明朝、村長にナガーの世話を頼んだ。一時凌ぎとは言え、アシオンがイアルグの名もなき村に食料を運んだのは事実だ。その恩義がある以上、村としては手負いの兵士を助けないわけにはいかない。ただ良心に付け込んで世話をさせるのはあまりにも横柄が過ぎるので、7日間分の宿賃を渡して、お願いする形を取った。貧しい村においてはそれもやぶさかではないようだった。

 3人は馬車のあった場所へ向かった。予想通り馬は居なかったが、馬車はそのままあった。

「わあ! 馬車は無事だったんだね」
「壊して行くほどの余裕はなかったんだな。でも、これだけあってもなあ」
「これだけあれば十分ですよ。まあもちろん、昨日の間に仕掛けた罠に引っ掛かっていればですけど」
「罠?」

 ハロルとミーンが同時に首を傾げるのを尻目に、スーは歩き出す。
 森の中に大きな木の檻が設置されており、その中に野犬が入っていた。その檻は4つあり、計4匹の野犬がこちらを見て低い声で唸っている。相当な大きさだ。犬と言うよりは狼に近い。

「え、これどういう?」
「先日村長が、この辺は夜になると野犬が出ると仰っていたでしょう? 馬がいなくなっている可能性をナガーから聞いたとき、野犬を得ておくべきだと思ったのです」

 スーはゆったりとしたローブの上に巻き付けられたベルトから創筆を引き抜いて、自分の袖に走らせる。

【かの者たちの寄る辺。健やかなる息吹。香気(こうき)芬芬(ぷんぷん)(いざな)いの芳香。近寄り咽ぶ。纏いし衣。何物も貫かぬ鋼。その強度。まさしく(ほこ)折り。銅牆(どうしょう)鉄壁(てっぺき)

 そうしてスーは檻の格子を開けて中に入った。ミーンが声を上げ近づきそうになるのを、ハロルが止めた。

 野犬が一直線にスーの袖をめがけて噛みついてきたが、牙が通らない。フカフカとしたローブの上、牙がつるつると滑り、噛みあぐねている。その犬の頭に直接創筆を走らせると、スーの腕から離れ、落ち着き、最後には尻尾を振り始めた。
 スーはその調子で4匹すべてに虚構術を掛けていった。

「すげえや。でもなんで師匠はわざわざわかりづらい古代の言葉を使うんだ?」
「古代言語の方が表現に幅が出るのですよ。今は失われてしまった表現方法が豊富なのです。それらと現代語を織り交ぜた方が自分の使いたい虚構術の本質をより具体的に表すことが出来て、効果が高まります。さらに本来は無意味な重複も、言語が違えば効果は増します」
「あー、他言語なら重複してもオッケーってやつか。でも、どこが重複してんのかわかんなかったぜ」

 ハロルはポリポリと後頭部を掻いた。

「ところでこれ、どれくらいもつんだ?」
「以前ハロルを気絶させたときは4日持ちましたから、それくらいは」
「オレ、犬と一緒にされてる……?」

 ハロルは怪訝な顔になりつつも、人懐っこくなった犬に紐を結んで、馬車に括りつける作業を行った。ミーンも手伝いながら、疑問を口にする。

「お師匠さま、そんなに凄い虚構術が使えるなら、ナガーも治せないの?」
「もしも毒の性質を知っていたら、それも出来ます。しかし我々虚構士と言うのは、知らないことを正確に導き出すことは出来ません。例えば檻も木の檻を見たことがあるから植わっている木に虚構術を掛けて作れましたし、先の虚構術も犬の好きな匂いと鋼の存在を知っていたから使えたのです」
「でも、ハロルは? お花をしゃべらせたよ?」
「もちろん、その限りではありません。我々虚構士は妄想することができますから、人々の想像の限界の先の世界を予想し、この世界に顕現させることが出来ます。先の僕の虚構術が論理(ロゴス)に基づくものなら、ハロルの虚構術は空想(ミュトス)に基づくと言えるでしょう。ハロルはしゃべる花の存在は知りませんが、別々に花の存在と声の存在を知っていたので、そこから空想を閃かせ花をしゃべらせる虚構を思いついたのでしょう。しかしそれでも、すべてがつまびらかになっているわけではない毒に対して虚構術を使うにはリスクが伴います。毒を刺激してナガーの体調を悪化させる可能性もあるのです。そんな賭けをするような事態では、まだありませんから」
「そうなんだ」
「以前も言いましたが、虚構術はリアルでなくても良いですが、リアリティは必要なのですよ」