御者台(ぎょしゃだい)で手綱を引くスーの後ろから、ハロルが顔を出した。

「ミーン、連れてきちまったけど、良かったのか?」

 頬に手を当ててスーにだけ聞こえるように囁いた。

「彼女の覚悟を忘れましたか?」
「そうだけどさ。でも、状況が違うっつーか、ドミドミはすげー強いし」
「おや、天才虚構士が聞いて呆れますね」
「な!?」

 大声を出して、慌てて後ろを振り向く。ミーンはキョトンとして首を傾げて、それから笑顔になった。
 いつもは自称しているが、師からその言葉が出るとは思っていなかった。スーの横顔を覗く。

「それに、彼がアミトラとドリシエの名前を出した以上、彼らの狙いは関係性のある人物です。アミトラと同期だった僕とドリシエと同郷のハロルがそれに該当します。もちろんハロルは別人のハロルのことを指しているようですが、ともあれ二人を想定しているはずです。もしなんらかの形で我々が罠に掛かってしまっても、想定外である三人目——ミーンが救い出してくれるかも知れません」

 大真面目な声だ。本当にミーンを信用しているのだ。10歳の女の子を。
 自分を一人前と認識してくれたのはいつだろうかと思いを巡らせる。学校へ行き、夢見子探しを手伝ったのがそうだとすれば11歳の頃だ。ハロルは唇を尖らせる。彼女の方が自分より早くに師匠の信頼を得ているではないか。
 後ろを振り向くと、ミーンは馬車に揺られながら本を耽読《たんどく》していた。本当に勉強熱心だ。

「そう言えば、師匠は本当にアミトラをナガーのとこに連れて帰るのか? ナガーに復讐させるのか?」
「さあ? 彼女が断罪するかどうかはわかりません。それに国がアミトラを庇っていたら、我々では手の打ちようがありませんし」
「じゃあなんであんな言い方をしたんだよ」
「憎悪であれなんであれ、生きようとする思いは生命力を根幹から呼び覚まします。毒に体を蝕まれていく状況で気持ちが負けてしまったら、タイムリミットが短くなってしまうかも知れません。護衛だから僕たちを守らなければならないという使命感のために簡単に命を投げ出せるような人間には、頑張って生きていて欲しいなどと言う生温いエールは届かないでしょう。彼女には明確な生きる理由が必要です。それがたとえ憎しみであっても、彼女の生命を燃やすための燃焼材になるのなら、僕はいくらだって虚構を創り上げます。虚構士ですから」

 目を細めるスーに、ハロルは息を呑んだ。創筆で虚構術を使うのが虚構士だと思っていた。しかしその実、虚構士の本質は妄想が出来るかどうかにある。想像を超えた先にあるもの。それを顕現させることが出来るかどうか。彼は創筆など使わなくても、言葉を巧みに操ってナガーに虚構を見せ、生命力を増幅させたのだ。
 先の戦いでは手も足も出なかったハロルだが、スーと一緒ならばなんとかなるかも知れないと思った。

 国境を跨いだ橋に差し掛かった。国境検問所でアシオン王から賜った通行許可証を見せると、兵士は門を開き通してくれた。
 しばらく道なりに馬車を走らせていると、林の中に入った。木々の合間、彼方に街の存在を認めた。そのときだった。

「キャインキャイン!!」

 不意に犬の叫び声が聞こえた。スーが手綱を引いて犬を止めると同時に、ハロルは馬車の外に躍り出る。見ると、一匹の犬が血を流して倒れている。他の犬が低い唸り声を出し、攻撃があったであろう方向を見据えている。
 木の向こう側から、ぬらりと影が現れた。逆三角形のシルエット。頭からケープを被った出で立ちでは、体の動きを知ることは出来ない。

「ケヒャッ!」

 日の当たる場所に出ても、彼の三白眼の下に落ちた隈は暗いままだった。
 ハロルがポンチョを翻して創筆を取り出す。よりも前にドミドミからナイフが放たれていた。眼前に迫ったナイフはしかし、肌に触れることなく地面に落ちた。
 弾いたのはポンチョ。その裾。布製のポンチョがシャランと音を立てる。付与虚構術が発動していた。

「天才虚構士を舐めて貰っちゃ困るぜ」

 上唇をぺろりと舐める。創筆を構えた。

「ハロル! いけません!」

 スーの迫力のある声に、ハロルの指が止まる。ドミドミは振り向きざまにナイフを投擲。凶刃がスーに迫る。腕でガードして致命傷は避けられたが、袖には血が滲んでいる。

「師匠!」

 ハロルはすぐさま創筆を走らせる。

「っく……! ハロル、挑発に乗ってはいけません」
「ナガーのときと同じにしたくねえんだ! あのときだって、オレが援護してれば勝てた!」

 これ以上目の前で仲間を傷付けられるのは嫌だ。あのときは迷いがあって動けなかった。だが今は違う。同じことを繰り返さないため、スーに止められようともするべきことをする。ここで指を咥えて全滅するのを眺めるなど、正しい判断のわけがない。
 考えながらもハロルは創筆を走らせている。対象にしているのは近くの雑草。
 創筆が踊りをやめると、細長い葉を持つ草が巨大化を始め、すぐにハロルの背丈を越えた。それは隣の草へも次々に連鎖していき、ドミドミとハロルとの間に緑の隔たりを作った。さらにその草は長い葉をしならせ、ヒュンッと伸びてドミドミの足へ迫る。あっさり回避されるも、間髪入れず無数の葉が次々に追いかけて行く。勢い良く地面に突き刺さるそれらは、まるで緑色の刀剣。一撃の威力はそれほどないにしても、プレッシャーを与えることは出来る。もとよりこれは相手を傷付けるための虚構術ではない。一本の葉がついには片足を捉える。すぐにナイフで切られたが、そのナイフにも絡みつき無力化。間を置かず葉が足に伸び、両足に巻き付いた。その葉が戻ろうとすると、ドミドミは後頭部を打つような形ですっ転んだ。さらに別の葉が襲い掛かり、腕に絡まる。これで完全に縛することが出来た。

「ハロル凄い!」

 後ろでスーの手当てをしていたミーンが喜びの声を上げた。
 ハロルは創筆の先をドミドミに向けて、腰に手を当てた。

「もう勝ち目はないぜ。さあ、ナガーに撃った毒の解毒薬を渡せ。そうすれば逃がしてやる」

 しかしドミドミの顔に浮かんだのは焦燥や憤怒ではない。余裕だ。

「ケヒャッ! 掛ったな」

 その声が聞こえたと同時に、咆哮がハロルの耳を劈いた。一瞬オレンジ色に光ったかと思うと、目の前の巨大化した草が燃えていた。

 炎の先には夜を纏ったドラゴン。
 後ろには銀の髪に赤の瞳を持つ少女が立っていた。見覚えのある顔。

「え、ハ、ロル?」

 ミーンの動揺を乗せた声がドラゴンの後ろに居る少女に向けられた。
 そう。見覚えがあるはずだ。髪と目の色が同じと言うだけでなく、輪郭や目の形までハロルにそっくりだったのだから。
 白いブラウスに黄色いリボン、ふわっとしたスカートがお嬢様のようなで、ハロルとはまるで違う雰囲気だった。忌々しげな視線をハロルに突き刺しながら彼女が歩き出すと、サラッとした髪が肩の上で踊った。近付いて来ても、ハロルは固まったまま声を出せないでいた。

 その横を、背の高い女性が歩いていた。赤茶色の髪は耳に掛かる程度のベリーショートだ。
 炎が消えると、背の高い女性の方が前に出た。丸眼鏡のブリッジをくっと上げると、鋭利な一重の瞳は光の反射により見えなくなった。

「久しぶりね。スー」
「アミトラ……。断罪されたのではなかったのですね」
「ふふふっ。私は私の仕事をしただけよぉ? 裁かれる謂《いわ》れはないわ」

 不敵な笑みを浮かべる。

「さて、さっそくで悪いけれど、エノスの兵士にケガを負わせたのはだぁれ?」

 アミトラはドミドミに一瞥をくれたあと、ハロルたちを見回した。

「待てよ。ケガを負わせたのはそいつだぜ。うちの師匠の腕を見てみろ」

 言われるままに彼女はスーへ近づいていく。

「あらまあ、確かにケガをしているわね。でも証拠は? 彼が自分自身で切ったんじゃあないの?」
「ああ!? そこにナイフが落ちてんだろうが!」

 アミトラはナイフを拾い上げると、ふふふっと笑った。拾い上げたナイフに創筆を走らせると、すぐに自分の腕に突き立てる。ふにゃりと曲がる。

「こんなおもちゃでは傷は付けられないわ」

 掌を空へ向け肩を竦めた。

「おい! 見てたぞ! 今虚構術使っただろうが!」
「あらぁ? そんなことをしたかしら? ドリシエ」

 ドリシエと呼ばれた少女は、フルフルと首を振る。ドリシエと言う名前には聞き覚えがある。イアルグの村の村長が口にしていたからだ。村長もハロルの顔を見てドリシエに似ていると言っていた。ドラゴンを扱っていることからも彼女があの火事に関与していることは間違いなさそうだ。そんなことがちらりと脳裏をよぎったハロルだったが、今はそれを問いただしているような場ではない。

「お前らぁ……!」

 ポンチョをまくりながら拳を握って近づいていく。

「やめなさい! ハロル!」
「ハロルですって!?」

 今まで黙っていたドリシエが急に声を上げた。目を見開いて驚きをあらわにしている。

「アタシの偽物が居るって聞いていたけど、まさかその偽物がハロル名を(かた)るなんて!」

 指を向けて震えている。

「偽物呼ばわりするんじゃあねえよ。オレはハロル・バードリー。お前の知ってるハロルとは違うぜ」
「バードリー? やっぱりハロルの名を(かた)ってるんじゃない! アナタがハロル・バードリーなはずないわ!」

 ドリシエはうろたえ、声を荒げた。ハロルはまったく訳がわからない。

「アタシの知ってるハロルは金髪青眼だし、虚構術を使うときに創筆なんて使わないわ!」
「それって!」

 突然ミーンの声が響いたが、言葉にしたのはそこまでで、慌てて口を押えた。
 ドリシエは彼女に一瞥をくれたあと、ハロルに向き直り鼻を鳴らす。

「とにかくアナタは、アタシの真似をしてハロルの名を騙る偽物よ!」

 ドリシエは言い放ち背を向けてしまった。代わりにアミトラが前に出る。

「虚構術で草を大きくしたのはあなたで間違いないのかしら?」
「オレだ。なんか文句あるか」
「あなたたちはアシオン国民でしょう? 虚構術使用許可証は?」
「は!? ふざけんなよ! お前んところの兵士がナイフ投げてきたから——」
「だからぁ、証拠は?」

 ハロルは奥歯をギリッと噛み締めた。

「国際法に抵触する違反行為よ。来てもらうわ」

 アミトラがおもちゃと化したナイフをドリシエに渡すと、彼女はそのナイフをポンとハロルの腕に置いた。するとそのナイフが紐のように巻き付き、ハロルの両腕はくっつけられて自由が利かなくなってしまった。

「——え」
「言ったでしょう? アナタは偽物だって」

 彼女が創筆を使ったようには見えなかった。本当に創筆なしで虚構術を使える人間がいるとは。

「さて、この国際的問題児の師匠はあなたよねぇ」

 スーの腕にも縄が掛けられた。

「お、おい、師匠は関係ないだろう!」
「いいえ、虚構士を育てる人間と言うのはそれなりの義務を負うものよぉ? で、そこのおちびちゃんは?」

 視線を振られて、彼女は肩を縮めて震え上がった。

「ミーンは本当になにもしてねえ! 関係ないんだ」
「ミーン!?」

 またしても名前に反応したドリシエが、つかつかと歩み寄っていく。ミーンの肩をガシッと掴む。赤い丸アーモンド型の目をガッと開き、彼女の瞳を覗き込む。すっかり怯えてしまったミーンは顔を逸らせないでカタカタと震えている。

「アミトラ、この子も連れて行きましょう?」

 腕を取られたミーンが苦痛に顔を歪める。
 構わず腕をぎゅうと握り締め、ドリシエは恍惚とした笑みを浮かべた。

「アタシのハロルを奪ったやつは、みんな死ねばいいのよ」