炎の壁と柱が至る所にあった。それが、燃焼中の家屋であることに気付いたのは、数秒置いてのことだった。
 必死に逃げていた。遠くから近くから、叫び声と泣き声が聞こえてくる。幼い自分に出来ることは、ただ逃げること。

「居たぞ!」

 村人の声が聞こえた。同時に石が投げつけられた。肩や背中に当たって、よろめき倒れる。立ち上がろうとすると激痛が走った。立てない。しかし、彼らに捕まったら殺されてしまう。

「待て!」
「捕まえろ!」
「お前のせいで……!」
「今すぐあの黒トカゲをなんとかしろ!」

 黒トカゲ? それを自分が連れてきた? どうやって? 花壇の花を大きくしたときと同じく、無意識のうちにやってのけたのだろうか。
 周囲を見渡すと確かに黒トカゲが居た。咆哮を上げながら暴れていた。家屋に火を吐きかけ、泣き喚く子供に容赦なく尻尾を振りかざした。
 どうやって止めればいいのかわからない。
 混乱の極みに至っても、迫る炎と村人は待ってはくれなかった。


※  ※  ※  ※


 ハロルは見慣れない天井をいつの間にかぼんやりと見ていた。覚醒は随分前にしていたようなのに、ぼんやりとしたダルさに縛り付けられ、起き上がることが出来ない。ハロルはそのまま目を閉じた。

「お師匠さま、ハロルは大丈夫なのかな……」

 ミーンの心配そうな声が聞こえた。

「心配ないですよ。いきなり倒れてしまいましたが、今は寝ているだけです」

 スーは穏やかな口調だった。

「あのときみたいに、変わっちゃうのかと思った」
「花壇のときの、ですか?」
「うん。あのときもハロルは急に気を失って、それから半分だけ髪の色が変わって、目も半分だけ青くなっていたの。お花に手を向けただけで、お花を大きくしたんだよ。虚構術って、そんなことが出来るの?」

 スーは眼鏡のブリッジをくいっと中指で押し上げる。

「出来ないと言う解答は虚構士としては出来ませんね。しかし、経験則で言えば出来なさそうではあります。そもそも我々が創筆を使うのは、頭の中にあるイメージを文章化してより明瞭にして具現化するためです。そのプロセスを省いて良いと言うのなら、ハロルが思ったように世界を作り変えてしまえると言うことですから、出来ればそうであって欲しくないと思いますね」

 スーは切実に願っているような口調で言った。
 ミーンは言うのを躊躇うような仕草を見せてから、おもむろに口を開いた。

「ハロルは、何者なの?」
「何者、とは?」
「ハロル、出会ったとき言ってた。師匠と会うまでの記憶がないって。それってつまりハロル自身も自分がなんなのかわかってないってことでしょう? お師匠さまが、記憶を失う前のハロルを知っているなら、知りたい」

 スーは一度天井を見つめ、ゆっくりと視線を下ろした。ハロルの瞼は下りている。

「この村の近くで拾ったのが最初です」


※  ※  ※  ※


 スー・レフォストがイアルグ国に在る名もなき村に派遣されたのは、調査のためであった。
 なぜ火事が起きたのか。
 それは人為的によるものか、自然災害か。
 だが道中、それらすべてを後回しにすることになる事件が起きた。

「大丈夫ですか!? 君!」

 村の近くの池のほとりに、少女が倒れていた。声を掛け抱き起すと、銀色の髪がサラサラと揺れた。
 ケガなどはないうえ、息もしっかりしていたが、意識がない。火事の生き残りか。まったく関係のない捨て子か。いずれにせよここでは手当てができない。村に行ったところでそれは変わりないだろう。

 スーは少女を背負って一度家に戻ることにした。

 少女の意識が戻ったのを確認してからもう一度その村を訪れたが、村の家屋はほとんど倒壊しており、生存者も両手の指で足りるほどだった。またスーは、これは自然災害ではなく人為的なものであると言う旨の資料を作って提出したのだが、だからと言ってアシオンが積極的に犯人捜しをすることはなかった。所詮はパフォーマンスだったからだ。友好国が大変な状況に、人を遣わせて調査をしたという事実が欲しかっただけなのだ。実際、そのあとアシオンの兵士が数人出向き、数日分の食料を与えたらしいが、それ以上の関与をしたとは聞いていない。

 やがてその火事は忘れ去られ、スーの元には、ハロル・バードリーと名乗る少女だけが残ったのだった。


※  ※  ※  ※


「当時は王からの命令で、村の火事の調査をするだけで終わってしまい、村の人々に彼女のことを聞いて回ることも出来ませんでした。国も違いますし、気軽には来られなかったのです。村の生き残りかも知れないと思いはしましたが、彼女の記憶がなかったので僕の下で育てることにしました。虚構士の才能も有りましたからね」
「じゃあ、お師匠さまも知らないんだ」
「そう……ですがまあ」

 スーはハロルに視線を向けて、やわらかく笑んだ。

「ハロルはハロルですよ」