二人は街に続く道を歩いていた。道とは言っても森の中の土を踏み固めたような所だ。湿った場所では足を取られる。陽も随分と傾いてただでさえ暗いと言うのに、木々がさらにそれを遮って足下を覚束なくさせている。
 さっきまでは興奮して走って来たハロルも、この足場の悪さで歩きに変わり、どんどんと冷静になって来ていた。冷静さの先に待つのは、鬱屈とした思い。受け入れなければならない自分自身の不確かさ。

(オレが偽物だったんだな)

 先の窮地を救ったのは男のハロルだ。ドリシエ曰く、彼女の真似をしたハロル名を騙る偽物。自分はハロルが現実逃避をするために創った別のハロル。虚構そのものだと言うこと。

(いや、でも、ちげえ。だってオレは今こうして考えてるじゃねえか。師匠を助けるために歩いている。この思考も行動もオレのもののはずだ。オレは、オレとして……だから! でも、これすらも虚構なのか? いや違う、でも、くそ)

 思考がまとまらなかった。受け入れがたい真実だった。皮肉なことに師の処刑が迫っているという焦りだけが、ハロルの思考をかろうじて現実に留めさせている。

「ねえハロル」

 言われて振り向いた。

「わりい、ちょっと早かったか」

 止まるとミーンが追い付いてきた。

「大丈夫。それより」

 ミーンがハロルのポンチョの裾を摘まんだ。

「男の子のハロルに出て来てもらおうよ」
「は……?」

 突然なにを言い出しているのだろう。ハロルは理解が追い付かない。

「さっき女の子のハロルを出してあげてって頼んだら今のハロルに変わったの。男の子のハロルに変われない?」
「え。いや、なんで……?」
「お師匠さまが危ない。それにお師匠さまを助けるにはドミドミやドリシエやアミトラと戦わないといけない。わたしたちだけじゃあ無理だよ。男の子のハロルは、創筆なしでなんでも出来るからきっと強いよ。助けてもらえるように、お願いしようよ!」

 ハロルはとてつもない虚無感に襲われた。
 つまり、ミーンは自分より男のハロルの方が必要だと言っているのだ。たった一度か二度、目の前に現れただけのハロルの方が、彼女にとって必要なのだ。わかっている。自分が偽物なのは。ただの虚構術なのは。だけれども、しかし、師を助けたいと願ったのは自分だ。そのために行動しているのも。ミーンと共に歩いているのも。全部自分なのだ。なのにミーンは今の自分を必要としていないのだ。
 今度本物のハロルと代わったとき、果たして偽物の自分に戻れるのかと言うのは非常に曖昧な問題だ。もともと向こうが本物なのだ。本物のハロルのまま、自分の意識は一生覚醒しないかも知れない。
 だとしたら今ここに在る思考とは意思とは魂とはなんなのか。

(……オレは、なんだ?)

 気付けばハロルはミーンの手を振りほどいていた。
 ミーンの半開きの眼が丸く開かれる。

「なんなんだよ! なんでだよ! オレは、オレなのに……オレがハロルなのに!! ミーンもドリシエみたいにあっちが本物とか言うのかよ!」
「え! ち、ちが——」

 ハロルはミーンを背に歩き出した。スタスタと彼女の歩調などお構いなしに歩いていく。顔も見たくない。声も聞きたくない。信じていたのに。友達だと信じていたのに。

「ね、ねえ」

 ミーンの声が少し遠い。でも、歩みを緩めるつもりはない。

「待っ——」 

 ——ドシャッ。

 地面のぬかるみに足を取られたのだろう。

「ハロルぅ」

 ほとんど半泣きの声色だったが、それでも止まれなかった。どうしてミーンがあのようなことを言うのか、ハロルには理解できなかった。いや、理解したくなかった。理解してしまえば、自身の存在価値が失われる。もうこの世に存在しなくて良いことになってしまう。それを一番の友達であり妹弟子である彼女には言って欲しくなかった。たとえ偽物でも虚構術でも自分の力でなんとかできると証明したかった。存在価値があるのだと。ミーンにだけはそれを認めて欲しかった。

 もうミーンの声はしない。辺りは暗くなってきた。足下のぬかるみに自分も足を取られてこけそうになる。踏みとどまったが、それほどに歩くのが困難だと言うことに気付く。すると、不意に不安に苛まれた。怒りに任せて歩いてきたが、さすがにこのままではミーンが迷ってしまう。
 まだ怒りは収まっていなかったが、ミーンに対する心配がドンドンと広がって来た。解決しない感情に一旦の区切りをつけて、後ろを振り向いた。

「ミーン」

 しかし声が返って来ない。

「ミーン?」

 なおも返って来ない。
 転んで、頭でも打って気を失ったのだろうか。
 ハロルが来た道を引き返そうとした刹那——

「ケヒャッ!」

 闇から怖気(おぞけ)の走る声が聞こえた。