリシエは肩を揺らして笑った。笑いながら近づいてくる。

「いい加減諦めたようね。創筆を置くなんて」

 ハロルはぜーはーと大きく肩で息をしている。

「でも、諦めたところで、アナタを許したりはしないわ。ハロルの名前を使っているんだもの」

 ハロルは呼吸の隙間に、言葉を入れる。

「お前は、なんで、ハロルに、はぁ、固執するんだ。お前は、ハロルの、なんなんだ」

 ドリシエは赤の瞳を爛々と輝かせた。丸アーモンド型の彼女のそれはルビーのようだった。

「アタシはハロルの恋人」

 ズキリッと胸の奥が痛んだ。これは男のハロルのものだろうか。

「だったんだけどね……。ハロルが裏切ったの。私の心を、なにもかも全部知ってるくせに。家族が居るからとか言って、まだ妹が幼いからって……!」

 ドリシエはスッと視線を振って、ミーンを睨んだ。彼女は肩をびくつかせながらも、睨み返している。

「そうかい。ところでよ、お前の国では虚構士は創筆を置いたら負けを認めたってことになるのか?」
「そんな決まりはないわ」
「じゃあなんでオレはそんなことをしたんだろうな?」
「はあ? なにを言いたいわけ? そんな決まりなくたって、アナタが負けを認めたことには変わりな——ってアナタ」

 ハロルはニヤリと笑う。ハロルの息はまったく乱れていなかった。
 そしておもむろにポンチョから手を出して、地面に刺さった創筆を叩いた。創筆で。
 叩かれた方の創筆はナイフに変化し、二方向に赤い光の線を放った。線は先ほどドリシエとドラゴンに弾かれて地面に刺さったナイフへと走る。そこからさらに角度を変えて進行。三本のナイフは赤い光の線で結ばれた。言葉の数々がナイフからその線の上を伝って、すべてを結んでいる。
 ハロルがバックステップを踏むと同時に、地面から霜柱が上がった。ドラゴンは氷に包まれる。ドリシエはすんでのところで躱したらしく、地面に転がり足を押さえていた。全身氷漬けにはなっていないが、脛から下の辺りからは冷気のような白い煙が漂っている。

「虚構術は言葉を重ねるだけじゃあなくて、状況を限定すれば強力になるって、教わらなかったか?」
「知ってるわよ! 三本のナイフを結んだ中だけで効果が発動されると言うような文言があれば、限定的になる。でもいつから創筆を2本も」
「創筆が2本あったんじゃねえよ。ナイフが創筆に見えるように虚構術を使った」

 アミトラの眼が見開かれる。彼女は優秀な虚構士だ。しかし、創筆を使わない虚構術ということなら、ハロルも師匠譲りの優秀さを持っていた。

「それにしたってあんな強力な虚構術、相当の言葉を紡がないとできないはずよ!」
「だからたっぷり時間が有っただろう? オレが創筆を置いたと思えば、お前は余裕をかます。あとは質問を一つ二つしてやればお前は適当な時間しゃべってくれるだろう。肩で息をしてたのも、ポンチョの中の手の動きがバレないようにするためだぜ」

 ドリシエは足をさすりながら呻き声を漏らしている。ハロルが近づいたそのとき。

 ——パリィンッ!

 ガラスが割れるような音が響いた。それはドラゴンが氷を突き破った音だった。

「なっ……!?」

 頭だけを覗かせた状態で炎が放たれ、氷が溶けていく。やがてその炎はハロルに降りかかる。ポンチョが反応して防いだが、炎上は免れない。すぐさま脱ぎ捨て炎の軌道から離れた。そこへ立ち上がったドリシエが走ってくる。虚を突かれたハロルは反応出来ない。彼女から振り抜かれた脚が鳩尾に入る。

「ぐぇっ!」

 大きく吹き飛び、バウンドするほど強烈に叩きつけられる。地面に直線を描きながらなんとか止まった。剥き出しの太ももがすり傷だらけになる。

「ハロル!」

 ミーンが声を上げて走って来た。

 恐ろしい脚力だった。とても同じ体形の少女から放たれるものとは思えない。
 見るとドリシエはからかうようなまなざしを向けていた。

「アナタが嘘を吐くから、アタシも吐いたまでよ」

 おそらくあの蹴りは虚構術により強化された蹴り。ハロルの虚構術により凍り付き、冷気を放っていたように見えた足は、その実虚構術による演出だったのだ。擦っている間、ずっと虚構術で強化していた。
 ハロルの渾身の不意打ちも、ドリシエには効かない。諦めがふと脳裏をよぎる。
 だがそんな思考を遮るように、ミーンがハロルの前に出て、創筆を構えた。

「おいよせ!」

 彼女は振り返らず、カタカタと手を震わせている。創筆の筆先が歪んで、言葉を紡げない。

「アッハッハッハ! やっぱりミーンは、ハロルが居ないとダメなのねえ……忌々しい!」

 ドリシエが肩を怒らせながら近づいてくる。

「ミーン。弱いオレでごめん。最初からもう一人のハロルに頼ってれば良かったな。お前の言う通りだ」

 ミーンは首を振る。

「わたしだって、ハロルが居なくなるのは嫌だ!」
「ミーンを守れないならオレは消えてもいい。お前を守れなかったら、そんなオレには意味がないんだから。ここで死んだら、師匠もナガーも死ぬんだから。だから、呼ぶ」
「ダメだよ! ハロルが消えるくらいなら、わたしはわたしを要らないよ!」

 涙交じりの叫び声が、木々の間を何度も跳ね返った。

「なにをわけのわからないことを言っているのかしら? アナタたちを助けに来る人なんていないわよ? スー・レフォストは捕まえているんだから。どちらから先に死にたいのかしら」
「どっちも死なねえよ。その代わりドリシエ、会わせてやるよ。本物のハロルに」

 ドリシエは眉を顰めた。
 ハロルは立ち上がり、ミーンの肩を両手で掴む。

「なあミーン。教えてくれ。なぜ花に心は有ると思えるんだ? なぜ話しかけられるんだ?」
「わたしがそこにお花の命があると思うからだよ。だってお花は水をあげたら元気になるし、太陽を浴びたらニコッて、風が吹いたらふわって笑うんだよ?」
「そうか。ならさ、オレが元に戻れなくなっても、ミーンが心に話しかけてくれよ。そしたらきっと、オレはそこに居るんだろうからさ。それがわかってりゃオレも、ちょっとだけ怖くないぜ」

 ハロルはミーンを背中に隠すと、ドリシエとドラゴンを睨む。一歩前に出て、心の中を探る。

(よう、卑怯者。聞こえるか? この体をお前に返してやるよ。その代わり、この天才虚構士のハロル様に、力を貸しやがれ!)

 ぽぅ……と、頭の中に青白い光のイメージが発生した。誰にも見えない光だ。

(今度こそボクが体を乗っ取ってしまうよ?)
(もともとお前のもんだろ。オレは助けなきゃいけねえんだよ。いいから力を貸しやがれ)
(だったら、ボクの力だけを分け与えよう)

 すると突然、あらゆる言語が脳内に溢れ始めた。すぐにでも書かなければ、脳が焼ききれそうなほどの量。中には謎の言葉もある。ドラゴンと言う生物の意味だけではなく、体の構造までがつまびらかになっていく。わかっていないのに、感覚レベルでわかったと言えるような体験だった。
 ハロルはくるりと回った。高速で舞う創筆が、無限の言語の花を咲かせる。

「さっきの言葉は嘘か。やれ!」

 ドリシエの怒号が響く。ポンチョを失ったハロルは包み隠さず虚構術を使っている。相手の攻撃は当然だ。ドラゴンの炎がハロルを包んだ。