それから数日が経ったある朝のことだ。
「都から素敵な公達がいらしているわ」
 廊下に集う女房たちが色めきたっていた。
「その素晴らしい容貌から、光る君と呼ばれているそうよ」
 しかし、まだ幼かった私は公達にたいした興味はわかなかった。そのまま横をすり抜けた。ただ、友達と遊ぼうと雀のいる部屋へと急いだ。
「あ」
 それはどちらの声だっただろう。私か、犬君か。
 ピーッと鳴き声が耳元を掠めていった。
「雀さん!」
 私は裸足のまま庭に飛び降りた。雀の子が行ってしまう。
 私の友達が行ってしまう。
 雀が飛ぶ方向へと庭の中を必死に追いかける。
「きゃっ」
 私はつまずいて地面に転がった。
 一瞬、雀が動きを止め、こちらを見た、気がした。
「雀さん!」
 地べたから顔を上げてそう叫ぶ。が、次の瞬間には雀は遠い空へと飛び立って行ってしまった。
「……だってかわいそうだったんですよ」
 私が呆然と空を見つめていると、いつの間にか側にやってきた犬君がぽつりと呟いた。
 私は立ち上がって犬君を突き飛ばした。
「いぬきのばかっ! 外は危ないわ。烏とか猫に食べられちゃうかもしれないじゃない!」
 犬君はよろけた体勢を立て直してから再び呟いた。
「でも、籠の中の鳥は、かわいそう」
 私は駆け出した。犬君が見えない場所へと。 かわいそうじゃないわ。だってみんな大事にしてくれるじゃない。ここにいれば安心じゃない。
 目から涙が溢れてくる。それを拭うこともなく、私は駆けた。
 庭に巡らされている小柴垣の側まで辿り着く。垣根に手をついて息を整えていると。
「ーーおや」
 男の人の声が聞こえた。
 私ははっとして顔を上げた。
 垣を隔ててすぐ近く。よい身なりをした男が扇で口元を隠して佇んでいた。笑顔をこらえるようなその目元が涼やかだった。顔の半分が隠れていても一目で美しいとわかる男。
 誰?
 私が首を傾げる間もなく、その男はすっとその場から立ち去った。あとにはかぐわしい香の匂いを残して。
 そのあとのことはよく覚えていない。
 雀がいなくなってしまったことがただただ悲しくて「雀の子を犬君が逃がしてしまったの」とうわごとのように繰り返していたようだ。
 犬君はその日から姿を消した。
 少納言の怒りを買って、実家に戻されたとも聞いた。また友達を失ってしまったことに絶望し、幼い私は泣きわめいた。
「かわいそう」
 私の心の中で犬君が言う。
「籠の中の鳥はかわいそう」