僕たちはその後も計画を練り、現場の下見や武器の買い出しを行った。シミュレーションを重ねて、ついに決行の日を迎えた。
 掌と背中に汗が滲んだ。後戻りはできない。しくじったら警察に捕まる。怖くて足がすくんだ。僕の不安を見破ったのか、椿に励まされる。
「信じてるよ、だって陸は最強のドラゴンなんだから」
「それ、まだ引っ張るのかよ」
 思わず苦笑した。でも、不思議と悪い気はしなかった。大丈夫、僕たちならできる。

 パーカーのフードとマスクで顔を隠し、椿と時間差で銀行に入る。一般客を装った椿と合流した後、機械の操作を質問するふりをして、ターゲットの気の弱そうな男性行員を呼び出す。さあ、人生をフルベットした大勝負だ。
「声を出すな。出したらお前とこの女を刺す」
 偽物のナイフを椿に突き付けて、男にだけ聞こえるように静かに告げる。人質役の椿が「刺激しないで」と震える声で演技をする。人は想定外の事態が起こると固まるものだ。男は他の行員に助けを求めることはしなかった。第一段階クリアだ。
「ポケットの中身を全部出せ」
 男は従った。スマホなど通報されそうなものを没収することはできたが、お目当てのものはまだ隠し持っているようだ。
「永田麗の父親だな」
 男の素性を暴くと、彼は途端に血相を変えた。
「お前、麗に何を……」
 大声を出されて周りに気づかれては困る。咄嗟に口をふさいで黙るように指示した。ヒヤッとしたが、動揺を悟られないように計画の遂行を続ける。
「何もしない。お前が言うことを聞けばな。仲間は娘のところにいるから、妙な真似はするなよ」
 完全なハッタリだ。しかし、彼には十分効いたようだ。
「いくらだ。いくら払えば娘を解放してくれるんだ。十億でも二十億でも持ってきてやる」
 銀行の金は当然男のものではない。それを勝手に使うのは犯罪だ。しかし、娘の命がかかっているとなれば躊躇しない。ちゃんと麗に対する愛情があるのだろう。
「目的は金じゃない。もう一度聞く。ポケットの中身は本当にこれで全部か?」
 ドルミーレ病は不治の病だ。いくら金を積んだところで治療法はない。
 麗の両親は随分前に離婚している。麗は母親に「パパに会いたい」と言い出すこともできないまま過ごしていた。しかし、難病が発症して自分には時間がないことを知り、椿にだけは苦しい胸中を打ち明けたという。
 男は渋りながら上着の内ポケットから名刺ケースを取り出す。中身は名刺ではなく「なんでもおねがいききます」とピンクのクレヨンで書かれた紙だった。麗が男にあげたものだろう。椿は以前ここに来た時、男がこの紙を見て物思いにふけっているのを目撃したことがあるという。
 これを使って麗に「パパのことは忘れて、新しいパパと幸せになるんだよ」と言ったらしい。麗はこれを忠実に守っているのだろう。
 これさえ破けば、約束は無効だ。麗は父親のことを忘れる必要がなくなる。そう思ったが、裏面に「パパだいすき」と書いてあった。破り捨てるにはあまりに忍びないので、代わりに宣言する。
「いいか、たった今からこの券は無効だ」
 これで親子を引き裂いた悲しい約束はなくなった。これで麗は、父親に会える。券を破れないように丁寧にポケットにしまい、強盗、もとい誘拐を続行する。
「ついてこい。そしたらこれも返してやる」
 男は抵抗しなかった。そのまま三人で銀行を出る。病院までの一番人通りの少ない裏道情報は椿の頭に完璧に入っている。男の腕を引っ張って走った。
「麗のお友達ですか?」
 裏路地に入ると男が足を止めた。金を請求することなく、娘との思い出の品を盾に娘のもとに連行する奇妙な強盗の正体は大人にはバレバレだったのだろう。
「はい。麗ちゃんが言ってました。パパに会いたいって」
 椿が答える。人質役の椿もグルであるとばれているのか、男は驚かなかった。
「麗に会うことはできません。そういう約束ですから」
「あの券は無効ってさっき言っただろ」
「いえ、別れた元妻との約束でして」
「この時間なら元奥さんいないから安心しろよ」
 我らが参謀・椿の情報では平日の昼間は麗の母親は仕事がありお見舞いに来ていない。だからリスクを冒して終業後ではなく銀行の業務時間帯での犯行を選んだ。
「しかし、そういう契約書を交わしているんです」
 ああ、接見禁止とかいうやつか。大人はしがらみの中で生きている。それは会社だったり法律だったりと、個人の力で抗えないものがほとんどなのだろう。
「見つかったら、僕が無理矢理ナイフで脅して連れて来たって言ってやるよ。そしたら、警察に突き出されるのは僕だ」
 僕ができるのは逃げ道をつくってやることだ。しかし、男は煮え切らない。このままでは警察や男の上司に見つかってしまう。僕は男の胸ぐらをつかみ、強い口調で発破をかけた。
「娘のためなら横領だってしてやるって威勢はどこに行ったんだよ。今会わなかったら一生後悔するぞ!」
 椿の見送りに行かなかっただけで僕はあんなに後悔したのだ。最愛の娘ともう二度と話すことも抱きしめることもできなくなってから後悔したって遅い。モラルも法律も関係ない。絶対に今この人を麗に会わせないといけない。
「それが、麗の望みなら」
 男は覚悟を決めたのか静かに呟いた。椿がほっとした表情を見せた。
「よしっ、じゃあ強盗らしくもう一個要求するか。麗ちゃんに作ってやれよ、何でもお願い聞く券。そしたらパパ大好き、って手紙も返してやる」
 紙とペンを男に渡した。男はチケットを書き終えると、自分の意志で僕たちと走り出した。

 病院についた。母親不在とはいえ、親権者の許可なく未成年の面会は不可能だ。受付を無視して強行突破するしかない。人当たりのいい椿が職員と和やかに話して注意を引き付けている間に、事前に聞いていた麗の病室へと走る。
「パパ……?」
 病室に入ると麗の弱々しい声が聞こえた。もう体はほとんど動かないはずなのに、必死に起き上がろうとする。男は麗に駆け寄った。男は麗を抱き起して強く抱きしめている。僕は離れて見守った。
「パパ、会いたかったよ。ごめんね。約束守れなかった。パパのこと忘れられなかった」
「いいんだよ。あの券はあのお兄さんが無効にしてくれたんだ。パパも麗に会いたかったよ」
 男は泣きながら先ほど書かせた魔法のチケットを麗に差し出した。
「寂しい思いをさせてごめんね。今までパパらしいことできなかったぶん、何でも麗のお願い聞いてあげるよ」
「ほんとに? ねえ、パパ。麗ね、一人で寝れるようになったんだよ。でもね、もうすぐずっと寝たまま起きられなくなっちゃうんだって。長い間ずっと一人で寝るのは寂しいから、たまには会いにきてくれる? ママに怒られちゃうかもしれないけど、お願いしてもいい?」
「ああ、毎日だって会いに来る! 約束するよ」