「ごめん、急に用事ができて、行けなくなった」って、えーッ!
なんて最悪な日だ!
一緒にアイドルグループのライブに行こうって約束してたのに。当日になって、しかも入場受付5分前になって電話でキャンセルなんて。
しかも、私はもう会場の入場ゲート前にいるっていうのに。
「ねえ、豊樹。さすがにドタキャンはないんじゃない。ひどい」
「ごめん、この埋め合わせは、次会った時、必ずするから。あ、もう時間がない。また後でなー」
そう言って、一方的に電話を切った。
用事って一体、何だ? 絶対、嘘だ。
豊樹ってサイテー。こんなの裏切りだ。
このアイドルグループの魅力を徹底的に豊樹に叩き込もうとして、今日のために全力で応援グッズを用意してきた私の立場はどうなるのよ。
このリュックに手作り応援ボードとかうちわとか、いっぱい入っているよ、二人分も!
これじゃ私一人だけ浮かれて、バカみたい。
まあ、このアイドルグループが若い女の子だったら多少は豊樹も興味を持ってくれたかもしれないが、男性のグループだしなぁ。
男たちがキラキラしたステージで踊って唄うのを豊樹が興味ないのは分かるけど、……だったら、私のデートの誘いを最初から断ればいいじゃん!
私が推してるのは、「ニシガワ」というグループ。そりゃ、有名な人たちじゃなくて、ちょっとその……世間一般的にはイマイチというか、ブレイクしないままメンバーの大半の年齢が三十代に入ったメンバーだよ。だけど、いいコたちなんだ。だって、体張るローカルのテレビの仕事を、芸人と並んでこなしているんだもん。
こんなカッコ悪い仕事はやりたくないとか言わないし、絶対諦めないし、さ。
関西弁丸出しで、もはや、お笑いよりに走っているグループではあるけど、いや、そうだから、同性の豊樹にも共感してもらえるかな、って思っていたのに。
チケットを2枚握りしめて、ゲート前で私が立ち尽くす私の横を次々とファンたちが通り過ぎていく。もう入場が開始したようだ。
無駄になった1枚のチケット代は、絶対に、豊樹に高い利子をつけて払ってもらおう。次会った時に、ゴネ倒してやるって決めた。
イライラしながら一人で入場受付をしようとすると、私の近くに挙動不審なオジサンがいる。
そのオジサンは、私のお父さんくらいの年齢かな? 髪は白髪交じりで薄く、体系はスリムで、細く垂れた目をしている。
アウトドア・ブランドの赤いアウターを着て、精一杯若く見せようとしているが、……いやでも、私からすると「お父さん」って感じ。
このコンサート会場に場違いなオジサンは、周りをキョロキョロと見ながら、困惑した表情で私に近づいてきた。
「すいません、今、電話している会話をつい、聞いてしまって。ひょっとして、この『ニシガワ』のチケット1枚余っていますか?」
何? さっきのケータイで豊樹に激高する私の会話を聞いていたの? 超恥ずかしいんだけど。
「はい」
ドタキャンされた哀れな女だと思われているのが気まずくて、目を伏せて返事する。
「売ってもらえませんか?」
「え、どなたに?」
すると、このオジサンは頬を赤らめた。
「……僕に」
「本気ですか?」
「すいません。オジサンですけど、いけませんかね?」
まさか、このオジサンが一人で男性アイドル「ニシガワ」のコンサートに行くのだろうか? でも多様な時代だから、アリといえばアリか。
「失礼なことを言って、すいません。もちろん、余っているので買ってくださったら嬉しいです」
すると、オジサンは頬どころか顔全体や耳たぶまで、真っ赤になっている。
「その、……、あなたは今日、お一人なんですよね」
「ええ。カレシがバカなもので」
「そこで、……もしよければ、このコンサートで私と一緒にいて、……その、『ニシガワ』のファンの作法といいますか、応援のやり方といいますか、立ったりだとか座ったりだとか、まるで初めてで分からないもので、教えていただけないでしょうか?」
ええ!? これは違う目的? 私を口説こうとしてるのかな?
うーん、悪い人には見えないが、……いや、こうやってウブなフリをして人を騙すのかもしれない。
「あの! 決して変な意味ではありません。うら若きあなたをどうしようとか、そんなことは全然考えていません。ただ、僕のようなオジサンがこのコンサート会場に入って一人でいるのが、不安で不安でしようがないんです。よければ、このコンサートが終わるまでご一緒していただければ、ありがたいです」
大丈夫だろうか? 私は変な人につかまったのだろうか? ただ、やっぱり悪い人には見えない。
「そもそも、このチケットは座席が指定になっているんです。お渡しするチケットは私のカレシの分なので、自動的に私の隣に座ることになります」
そういうと、オジサンはパッと表情が明るくなった。
「では、ご一緒していただけるんですね?」
「はい」
「よかったぁ」
チケットを渡すと、オジサンは代金を手で差し出してくる。
いつも買い物は電子マネーばかりだから、こんな高額の現金を手にするのは久しぶりだ。
指定された席に、オジサンと隣り合わせで座る。周りは私と同世代の10代女子で埋め尽くされていた。ところどころカップルで来ているコもいるので、若い男子がチラホラいるにはいる。しかし、オジサンはこの人以外にいなかった。
きっと、私たちは親子だと思われていることだろう。
まだ開演まで時間があった。
「オジサンって名前は何て言うんですか?」
「はっ、申し遅れました。トーマツです」
「トーマツさん、ですか。私は眞央です」
「では眞央さん、よろしくお願いします」
「とりあえず、こうやって座っておけばいいですか?」
トーマツさんは不安そうに尋ねるので、笑顔で「はい」と答える。自分で望んでここにいるとはいえ、少し気の毒になってきた。
「どうして、このコンサートに来たいと思ったのですか?」
するとトーマツさんは、少し恥じらいながら、かわいい笑顔になった。
「妻が大好きなもので。だからゲート前で公式グッズだけ買って帰ろうと思ったのですが、どんなアイドルなのか気になってしまって」
「そうですか。じゃあ、私もトーマツさんにチケットを売ってよかったです」
想像していた以上に、いいオジサンかもしれない。いや、騙されているだけだろうか?
私のお父さんと違って、偉そうな言い方をしないし、豊樹と違って紳士で優しいし、何より奥さんを愛しているのがすごく印象いい。
当初、豊樹に叩き込むつもりだったコンサートでの作法について、私はトーマツさんに教えることにした。
「トーマツさん。はい、これ」と応援アイテムを渡すと戸惑っている。
「鳴子……ですか?」
「はい、関西中心の『ニシガワ』だけの定番グッズです。ダンサブルな曲が前半に多いので、阿波踊りのイメージで、こうやって振ると盛り上がります」
「はい! こうですか」
トーマツさんは必死に私の動きをまねるが、その手の動きは町内会の盆踊りのようで、つい笑ってしまった。
「もうちょっとテンポを速く、チャンチャンチャンみたいな、腰を振りながらで」
「はい! 勉強になります」
ついにコンサート開演のナレーションが会場に響き渡った。
「立ってください。しばらくはBGMが流れ続けるだけで本人らはもったいぶって出てきませんが、立ったままで待ちましょう。それも推す醍醐味です」
「はい」
「そして、私がやるみたいに時折『シゲオー』って叫んでください。こうやって、シゲオーッ!」
「『シゲオー』ですか?」
「はい。シゲオはメンバーの中の私の推しです。もっともっと大きな声で!」
「はい。シゲオーッ!」
こんなに年が離れているのに、気が付いたら私はトーマツさんを友だちのように親しく感じていた。
本当にいい人かもしれない。奥さんが羨ましい。……って、いや、待てよ。こうやってあざむいて騙すのかもしれない。
そして、とうとう推しメンがステージに登場し出した。
「トーマツさん、このボードをできるだけ上に掲げてください」
「この『ウインクして♡シゲオ』って書かれたボードは、ひょっとして眞央さんの手作りですか?」
「そうです。昨日、夜遅くまでかかって作りました」
「すごい、真っ赤でド派手なボードですね?」
「アイドルグループにはメンカラって言って、それぞれ割り当てられた色があるんですよ。で、シゲオは赤だから、真っ赤な応援グッズを持ってると『この人の推しはシゲオだ』って分かるようになってるんですよ」
「へー! 知らなかった。『ニシガワ』のメンバーに見てもらえるといいですね」
「大丈夫です、トーマツさん。『ニシガワ』のメンバーはこういうのを必ず見てくれるので、ファンの間では有名なんです」
「これだけ会場にたくさんファンがいてボードがあるのに、一個一個見てくれるんですか?」
「はい。後で客席の画像を必ずチェックして、こういう手作りボードを見つけたら、ファンの顔は分からないように画像を切り取ってSNSで上げてくれるんです」
「すごいサービスですね」
「そう、だからすごく好き。カレシより好き。トーマツさん。必ず本人に届くので、必死に上げてください」
「はい!」
バラードに曲が代わると、リュックから急いでペンライトをトーマツさんに差し出す。オジサン世代はペンライトの使い方は熟知しているようで、手慣れていた。
あっという間に、時間は過ぎ、最終曲が終わる。
「アンコール! アンコール!」と興奮気味にトーマツさんが叫んだので、急いで制止した。
「トーマツさん、『ニシガワ』のコンサートではアンコールは『うえ! すと!』って言う決まりなんです」
「そうですか、『うえ! すと!』ですね。失礼しました」
「もうすぐ、吉本新喜劇のテーマ音が流れるので、それが『うえすと』コールの合図です」
「了解しました」
トーマツさんは、オジサンだけどかわいい。人として好きになった。こんなに年の離れた人を好きになるのは初めてだ。
異変は、アンコールの最終曲を「ニシガワ」のメンバーが唄い出した時に起こった。
ペンライトを振るトーマツさんが泣いている、それも人目をはばからず。
私のお父さんは人前で決して泣かないからだろうか、オジサンが号泣する場面を見ると驚いてしまう。
周りのファンの女子も、このコンサートに感極まって泣いているコはいるが、トーマツさんの涙はこの種のものではないような気がする。
コンサートが終了し、次々とファンが会場を出ていく。
私たちは混雑するのを避けて、座席に座って待っていた。
すると、トーマツさんはまだ号泣している。
「どうしたんですか?」
「嬉しくてね。ありがとう。眞央さん、あなたに出会えてよかった」
「私も、トーマツさんに出会えてよかったです。奥さんによろしくお伝えくださいね」
すると、トーマツさんはハンカチで涙を拭いながら、細い目で私を見つめてきた。
「妻は、……妻は、もうこの世にいません。去年、病気で亡くなりました」
あまりに衝撃なことを聞き、私は言葉を失う。
「生前、妻は『ニシガワ』が大好きで、テレビ出演する場合は全て予約し、DVDやらCDやら本やらいっぱい集めていました。でも『ニシガワ』のコンサートだけは行ったことがなかったんです。一人で男性アイドルのコンサートに行くのは、僕に申し訳ないと思って遠慮していたんでしょう」
遠慮などしなくてもいいのに。
でも、トーマツさんの奥さんはきっと私のお母さんの世代だから、世間体など考えることがたくさんあるのかもしれない。
「昔、一度だけですが、妻に一緒にコンサートに行こうと言われたことがあったんです。その時、僕は男性アイドルに興味などまったくないもんですから、取り合おうともしなかった」
「そうでしたか」
「明日が妻の一周忌です。だから、仏壇に供えるためにこの会場でグッズを買おうと来たのですが、たまたま眞央さんの会話を聞いてしまったもので……」
トーマツさんにつられ、私も泣いていた。
まさか、こんな背景があったとは。だから、トーマツさんは最初、挙動不審な状態で会場にいたのだ。
「きっと、妻も眞央さんのようにここで見たかったろうなぁ。どうして僕は生きているうちに一緒にコンサートに行こうって言ってやれなかったんだろうか。今更ながら後悔しています」
そして、トーマツさんは握手をしてきた。
「ありがとう。今の男性アイドルはオジサンにとってもこんなに面白いものだと、今日初めて知ったし、また来たくなった。眞央さんのおかげで、特別な一日になりました」
祭りの後のコンサート会場に、私たちの嗚咽する声が響きわたる。
「さ、帰りましょうか」
トーマツさんは、震える声で言った。
「はい」と答えた私は、豊樹を思い浮かべる。
今日は、豊樹と一緒に見られなかったが、……いつか強引に連れて来よう。でないと、後悔するんだ、きっと。
そして、私たちはこの先ずっと付き合って、お互いがお互いを想いあえるトーマツさん夫婦のような関係になりたいと思った。(了)
なんて最悪な日だ!
一緒にアイドルグループのライブに行こうって約束してたのに。当日になって、しかも入場受付5分前になって電話でキャンセルなんて。
しかも、私はもう会場の入場ゲート前にいるっていうのに。
「ねえ、豊樹。さすがにドタキャンはないんじゃない。ひどい」
「ごめん、この埋め合わせは、次会った時、必ずするから。あ、もう時間がない。また後でなー」
そう言って、一方的に電話を切った。
用事って一体、何だ? 絶対、嘘だ。
豊樹ってサイテー。こんなの裏切りだ。
このアイドルグループの魅力を徹底的に豊樹に叩き込もうとして、今日のために全力で応援グッズを用意してきた私の立場はどうなるのよ。
このリュックに手作り応援ボードとかうちわとか、いっぱい入っているよ、二人分も!
これじゃ私一人だけ浮かれて、バカみたい。
まあ、このアイドルグループが若い女の子だったら多少は豊樹も興味を持ってくれたかもしれないが、男性のグループだしなぁ。
男たちがキラキラしたステージで踊って唄うのを豊樹が興味ないのは分かるけど、……だったら、私のデートの誘いを最初から断ればいいじゃん!
私が推してるのは、「ニシガワ」というグループ。そりゃ、有名な人たちじゃなくて、ちょっとその……世間一般的にはイマイチというか、ブレイクしないままメンバーの大半の年齢が三十代に入ったメンバーだよ。だけど、いいコたちなんだ。だって、体張るローカルのテレビの仕事を、芸人と並んでこなしているんだもん。
こんなカッコ悪い仕事はやりたくないとか言わないし、絶対諦めないし、さ。
関西弁丸出しで、もはや、お笑いよりに走っているグループではあるけど、いや、そうだから、同性の豊樹にも共感してもらえるかな、って思っていたのに。
チケットを2枚握りしめて、ゲート前で私が立ち尽くす私の横を次々とファンたちが通り過ぎていく。もう入場が開始したようだ。
無駄になった1枚のチケット代は、絶対に、豊樹に高い利子をつけて払ってもらおう。次会った時に、ゴネ倒してやるって決めた。
イライラしながら一人で入場受付をしようとすると、私の近くに挙動不審なオジサンがいる。
そのオジサンは、私のお父さんくらいの年齢かな? 髪は白髪交じりで薄く、体系はスリムで、細く垂れた目をしている。
アウトドア・ブランドの赤いアウターを着て、精一杯若く見せようとしているが、……いやでも、私からすると「お父さん」って感じ。
このコンサート会場に場違いなオジサンは、周りをキョロキョロと見ながら、困惑した表情で私に近づいてきた。
「すいません、今、電話している会話をつい、聞いてしまって。ひょっとして、この『ニシガワ』のチケット1枚余っていますか?」
何? さっきのケータイで豊樹に激高する私の会話を聞いていたの? 超恥ずかしいんだけど。
「はい」
ドタキャンされた哀れな女だと思われているのが気まずくて、目を伏せて返事する。
「売ってもらえませんか?」
「え、どなたに?」
すると、このオジサンは頬を赤らめた。
「……僕に」
「本気ですか?」
「すいません。オジサンですけど、いけませんかね?」
まさか、このオジサンが一人で男性アイドル「ニシガワ」のコンサートに行くのだろうか? でも多様な時代だから、アリといえばアリか。
「失礼なことを言って、すいません。もちろん、余っているので買ってくださったら嬉しいです」
すると、オジサンは頬どころか顔全体や耳たぶまで、真っ赤になっている。
「その、……、あなたは今日、お一人なんですよね」
「ええ。カレシがバカなもので」
「そこで、……もしよければ、このコンサートで私と一緒にいて、……その、『ニシガワ』のファンの作法といいますか、応援のやり方といいますか、立ったりだとか座ったりだとか、まるで初めてで分からないもので、教えていただけないでしょうか?」
ええ!? これは違う目的? 私を口説こうとしてるのかな?
うーん、悪い人には見えないが、……いや、こうやってウブなフリをして人を騙すのかもしれない。
「あの! 決して変な意味ではありません。うら若きあなたをどうしようとか、そんなことは全然考えていません。ただ、僕のようなオジサンがこのコンサート会場に入って一人でいるのが、不安で不安でしようがないんです。よければ、このコンサートが終わるまでご一緒していただければ、ありがたいです」
大丈夫だろうか? 私は変な人につかまったのだろうか? ただ、やっぱり悪い人には見えない。
「そもそも、このチケットは座席が指定になっているんです。お渡しするチケットは私のカレシの分なので、自動的に私の隣に座ることになります」
そういうと、オジサンはパッと表情が明るくなった。
「では、ご一緒していただけるんですね?」
「はい」
「よかったぁ」
チケットを渡すと、オジサンは代金を手で差し出してくる。
いつも買い物は電子マネーばかりだから、こんな高額の現金を手にするのは久しぶりだ。
指定された席に、オジサンと隣り合わせで座る。周りは私と同世代の10代女子で埋め尽くされていた。ところどころカップルで来ているコもいるので、若い男子がチラホラいるにはいる。しかし、オジサンはこの人以外にいなかった。
きっと、私たちは親子だと思われていることだろう。
まだ開演まで時間があった。
「オジサンって名前は何て言うんですか?」
「はっ、申し遅れました。トーマツです」
「トーマツさん、ですか。私は眞央です」
「では眞央さん、よろしくお願いします」
「とりあえず、こうやって座っておけばいいですか?」
トーマツさんは不安そうに尋ねるので、笑顔で「はい」と答える。自分で望んでここにいるとはいえ、少し気の毒になってきた。
「どうして、このコンサートに来たいと思ったのですか?」
するとトーマツさんは、少し恥じらいながら、かわいい笑顔になった。
「妻が大好きなもので。だからゲート前で公式グッズだけ買って帰ろうと思ったのですが、どんなアイドルなのか気になってしまって」
「そうですか。じゃあ、私もトーマツさんにチケットを売ってよかったです」
想像していた以上に、いいオジサンかもしれない。いや、騙されているだけだろうか?
私のお父さんと違って、偉そうな言い方をしないし、豊樹と違って紳士で優しいし、何より奥さんを愛しているのがすごく印象いい。
当初、豊樹に叩き込むつもりだったコンサートでの作法について、私はトーマツさんに教えることにした。
「トーマツさん。はい、これ」と応援アイテムを渡すと戸惑っている。
「鳴子……ですか?」
「はい、関西中心の『ニシガワ』だけの定番グッズです。ダンサブルな曲が前半に多いので、阿波踊りのイメージで、こうやって振ると盛り上がります」
「はい! こうですか」
トーマツさんは必死に私の動きをまねるが、その手の動きは町内会の盆踊りのようで、つい笑ってしまった。
「もうちょっとテンポを速く、チャンチャンチャンみたいな、腰を振りながらで」
「はい! 勉強になります」
ついにコンサート開演のナレーションが会場に響き渡った。
「立ってください。しばらくはBGMが流れ続けるだけで本人らはもったいぶって出てきませんが、立ったままで待ちましょう。それも推す醍醐味です」
「はい」
「そして、私がやるみたいに時折『シゲオー』って叫んでください。こうやって、シゲオーッ!」
「『シゲオー』ですか?」
「はい。シゲオはメンバーの中の私の推しです。もっともっと大きな声で!」
「はい。シゲオーッ!」
こんなに年が離れているのに、気が付いたら私はトーマツさんを友だちのように親しく感じていた。
本当にいい人かもしれない。奥さんが羨ましい。……って、いや、待てよ。こうやってあざむいて騙すのかもしれない。
そして、とうとう推しメンがステージに登場し出した。
「トーマツさん、このボードをできるだけ上に掲げてください」
「この『ウインクして♡シゲオ』って書かれたボードは、ひょっとして眞央さんの手作りですか?」
「そうです。昨日、夜遅くまでかかって作りました」
「すごい、真っ赤でド派手なボードですね?」
「アイドルグループにはメンカラって言って、それぞれ割り当てられた色があるんですよ。で、シゲオは赤だから、真っ赤な応援グッズを持ってると『この人の推しはシゲオだ』って分かるようになってるんですよ」
「へー! 知らなかった。『ニシガワ』のメンバーに見てもらえるといいですね」
「大丈夫です、トーマツさん。『ニシガワ』のメンバーはこういうのを必ず見てくれるので、ファンの間では有名なんです」
「これだけ会場にたくさんファンがいてボードがあるのに、一個一個見てくれるんですか?」
「はい。後で客席の画像を必ずチェックして、こういう手作りボードを見つけたら、ファンの顔は分からないように画像を切り取ってSNSで上げてくれるんです」
「すごいサービスですね」
「そう、だからすごく好き。カレシより好き。トーマツさん。必ず本人に届くので、必死に上げてください」
「はい!」
バラードに曲が代わると、リュックから急いでペンライトをトーマツさんに差し出す。オジサン世代はペンライトの使い方は熟知しているようで、手慣れていた。
あっという間に、時間は過ぎ、最終曲が終わる。
「アンコール! アンコール!」と興奮気味にトーマツさんが叫んだので、急いで制止した。
「トーマツさん、『ニシガワ』のコンサートではアンコールは『うえ! すと!』って言う決まりなんです」
「そうですか、『うえ! すと!』ですね。失礼しました」
「もうすぐ、吉本新喜劇のテーマ音が流れるので、それが『うえすと』コールの合図です」
「了解しました」
トーマツさんは、オジサンだけどかわいい。人として好きになった。こんなに年の離れた人を好きになるのは初めてだ。
異変は、アンコールの最終曲を「ニシガワ」のメンバーが唄い出した時に起こった。
ペンライトを振るトーマツさんが泣いている、それも人目をはばからず。
私のお父さんは人前で決して泣かないからだろうか、オジサンが号泣する場面を見ると驚いてしまう。
周りのファンの女子も、このコンサートに感極まって泣いているコはいるが、トーマツさんの涙はこの種のものではないような気がする。
コンサートが終了し、次々とファンが会場を出ていく。
私たちは混雑するのを避けて、座席に座って待っていた。
すると、トーマツさんはまだ号泣している。
「どうしたんですか?」
「嬉しくてね。ありがとう。眞央さん、あなたに出会えてよかった」
「私も、トーマツさんに出会えてよかったです。奥さんによろしくお伝えくださいね」
すると、トーマツさんはハンカチで涙を拭いながら、細い目で私を見つめてきた。
「妻は、……妻は、もうこの世にいません。去年、病気で亡くなりました」
あまりに衝撃なことを聞き、私は言葉を失う。
「生前、妻は『ニシガワ』が大好きで、テレビ出演する場合は全て予約し、DVDやらCDやら本やらいっぱい集めていました。でも『ニシガワ』のコンサートだけは行ったことがなかったんです。一人で男性アイドルのコンサートに行くのは、僕に申し訳ないと思って遠慮していたんでしょう」
遠慮などしなくてもいいのに。
でも、トーマツさんの奥さんはきっと私のお母さんの世代だから、世間体など考えることがたくさんあるのかもしれない。
「昔、一度だけですが、妻に一緒にコンサートに行こうと言われたことがあったんです。その時、僕は男性アイドルに興味などまったくないもんですから、取り合おうともしなかった」
「そうでしたか」
「明日が妻の一周忌です。だから、仏壇に供えるためにこの会場でグッズを買おうと来たのですが、たまたま眞央さんの会話を聞いてしまったもので……」
トーマツさんにつられ、私も泣いていた。
まさか、こんな背景があったとは。だから、トーマツさんは最初、挙動不審な状態で会場にいたのだ。
「きっと、妻も眞央さんのようにここで見たかったろうなぁ。どうして僕は生きているうちに一緒にコンサートに行こうって言ってやれなかったんだろうか。今更ながら後悔しています」
そして、トーマツさんは握手をしてきた。
「ありがとう。今の男性アイドルはオジサンにとってもこんなに面白いものだと、今日初めて知ったし、また来たくなった。眞央さんのおかげで、特別な一日になりました」
祭りの後のコンサート会場に、私たちの嗚咽する声が響きわたる。
「さ、帰りましょうか」
トーマツさんは、震える声で言った。
「はい」と答えた私は、豊樹を思い浮かべる。
今日は、豊樹と一緒に見られなかったが、……いつか強引に連れて来よう。でないと、後悔するんだ、きっと。
そして、私たちはこの先ずっと付き合って、お互いがお互いを想いあえるトーマツさん夫婦のような関係になりたいと思った。(了)