「おはよう。私、諦めないから」
朝登校して一番に元カレのアキラに挨拶をする。一限の必修はアキラと同じ授業だ。
「もう彼女面すんなよ、お前とは終わったから」
アキラは冷たい目を私に向けた。
*
アキラの浮気相手は同じ学部の菱川蘭だった。体育会バスケ部の蘭は背が高く大人びていて、私とは正反対の人間だった。
一昨日、蘭とキスしている現場を目撃したときはあまりの衝撃に、よくこんな狭いコミュニティで二股できるなと逆に感心した。誠実に見える人ほど浮気するって本当なんだなと、どこか他人事のように思った。
以前から予兆はあった。最近一緒にいる時間が減った。昨日どこに行っていたのかと聞いたとき、「忘れた」という答えが増えた。別れ際、アキラが別人のような眼をしていたこともあった気がする。うまく言語はできないけれど、何か強烈な違和感があった。
昨日の夕方、浮気のことを問い詰めるか、私が我慢して波風を立てないか迷った。目の前のアキラは私が好きになったアキラそのものだ。少しずつアキラの私物が増えてきた私の部屋で、二人でおそろいのマグカップを使ってホットココアを飲んでいる時間が幸せで、見間違いだと信じたかった。
「もうすぐクリスマスだね。アキラはサンタクロースって、いつまで信じてた?」
結局何も聞けず、当たり障りのない話題を選んだ。
「小二かな。五歳の時くらいからずっと『正体親だよ』って言ってくる意地悪な人がいてさ、俺は信じてたんだけどね。小二の時にクリスマスの夜に無理矢理起こされて、親がプレゼント置いてるところ見せられちゃってさ」
アキラは一応一人っ子のはずだ。友達がクリスマスに泊まりに来ていたのだろうか。しかし、このことをわざわざ確認するのは憚られた。
「冬香は?」
「中学生くらいまでかなあ。子供っぽい?」
「ううん、すごく冬香らしくて可愛い」
アキラに頭を撫でられた。幸せだ。だからあれは私の見間違いだ。
「何でも疑って生活するより、何でも信じて生活する方が幸せじゃない?」
「逆にオバケとかも信じちゃうからちっちゃい頃は……っていうか今もだけど怖がりだから不便かも」
デートには何度も行ったけれど、お化け屋敷の類は避けている。
「そっか、冬香は幽霊とか幽体離脱とか信じる人なんだ」
「うん、今そういう感じの話書いてるんだー」
泣き虫な自分がコンプレックスだった。でも、アキラが「感受性が強いのは長所だ」と言ってくれたから、それを生かせる場所を探して、今は小説を書いている。
「もうすぐ書き終わるんだ。そしたら、ネット小説のコンテストに出そうと思ってるの。えへへ、負けられない戦い、ここにありって感じ」
「頑張ってね」
いつもなら「完成したら読ませてね」と言ってくれるのに、少し他人事な言葉に違和感を覚えた。
私が何を言えばいいか迷っていると、部屋の空気が少し変わった気がした。何か、目に見えないものがぐるりと反転したような錯覚を覚えた。
「やっぱ居心地悪いな。帰るわ」
アキラが先ほどまでとは打って変わって低い声で吐き捨てた。そのまま私の部屋を出てどこか別のところに行こうとしたところでつい言ってしまった。
「蘭のところに行くんでしょ?」
振り返ったアキラは取り繕うことすらしなかった。
「そうだよ。だからお前とはもう終わり」
そういうなり部屋の荷物をまとめて出ていこうとするアキラ。おそろいのもの、あげたものは全部置いて。マグカップを置くことも忘れて、アキラの腕を掴んだ。
「待ってよ、私、何かした?」
「気安く触るなよ。もう俺は蘭の恋人なんだよ。お前の恋人だった俺はもういない」
アキラに手を振り払われた拍子にマグカップを落としてしまった。粉々になったそれは二度と元に戻らない。
嘘を決してつかない人のはずだった。兄弟の話題になった時、元々双子だったけど胎内でもう1人を吸収して生まれてきたと少し話しづらいようなことも話してくれた。
別人のような冷たい目で私を見たアキラ。あの瞳は何度か見たことがある気がする。望みなんてないと分かっているけれども、それでも嫌いになれない。
*
2限も本当は授業があったけれども、ショックが強すぎて辛くて、結局帰ってきてしまった。少し前に飼い始めた熱帯魚の水槽をぼーっと見つめる。二匹の魚が番になって、水槽の真ん中を悠々と泳いでいる。まるで世界には自分たち二匹だけだとでもいうように仲睦まじい。その裏で、隅に追いやられた熱帯魚がいる。
縄張り争いに負けたのだろう。私と同じだ。自由恋愛の世界で、弱い私は強い蘭に負けた。だから私はひとりぼっちだ。
ふとテーブルの上を見ると、アキラが忘れていったスマートフォンがある。その時、アキラが合鍵で入って来た。
「忘れ物した、それ返して」
「返したら、またどっか行っちゃうんでしょ。嫌だよ、悪いところあったら直すから、捨てないでよ」
私はアキラに縋りつく。今度は振り払われなかった。だから思い切り抱き着いた。
「気づかないうちに嫌なことしてたらごめんなさい。何でも直すから、蘭みたいにかっこいい性格になるし、蘭の顔が好きなら整形するから」
アキラは私のことを乱暴には扱わなかった。私が泣きやむまで待って、絞り出すように答えた。
「ごめんね、俺クズだから浮気しちゃう病気なんだ。冬香は何も悪くないけど、俺の病気は治らないから」
昨日とはうってかわって泣きそうな目でアキラは言った。
「それでもいいから、嫌なところあったら治すからやり直そうよ、私にはアキラしかいないの。2番目でもいいから!」
「ダメだよ、そんな簡単に整形するとか2番目でもいいとか言ったりしたらさ。ちゃんと自分を大切にしなよ。俺が冬香を大切にしてあげられなくてごめんね、さよなら」
朝登校して一番に元カレのアキラに挨拶をする。一限の必修はアキラと同じ授業だ。
「もう彼女面すんなよ、お前とは終わったから」
アキラは冷たい目を私に向けた。
*
アキラの浮気相手は同じ学部の菱川蘭だった。体育会バスケ部の蘭は背が高く大人びていて、私とは正反対の人間だった。
一昨日、蘭とキスしている現場を目撃したときはあまりの衝撃に、よくこんな狭いコミュニティで二股できるなと逆に感心した。誠実に見える人ほど浮気するって本当なんだなと、どこか他人事のように思った。
以前から予兆はあった。最近一緒にいる時間が減った。昨日どこに行っていたのかと聞いたとき、「忘れた」という答えが増えた。別れ際、アキラが別人のような眼をしていたこともあった気がする。うまく言語はできないけれど、何か強烈な違和感があった。
昨日の夕方、浮気のことを問い詰めるか、私が我慢して波風を立てないか迷った。目の前のアキラは私が好きになったアキラそのものだ。少しずつアキラの私物が増えてきた私の部屋で、二人でおそろいのマグカップを使ってホットココアを飲んでいる時間が幸せで、見間違いだと信じたかった。
「もうすぐクリスマスだね。アキラはサンタクロースって、いつまで信じてた?」
結局何も聞けず、当たり障りのない話題を選んだ。
「小二かな。五歳の時くらいからずっと『正体親だよ』って言ってくる意地悪な人がいてさ、俺は信じてたんだけどね。小二の時にクリスマスの夜に無理矢理起こされて、親がプレゼント置いてるところ見せられちゃってさ」
アキラは一応一人っ子のはずだ。友達がクリスマスに泊まりに来ていたのだろうか。しかし、このことをわざわざ確認するのは憚られた。
「冬香は?」
「中学生くらいまでかなあ。子供っぽい?」
「ううん、すごく冬香らしくて可愛い」
アキラに頭を撫でられた。幸せだ。だからあれは私の見間違いだ。
「何でも疑って生活するより、何でも信じて生活する方が幸せじゃない?」
「逆にオバケとかも信じちゃうからちっちゃい頃は……っていうか今もだけど怖がりだから不便かも」
デートには何度も行ったけれど、お化け屋敷の類は避けている。
「そっか、冬香は幽霊とか幽体離脱とか信じる人なんだ」
「うん、今そういう感じの話書いてるんだー」
泣き虫な自分がコンプレックスだった。でも、アキラが「感受性が強いのは長所だ」と言ってくれたから、それを生かせる場所を探して、今は小説を書いている。
「もうすぐ書き終わるんだ。そしたら、ネット小説のコンテストに出そうと思ってるの。えへへ、負けられない戦い、ここにありって感じ」
「頑張ってね」
いつもなら「完成したら読ませてね」と言ってくれるのに、少し他人事な言葉に違和感を覚えた。
私が何を言えばいいか迷っていると、部屋の空気が少し変わった気がした。何か、目に見えないものがぐるりと反転したような錯覚を覚えた。
「やっぱ居心地悪いな。帰るわ」
アキラが先ほどまでとは打って変わって低い声で吐き捨てた。そのまま私の部屋を出てどこか別のところに行こうとしたところでつい言ってしまった。
「蘭のところに行くんでしょ?」
振り返ったアキラは取り繕うことすらしなかった。
「そうだよ。だからお前とはもう終わり」
そういうなり部屋の荷物をまとめて出ていこうとするアキラ。おそろいのもの、あげたものは全部置いて。マグカップを置くことも忘れて、アキラの腕を掴んだ。
「待ってよ、私、何かした?」
「気安く触るなよ。もう俺は蘭の恋人なんだよ。お前の恋人だった俺はもういない」
アキラに手を振り払われた拍子にマグカップを落としてしまった。粉々になったそれは二度と元に戻らない。
嘘を決してつかない人のはずだった。兄弟の話題になった時、元々双子だったけど胎内でもう1人を吸収して生まれてきたと少し話しづらいようなことも話してくれた。
別人のような冷たい目で私を見たアキラ。あの瞳は何度か見たことがある気がする。望みなんてないと分かっているけれども、それでも嫌いになれない。
*
2限も本当は授業があったけれども、ショックが強すぎて辛くて、結局帰ってきてしまった。少し前に飼い始めた熱帯魚の水槽をぼーっと見つめる。二匹の魚が番になって、水槽の真ん中を悠々と泳いでいる。まるで世界には自分たち二匹だけだとでもいうように仲睦まじい。その裏で、隅に追いやられた熱帯魚がいる。
縄張り争いに負けたのだろう。私と同じだ。自由恋愛の世界で、弱い私は強い蘭に負けた。だから私はひとりぼっちだ。
ふとテーブルの上を見ると、アキラが忘れていったスマートフォンがある。その時、アキラが合鍵で入って来た。
「忘れ物した、それ返して」
「返したら、またどっか行っちゃうんでしょ。嫌だよ、悪いところあったら直すから、捨てないでよ」
私はアキラに縋りつく。今度は振り払われなかった。だから思い切り抱き着いた。
「気づかないうちに嫌なことしてたらごめんなさい。何でも直すから、蘭みたいにかっこいい性格になるし、蘭の顔が好きなら整形するから」
アキラは私のことを乱暴には扱わなかった。私が泣きやむまで待って、絞り出すように答えた。
「ごめんね、俺クズだから浮気しちゃう病気なんだ。冬香は何も悪くないけど、俺の病気は治らないから」
昨日とはうってかわって泣きそうな目でアキラは言った。
「それでもいいから、嫌なところあったら治すからやり直そうよ、私にはアキラしかいないの。2番目でもいいから!」
「ダメだよ、そんな簡単に整形するとか2番目でもいいとか言ったりしたらさ。ちゃんと自分を大切にしなよ。俺が冬香を大切にしてあげられなくてごめんね、さよなら」