13.吉丸くんのお祝い会
「おう! 兼友も来いよ!」
ある夜更け。仁和寺のある部屋の前を通りかかったとき、僕は宗心に呼び止められた。部屋の中は何やら楽しそうにざわざわとしている。
「何? 何?」
僕はわくわくして尋ねた。
「吉丸が、今度剃髪して法師になるんだよ。そのお祝い会やってんだ」
「あ、吉丸くんのお祝い会かー!」
僕は中に入っていった。吉丸くんは僕より二つ年下の十歳だった。
部屋の中央では吉丸くんがうつらうつらしていた。もう眠いのだろう。よくこの騒ぎの中寝られるなと僕は思ったが、寝る子は育つから良いことだ。きっと大物に育つに違いない。
「次、宗心行きまーす! 奥義、鼎踊り!」
どうやら皆お酒が入っているらしい。宗心がそばにあった三本足のデカイ器を手に取ると、周りの皆が「おーっ!!」と歓声を上げた。ちなみに、お酒は二十歳になってからじゃなくても飲める世の中だが、僕はまだ飲んだことがない。
「ふっし!」
宗心は鼎を頭にかぶった。いや、かぶろうとした。どうやら鼻がつかえて入らないらしい。
「宗心、もう少し大きい器じゃないと無理なん……」
「宗心の~! ちょっといいとこ見てみたい! それ、一気! 一気! 一気! 一気!」
僕の提案は、皆の歓声にかき消された。宗心は「秘技! 鼻潰し!」と叫んですっぽりと鼎を頭にかぶった。
「おおー!!!」
宗心が鼎をかぶって「伝家の宝刀! タコ踊り!」と手をふらふらさせて踊り始めると、皆の盛り上がりは最高潮に達した。僕は「これが大人になることか」とちょっと引いた。
「はい、次の方ー」
肝心の吉丸くんはもう完全によだれをたらしながら眠っていたが、出し物はまだ続くらしい。宗心は踊り終わって鼎を脱ごうとした。
「あれ?」
宗心が鼎を一生懸命上に持ち上げているが、鼎は全く抜けない。
「もうタコ踊りは終わってんだよ、宗心」
盛恵が鼎の三本足のひとつを掴んでぐっと引き寄せた。
「ぐえええええ!!!!」
宗心の叫び声が聞こえた。
ーー抜けない。
皆の赤い顔は一気に青覚めた。
「ど、どうしよう」
僕はおろおろした。皆もおろおろしている。盛恵も顎に手をあてて難しい顔をしていた。
僕は目を瞑って頭をフル回転させた。そして思い付いた。
「そうだ! 鼎を割っちゃえばいいんだ!」
「おおー!!!」
皆の歓声が上がった。「なるほど」と盛恵は立ち上がって部屋の外へと駆けていく。しばらくして戻ってくると、その肩には巨大な丸太棒を担いでいた。それはどこか鐘をつく丸太棒に似ていた。
「盛恵、それ、どこから」
「細かいことは気にしなくていいんだ」
いや、気になるが、と思ったが今はそれどころではない。
「そーれっ!」
盛恵は宗心の頭の鼎目掛けて丸太棒をぶんまわした。
ぐわわわわわああぁぁん……
とても厳かな音が響いた。これが煩悩を忘れさせてくれる鐘の音か。ーーしかし。
「こ、ろ、す、き、か!!!」
中から宗心の悲痛な叫び声が響いた。
鼎は全くヒビすら入らなかったのである!
僕はさらにおろおろした。
「そ、そうだ! もうこうなったらお医者さんに行こうよ!」
盛恵は「それが一番だな」と呟いた。
とりあえず頭の上に着物をかぶせた。このまんま外を出歩いてしまうと「三つの角を持った化け物だ!」と大騒ぎになるか、もしくは「仁和寺の宗心がまたコスプレしてんのか。仁和寺の外でのコスプレは禁止だぞ」と怒られてしまうからだ。
そしてお医者さんに診せた。お医者さんは手首の脈を取り、足をさすり、お腹と胸の調子を見てから悲しそうに首を振った。
「こんな病状は書物でも師からの教えでも知らない」
僕たちは仁和寺に帰った。お金はちゃんと取られた。
「あああ、私のかわいい宗心!!」
「大丈夫か、宗心!」
宗心のお母さんやお父さんがやってきてさらに大騒ぎになった。
どうしよう。
僕はまた目を瞑る。そして考える。
こんな時、兄上なら……。
「ーー初心にかえれ」
僕の耳に兄上の声が聞こえた気がした。僕は立ち上がった。
「皆さん、引っ張って鼎を抜きましょう」
盛恵は深く頷き「兼友の言うとおりだ」と立ち上がった。
「い、や、ま、て! も、げ、る! み、み、と、は、な! も、げ、る、か、ら!」
鼎の中から叫びが聞こえる。盛恵は首を横に振った。
「宗心。この世に命より尊いものはないんだ。耳と鼻がなくても生きていけるよ」
「ま、て! い、い、こ、と、いった、つ、も、り、か!」
「せーのっ!」
皆が鼎を引っ張った瞬間。
「ひっ、さーっつ! のっぺら、ぼー!!」
すぽーんと、鼎は抜けた。
鼎の抜けた宗心は手をついてぜえぜえと肩で息をついた。かすり傷だがちょっと血が滲んでいて、見ているだけで痛かった。
「俺……耳動かせるんだった……」
「なんだ宗心、水くさいな。そういうことは早く言えよ」
盛恵の言葉にキッと宗心は顔を上げた。
「鼻は動かせねえんだよ!」
確かに鼻血を吹いていた。僕はおろおろした。とても痛そうだ。どうしようかと盛恵を見上げた。すると盛恵は難しい顔をした。
「そうか、じゃあ今日からは鼻も動かせるように特訓しないといけないな」
「そうね! 私のかわいい宗心。特訓に必要な物があったら何でも言ってね!」
「金に糸目はつけんぞ!」
ご両親のその言葉に、宗心は今度こそばったりと床に倒れた。
僕が「酒は飲んでも飲まれるな」と心に誓っていると、奥では吉丸くんが大の字でイビキをかきながら爆睡していた。既に大物に育っていた。
「おう! 兼友も来いよ!」
ある夜更け。仁和寺のある部屋の前を通りかかったとき、僕は宗心に呼び止められた。部屋の中は何やら楽しそうにざわざわとしている。
「何? 何?」
僕はわくわくして尋ねた。
「吉丸が、今度剃髪して法師になるんだよ。そのお祝い会やってんだ」
「あ、吉丸くんのお祝い会かー!」
僕は中に入っていった。吉丸くんは僕より二つ年下の十歳だった。
部屋の中央では吉丸くんがうつらうつらしていた。もう眠いのだろう。よくこの騒ぎの中寝られるなと僕は思ったが、寝る子は育つから良いことだ。きっと大物に育つに違いない。
「次、宗心行きまーす! 奥義、鼎踊り!」
どうやら皆お酒が入っているらしい。宗心がそばにあった三本足のデカイ器を手に取ると、周りの皆が「おーっ!!」と歓声を上げた。ちなみに、お酒は二十歳になってからじゃなくても飲める世の中だが、僕はまだ飲んだことがない。
「ふっし!」
宗心は鼎を頭にかぶった。いや、かぶろうとした。どうやら鼻がつかえて入らないらしい。
「宗心、もう少し大きい器じゃないと無理なん……」
「宗心の~! ちょっといいとこ見てみたい! それ、一気! 一気! 一気! 一気!」
僕の提案は、皆の歓声にかき消された。宗心は「秘技! 鼻潰し!」と叫んですっぽりと鼎を頭にかぶった。
「おおー!!!」
宗心が鼎をかぶって「伝家の宝刀! タコ踊り!」と手をふらふらさせて踊り始めると、皆の盛り上がりは最高潮に達した。僕は「これが大人になることか」とちょっと引いた。
「はい、次の方ー」
肝心の吉丸くんはもう完全によだれをたらしながら眠っていたが、出し物はまだ続くらしい。宗心は踊り終わって鼎を脱ごうとした。
「あれ?」
宗心が鼎を一生懸命上に持ち上げているが、鼎は全く抜けない。
「もうタコ踊りは終わってんだよ、宗心」
盛恵が鼎の三本足のひとつを掴んでぐっと引き寄せた。
「ぐえええええ!!!!」
宗心の叫び声が聞こえた。
ーー抜けない。
皆の赤い顔は一気に青覚めた。
「ど、どうしよう」
僕はおろおろした。皆もおろおろしている。盛恵も顎に手をあてて難しい顔をしていた。
僕は目を瞑って頭をフル回転させた。そして思い付いた。
「そうだ! 鼎を割っちゃえばいいんだ!」
「おおー!!!」
皆の歓声が上がった。「なるほど」と盛恵は立ち上がって部屋の外へと駆けていく。しばらくして戻ってくると、その肩には巨大な丸太棒を担いでいた。それはどこか鐘をつく丸太棒に似ていた。
「盛恵、それ、どこから」
「細かいことは気にしなくていいんだ」
いや、気になるが、と思ったが今はそれどころではない。
「そーれっ!」
盛恵は宗心の頭の鼎目掛けて丸太棒をぶんまわした。
ぐわわわわわああぁぁん……
とても厳かな音が響いた。これが煩悩を忘れさせてくれる鐘の音か。ーーしかし。
「こ、ろ、す、き、か!!!」
中から宗心の悲痛な叫び声が響いた。
鼎は全くヒビすら入らなかったのである!
僕はさらにおろおろした。
「そ、そうだ! もうこうなったらお医者さんに行こうよ!」
盛恵は「それが一番だな」と呟いた。
とりあえず頭の上に着物をかぶせた。このまんま外を出歩いてしまうと「三つの角を持った化け物だ!」と大騒ぎになるか、もしくは「仁和寺の宗心がまたコスプレしてんのか。仁和寺の外でのコスプレは禁止だぞ」と怒られてしまうからだ。
そしてお医者さんに診せた。お医者さんは手首の脈を取り、足をさすり、お腹と胸の調子を見てから悲しそうに首を振った。
「こんな病状は書物でも師からの教えでも知らない」
僕たちは仁和寺に帰った。お金はちゃんと取られた。
「あああ、私のかわいい宗心!!」
「大丈夫か、宗心!」
宗心のお母さんやお父さんがやってきてさらに大騒ぎになった。
どうしよう。
僕はまた目を瞑る。そして考える。
こんな時、兄上なら……。
「ーー初心にかえれ」
僕の耳に兄上の声が聞こえた気がした。僕は立ち上がった。
「皆さん、引っ張って鼎を抜きましょう」
盛恵は深く頷き「兼友の言うとおりだ」と立ち上がった。
「い、や、ま、て! も、げ、る! み、み、と、は、な! も、げ、る、か、ら!」
鼎の中から叫びが聞こえる。盛恵は首を横に振った。
「宗心。この世に命より尊いものはないんだ。耳と鼻がなくても生きていけるよ」
「ま、て! い、い、こ、と、いった、つ、も、り、か!」
「せーのっ!」
皆が鼎を引っ張った瞬間。
「ひっ、さーっつ! のっぺら、ぼー!!」
すぽーんと、鼎は抜けた。
鼎の抜けた宗心は手をついてぜえぜえと肩で息をついた。かすり傷だがちょっと血が滲んでいて、見ているだけで痛かった。
「俺……耳動かせるんだった……」
「なんだ宗心、水くさいな。そういうことは早く言えよ」
盛恵の言葉にキッと宗心は顔を上げた。
「鼻は動かせねえんだよ!」
確かに鼻血を吹いていた。僕はおろおろした。とても痛そうだ。どうしようかと盛恵を見上げた。すると盛恵は難しい顔をした。
「そうか、じゃあ今日からは鼻も動かせるように特訓しないといけないな」
「そうね! 私のかわいい宗心。特訓に必要な物があったら何でも言ってね!」
「金に糸目はつけんぞ!」
ご両親のその言葉に、宗心は今度こそばったりと床に倒れた。
僕が「酒は飲んでも飲まれるな」と心に誓っていると、奥では吉丸くんが大の字でイビキをかきながら爆睡していた。既に大物に育っていた。