Sランクパーティーを追放された賢者は、王都で念願だったバーを開く

「———いらっしゃいませ」

 間接照明のみが照らす薄暗くシックな雰囲気が特徴的な店内に、静かだがよく通る声を響かせて、大切なお客様を暖かく迎え入れる。

「……」

「お好きな席にどうぞ」

 誰もいない店内をキョロキョロと見渡している女性に、適当な席への着席を促す。

「……悲しい気持ちを忘れたいの。おまかせで頼めるかしら?」

 女性は俺の目の前———カウンター席の真ん中に座ると、儚げな表情で言葉を紡いだ。

「かしこまりました。少々お待ちください」

「ここはいつできたお店?」

「つい一月ほど前に開店致しました」

 俺は酒や果実水を適当な比率で混ぜ合わせながらも、丁寧に受け答えをしていく。

「ふーん。良い雰囲気ね。呼び方はマスターでいいのかしら?」

「嬉しいことに、皆様は私のことをマスターと呼んでくださいます」

 俺は幼少の頃からバーのマスターに憧れていたので、マスターと呼んでもらうと心が躍る。

「そう……」

「———こちら、ブルージェイズです」

 俺はテーブルに滑らせるようにして、女性の前に真っ青なカクテルが注がれたグラスを置いた。
 小さな泡を立てる微炭酸は青く透き通っており、見ているだけで心が落ち着く。

「ありがとう。ちなみに、これにはどういう意味があるの?」

「『悲しみを乗り越えるよりも、悲しみと同居した方が楽』とでも言ったところでしょうか」

 自身に降りかかる悲しみを無理に乗り越えるのが辛いのなら、そういうものだと割り切ってしまえ、ということだ。
 本来は飲み物一つ一つに意味などはないが、俺が独断と偏見で意味を持たせている。
 色や味わい、香りを参考にして、丁寧に考え抜いたものだ。

「……今の私にピッタリね———それに、とても上品で美味しい」

 女性はグラスに口をつけると、満足そうに小さく笑った。

「ありがとうございます」

 そんな女性の笑顔を見て俺も嬉しくなり、ついつい微笑み軽く頭を下げる。

「そういえば、このバーはなんという名前なの? 失礼だけど、裏路地で分かりにくいし、看板もなかったわよね」

 よほど口にあったのか、女性はブルージェイズ大事そうに飲みながらも、おもむろに聞いてきた。

「ここは【ハイドアウト】です。是非、喧騒から逃れてゆっくりしていってください」

 俺が王都の路地裏に構えるバーの名前は【ハイドアウト】。
 一月前にSランクパーティーを追放されたことで始めた憧れのバーだった。
 ここは王都から程近い街———スイセイの郊外。
 
 辺りに誰もいない静かな草原で俺は見知った男に胸ぐらを掴まれていた。
 時刻は夜。陽の光はすっかり沈み、夜の帷が下りている。

「スニーク、てめぇはどうしてそんなに強情なやつなんだ! リーダーの言うことが聞けねぇってのか!?」

 眼前で叫ぶ男の名前はルウェスト。

 俺が所属するSランクパーティー『(すめらぎ)』のリーダーだ。

「……何度言ったらわかる。俺の魔法は人々を陥れるためのものなんかじゃない。困っている人々を救うためのものだ」

 俺は視線を外すことなく堂々と答えた。
 いくら戯言を叫ばれようと、俺の意思は揺るぐことはない。

「あぁ!? モンスターに放つ魔法をわざと外して、あの村に逃げたモンスターをけしかければ、財宝は全て俺様たちの物だったんだぞ! クソがッ! 勿体ねぇ真似しやがって!」

 ルウェストは力任せに俺のことを突き放すと、苛立ちを隠すことなく地面に痰を吐き捨てた。

 相変わらず傍若無人な性格だが、ここ最近はより一層磨きがかかっている。
 剣の腕前だけ見れば有数の実力者なだけに、その性格は非常に勿体無く思う。

「俺は正しい判断をしたつもりだ。何か文句があるのなら受けて立とう」

 俺は乱れたローブを軽く整えると、再びルウェストと視線を交わして向き合った。
 彼はそんな強気な俺の態度が気に入らなかったのか、こちらを睨みつけながら舌打ちをする。

「スニーク、てめぇは今日限りでパーティーから脱退してもらう! 追放だ!」

「……」

「何も口答えをしないということは、追放を受け入れるという事で良いのか?」

 何も言い返すこともなく、あっさりと追放を受け入れた俺を見てルウェストは少し驚いていたが、特に言及するつもりはないようだ。

「それで構わない」

「ふんっ……なら、有り金を置いてとっとと俺様の前から消え失せやがれ!」

 ルウェストは俺が腰から下げる麻袋を丸ごと奪い取った。中には端金が入っている。

 本当はその僅かなお金も渡したくないのだが、ここで抗ってしまえば計画が全て台無しだ。

「チッ。世界最強の賢者様が持ってる金はこんだけかよ。んじゃ、二度と俺たちに干渉するんじゃねぇぞ? わかったか?」

 ルウェストは俺の所持金の少なさにぶつくさと文句を垂れたが、特にそれ以上は何を言うわけでもく立ち去っていった。

 一目でわかるほどの横柄な歩き方は、その強気で身勝手な性格を見事に体現している。

「……やっと追放されたか」

 ルウェストの姿が見えなくなると同時に、一人取り残された俺はポツリと呟いた。

 正直、無害な人々を犠牲にしたり、私利私欲に囚われたルウェストのやり方には飽き飽きしていたので、特に寂しさや悲しさは感じていなかった。

 ソロで活動していた俺の実力を買って、パーティーに誘ってくれたのは嬉しかったが、まさかここまで酷い手段で成り上がってきたとは思わなかった。
 本当はもう少しSランクパーティーに所属して活動しても良かったが、流石にもう我慢できない。
 数ヶ月程度の短い期間だったが、ルウェストと共に過ごしたせいで精神が疲れた。

 何の罪もない俺以外の二人のパーティーメンバーには悪いが、お先にこの悪環境から離脱させてもらう。

「いっそのこと、もう冒険者なんて引退するか」

 ふとした拍子に決意した。この機会に冒険者なんて辞めてしまおう。
 幼い頃から抱いていた夢は二つあったが、Sランクパーティーに所属したことでそれは既に叶ったし、もう未練は何も無い。

 この追放は僥倖(ぎょうこう)だったと考えよう。
 追放されたことによって、ずっと憧れだったもう一つの夢を叶えることができるのだから。

「……まずは王都に行くか。瞬間転移(テレポート)

 俺は密かに夢の準備を進めていたので、それを叶えることができる王都へ向かうことにした。
「——一週間ぶりにきたな」

 俺は転移魔法で王都の中心部に来ていた。
 中心部とは言っても、目的の場所はジメジメとした路地裏にある黒々しい不気味な建物だ。

「早速、準備を始めるか」

 俺の夢は二つある。

 一つ目の夢はSランクパーティーに所属し、世界最強の魔法使い———賢者になること。
 これはSランクパーティー『皇』に所属しているうちに、自然と呼ばれるようになっていたので、既に実現したと言える。
 現に俺は自分こそが世界最強だと自覚しているし、『皇』を含めて世界に三組しかないSランクパーティーに所属している他のどの魔法使いよりも、魔法のレパートリーは豊富だし、魔力の量も桁違いに多い。
 正直、魔法の扱いにおいては、誰であろうと負ける要素が見当たらない。

 二つ目の夢はバーを経営することだ。
 これは、ただ経営するのが夢ではない。
 クールだが、どこか人情味のあるマスターになりたいという願望がある。
 俺がまだ幼かった頃、今は亡き両親に連れて行かれたバーにいたマスターがカッコ良かったので、当時の俺はその姿に妙な憧れを抱いたのだ。
 その憧れは成熟した今もなお胸に秘め続けている。

「大量の投資しただけあるな。相変わらず最高のデザインだ」

 扉を開いて中に入った俺は安堵ともに呟いた。

 冒険者活動で稼いだお金を惜しげもなく注ぎ込むことで、この土地と建物をいっぺんに買い占めている。
 そして、内外装のデザインのために資材等を大量に買い込み、およそ半年前から地道に作業を進めてきた。
 全ては念願のバーをオープンする為だ。

 いつかは冒険者を引退して、完成したバーでマスターになろうと考えていたので、ルウェストに追放されたのは運命だったのだろう。
 変な禍根を残すことなく、きっぱり退くことができた。

「灯りは暗めで、席はカウンター席のみで少なめに配置……距離は適度に取りつつも、寂しさを感じさせない程度に……よし! バッチリだな」

 俺は自分でデザインした内装を大まかに確認していく。

 いつ見ても素晴らしい出来だ。
 凝りに凝ったおかげで、この場にいるだけでワクワクが止まらない。

「次は……いよいよだな」

 そして、俺は奥の居住スペースに入っていき、一番の目玉を見に行く。

「二十二歳にして、やっと着ることができる。これこそがバーのマスターだ……」

 俺がクローゼットからタキシードを取り出した。
 色は真白いシャツが良く映える黒色だ。
 加えて、少しばかりのアクセントとしてオレンジ色のネクタイを締める。

 どれも試着して以来の着用になるので、パリパリとしていて新鮮で気持ちが良い。

「よしっ」

 俺は手際良く着用したが、まだまだ鏡に映る自分の姿は見慣れない。まあ、特注でサイズはピッタリなので、そのうち着慣れてくると思う。

「初のオープンだ!」

 俺は出入り口の扉に掛かる木の板を、クローズからオープンに変えた。
 店名などは特に掲示していない。隠れ家的バーを目指しているので、ひっそりと佇んでいるくらいがちょうどいいのだ。

「順調すぎるな」

 無事に店をオープンさせたのはいいが、とんとん拍子に事が運びすぎて不思議な気分だ。

 以前からルウェストとは確執があり、衝突する機会も日に日に増えていたので、もう関わりを断てたと思うと開放的な気分にもなる。
 残されたルウェスト以外の二人には悪いが、俺はお先にフェードアウトして次の夢を追わせてもらう。

「さて、お客様を待つとするか」

 俺はグラスやテーブルを磨きながら、まだ見ぬ客の来店に備える。
 隠れ家的バーを意識し、少ない常連客と親密な関係を築きたいという理念があるので、チラシ配りや大々的な告知は一切行なっていない。
 そもそもこんな裏路地にバーを構えた時点で、頻繁に人が訪れることはないだろう。

 しかし、そんな俺の予想とは裏腹に、早々にその時は訪れた。

 新しい木材をあえて古臭く加工した扉が、小さな軋む音を立てながらゆっくりと開く。
 
「……ここは、何のお店?」

 半分ほど開かれた扉からひょこっと顔を出したのは、魔法使いのような外見をした小柄な少女だった。
 少し乱れた銀髪にほつれや汚れが目立つチャコール色のローブ。纏うオーラは、微弱だが人間ではない黒い何かを感じた。

 危険性は一切ないので特に言及はしないが、そんなことよりも、表情が暗い気がする。
 何か気を張っているような……いや、怯えている様子が見て取れる。

「いらっしゃいませ。こちらはバー【ハイドアウト】です。お酒や果実水、軽食からスイーツまで、幅広く取り揃えております」

 俺は恭しく頭を下げてニコリと笑みを返した。

「じゃあ、適当なジュースをお願い」

「かしこまりました」

 小柄な少女はカウンター席の端の方に座ると、退屈そうに言った。

「……」

 俺は何か言いたげな様子の少女を一瞥してから、ピカピカのグラスの中に、南の国の果実を濃縮したジュースを静かに注に入れた。

 これはアルコールが含まれておらず、甘くて飲みやすいのでオススメだ。
 
「お待たせ致しました。南国風ジュースになります」

 果実水やジュース、幼い表現だと”甘いの”等……呼び方はそれぞれだが、基本的に客側の呼び方に合わせた方が印象は良くなる。
 初対面の相手と話す際は、共感性を高めることが大切だ。

「ありがと……ねぇ、マスターに愚痴を溢してもいい?」

「どうぞ。絶対に他言はしないので」

 俺は口元に人差し指を添えて小さく笑いかける。

 どうやら少女には何か悩みがあるようだ。
 これが俺の初めての仕事になる。
 親身に寄り添うことで、俺の思い描くマスターとしての仕事を果たすとしよう。
「実はね———」

 小柄な銀髪の少女——シエルは儚げな表情でここに来た経緯を口にした。

 何でも最近、王都で冒険者として活動し始めたのだが、初めて入ったパーティーの男たちに騙されて、多額の借金を背負わされてしまったらしい。

 理不尽な目に遭ったせいなのか、日の当たるところにいると周囲の視線に晒されて嫌な気持ちになるらしく、ジメジメとした路地裏に入ったところで、ここに辿り着いたそうだ。

 そして、ここからが大事なところで、何と背負わされた借金の返済期限は明日。
 このままだと奴隷堕ちが濃厚なようで、今にも死んでしまいそうなほど絶望的な表情をしていた。

「———そうですか」

「……マスターならどうする?」

 ただのバーのマスターに聞いても解決しないことは分かっているはずなのに、シエルは弱々しい声色で言葉を紡いだ。

「そうですね……失礼ですが、借金の額はどのくらいですか?」

 駆け出しの冒険者ということなので、そんなに大きい額ではないはずだ。

「……一千万ゼニー。私、もうダメかも」

 シエルは空笑いを浮かべながら答えた。
 
 一千万ゼニーか……。
 Sランク適正のクエストを十回こなせば稼げる額だが、駆け出しとなると死に物狂いになっても短期間での返済は絶対に不可能だ。
 俺ならとっくに絶望しているに違いない。
 四人暮らしの一般的な家庭が五年は楽に暮らせる額である。

 ただ、そんな借金をチャラに出来る方法が一つだけある。

「ご存じかどうか分かりませんが、奴隷に堕ちれば借金はゼロになりますよ。明後日は半年に一度の奴隷オークションの日なので、その際に誰かに買ってもらえば、合法的に借金は無くなります」

 奴隷堕ちすれば、借金の支払い義務は奴隷から奴隷を購入した主に移るのだ。
 借金そのものが消えるわけではないが、本人の支払い義務がなくなる。

 まあ、主から借金と同程度の働きを言い渡されて潰された奴隷も中にはいるが、それは稀有な例だ。
 基本的に負債まみれの奴隷を買うやつなんて飛び抜けた金持ちしかいないので、借金は実質チャラになると言える。

「……え? そ、それなら、またやり直せるかも! あ……っ、でも、私みたいな女を買うのなんて……」

 シエルは一瞬だけ希望に含んだ表情になったが、最悪の場合を想定したのか、すぐに俯いてしまった。

 おそらく、女をモノとしか見ていない悪徳な貴族に買われることでも想像したのだろう。

 ただ……。

「お気持ちはお察しいたしますが、そうとも限りません」

「どういうこと?」

「ただの屋敷のお手伝いとして雇われる可能性もありますよ? それこそ、財があれば一般人でも奴隷を買うことは可能ですから」

 奴隷は金さえあれば買うことができる。
 それこそ、俺のような貴族ではない一般人でさえ。

「……そんな小さい可能性に賭けられないよ!」
 
 シエルはジュースを一気に煽ると、やるせない憤りを露わにした。瞳には涙が溜まり、相当追い詰められていることがわかる。

「話は変わりますが、お客様は接客の経験はありますか?」

「……いきなりだね。家の手伝いくらいならあるよ」

「ふむ。では、これからも冒険者として活動していく気概はありますか?」

 元のパーティーメンバーから派手に騙されても尚、冒険者として活動を続ける気概があれば、今後も一人で生きていけるだろう。

「……わからない。でも、また同じことをされたらって思うと難しいかも……」

 暫しの沈黙の後に、シエルは重たい口を開いた。

「辛いことを思い出させてしまい申し訳ありません」

 聞きたかったことを聞けたので、俺は無礼を働いたお詫びとして頭を下げる。

「いいの。私の話を聞いてくれたのはマスターだけだったから……それで、お代は———」

「———結構です。御無礼を働いたお詫びとして、今回は私の奢りです。お客様の御武運をお祈りしております」

 シエルはのっそりと席を立ち、肩下げのカバンに手を伸ばしたが、俺は首を横に振って断った。
 今後のことを考えれば安いものだ。

「ありがと。バイバイ、マスター。またどこかで会えたらいいね……」

 シエルはふらついた足取りで店を後にした。

「お気をつけて。またどこかで……」

 ぱたりと扉が閉まる。
 同時に俺は考えた。

「ふぅ……明日と明後日は休みにするか」

 一つ息を吐き、空になったグラスを洗い場に置いた。

 明後日は半年に一度の王都の名物行事———奴隷オークションがあるので、開店二日目にして店を休みにすることにした。

 奥の金庫から金をたんまり持っていくとしよう。彼女を購入することができれば、店の看板娘として雇えるので、ゲスイ貴族に競り負けるわけにはいかない
 俺は朝早くから奴隷オークションが行われる会場に足を運んでいた。

 数百人の貴族や多数の冒険者が、待ちきれないと言った様子で忙しなくしている。

「……すごい人気だな」

 俺は一般人に紛れ込んで最後方の一般席に座ると、遠くに見えるステージの様子を窺いながら、始まりの時を待っていた。

「———これより奴隷オークションを開催致します! 月に一回限りの最高のショーを存分にお楽しみください! 本日ご紹介する奴隷は十名! どれも不幸な背景があるものばかり! お安く提供させていただきますっ!」

 席について大人しく待つこと数十分。
 ようやく奴隷オークションの開始を告げるゴングがなった。
 同時に眩しいくらいに明るかった照明が一気に消灯されて、ステージの中心にスポットライトが当てられた。
 そこには、口髭の生えた胡散臭いオヤジが立っており、集まったオーディエンスを盛り上げるようにして声を張り上げていた。

「早く始めろよォォ!!」
「俺は今日のために金を貯めてきたんだぞ!」
「早く俺にエルフを売ってくれ!」

「———ボルテージは既に最高潮! 皆様をお待たせしてしまうのは私の心も苦しいので、早速ですが、一人目の奴隷の紹介に移りたいと思います! 最初の奴隷はこいつだ! 小人族の女性! 奴隷に堕ちた理由は、貧困に陥った村を救うため……つまり、身売りだ! 年齢は十六歳! そして未だ夜の経験がない生娘です! 値段は百万ゼニーから!」

 奴隷オークションに訪れるのは久しぶりだったが、やはりかなり複雑な気分になるな。
 人が金で売られていく姿を見るのは心が痛い。

「百五十!」
「百五十五」
「……百八十」

 如何にもな顔をした成金貴族たちが、次々と声を上げていく様子はなんとも滑稽だ。
 当人たちは変装のつもりで、似たような気色の悪い仮面をつけているが、わかる人が見れば声や体型だけで一目で看破できる。
 まあ、一般の民にバレなければいいという考えなのだろう。

「百八十でよろしいのですか!?」
「———二百五十だ!」

「これ以上はいませんか!? では、二百五十万ゼニー! ご購入なされたそちらのお客様は帰り際にこちらまでお越しください!」

「や、やったぞ! 僕の奴隷コレクションが増えていくぞ!」

 ブクブクと太った男に、小人族の女性は買われていった。
 売られる奴隷に口を出す権利は一切なく、こういう危ない輩に買われたら最後。
 死ぬまで慰み者にされるのがオチだろう。

 小人族の女性は悲しげな表情を浮かべているが、俺にはどうすることもできない。
 申し訳ない気持ちでいっぱいだが、そこはグッと堪えることにした。

「では次の奴隷は———」

 ステージの真ん中に立つ奴隷商人の男は、スムーズに次の奴隷の紹介に入っていった。

 さて、彼女はいつ出てくるかな。

 俺はステージに意識を集中させながらその時を待つことにした。
「———いよいよ、最後になりました。これまで、エルフや人魚族、犬人族や猫人族など、多くの種族の紹介をして参りましたが、最後に紹介するのは、このオークションで扱うのも初めて、私が実物を見るのも初めての目玉商品! 若干十六歳の魔族と人間のハーフの少女だ!」

 興奮した様子の司会の男が叫ぶと、布で覆われた何かがステージ袖から中央へと運ばれてきた。

「なにぃ!? 魔族だと!?」
「大丈夫なのか!?」
「おいおい、魔族を奴隷にするなんて規格外だぜ!」

 冒険者や貴族が騒いでいるが、もっともな意見だ。
 純血の魔族だとしたら危険だろう。
 数千年前より敵対し続ける人間と魔族が相入れるのは不可能に近いのだから。

「———皆様、どうぞご安心ください。奴隷の首輪は装着するだけで全ての力を制御することができる万能なアイテム! いくら相手が魔族であろうと、こちらには一切逆らえません! 万が一に備えて、現在は檻の中に入れた状態での紹介になりますので、ご了承ください! それでは、ご覧あれ!」 

 司会の男の掛け声と共に布が取り払われると、そこにはスポットライトに照らされた頑強そうな檻があった。

 檻の中にはボロ切れのような衣服を身に纏っている銀髪の少女———シエルの姿がある。

 何となく純粋な人間ではないとは思っていたが、あの微弱に感じる不思議なオーラは魔族のものだったか。
 しかし、魔族の血はかなり薄いのでほとんど人間と変わらないだろう。
 遥か昔の先祖の一人が魔族だっただけなのかもしれないな。
 
「それでは、値段は五百万ゼニーからのスタートになりますが、ここで一つだけ注意点があります! 実はこの奴隷は一千万ゼニーの借金を背負わされているので、皆様ご存知の通り購入した瞬間に借金の返済義務は主に移行します! では、始め!」

 これまでは途中で出てきたエルフの女性が最も高く、スタート額が三百万ゼニーだったので、ここにきて最も高い数字になる。

 まずは様子見だな。

「五百二十!」
「五百六十!」

「六百!」

 魔族という珍しい奴隷が欲しいのか、ここまで競り勝つことのできていなかった貴族たちが、こぞって参加していた。
 魔族の奴隷という物珍しさの影響か借金については誰も考慮していないらしい。

 中でも六百の声を上げた貴族は、ヘンダーソン公爵家の一人息子———チャーリー・ヘンダーソンだった。
 悪徳貴族として有名で、冒険者の間でも煙たがられている存在だ。
 金に物を言わせるボンボン息子が好かれるはずがない。気に入らない人間を不幸に貶めるのが趣味らしく、顔を覚えられたら最後とまで言われている。

 こんなやつと争うことになるのは不服だが、俺も彼女のことが欲しいので我慢するとしよう。

「六百でよろしいのですか!? では———」

「———七百だ」

 俺は静かに、だが確実に通る声を出して、ステージにいる奴隷商人の男に告げた。
 一般席の最後方から参加する俺に視線が集まる。

「ぼ、ぼくは七百十だ!」
「七百八十」
「——くっ! な、な、七百九十!」

「八百二十」

 チャーリーは恨めしそうな表情で俺のことを睨みつけていたが、俺は間髪入れずに値段を吊り上げていく。

「誰だあの黒髪の男は? あの席にいるってことは一般人だろ?」
「社交界でも見たことがないぞ」
「まさかチャーリー様に喧嘩を売るとはな。ヘンダーソン家が黙っていないぞ。あいつは食い物にされて終わりだな」

 オークション会場にいる人々が、俺の姿をジロジロと見ながらざわめき始めた。

 視線を感じるが問題ない。目以外を覆い尽くすマスクをつけているし、露出している黒髪はさほど珍しくはないので、それだけではバレないだろう。

 それに、そもそも俺は”賢者”と呼ばれてはいたが、顔や姿は全く知られていない。
 というのも、俺は『皇』に加入するまではずっとソロで冒険していたのだが、ソロであるが故に目立つことを恐れ、一定の時期ごとに魔法で髪や瞳の色、容姿から性別まで常に変え続けていた。
 今の黒い髪と瞳は素の姿になるが、この姿を知るものは『皇』のメンバーのみとなる。

「では、八百二十万ゼニーでよろしいのですね!?」

「———くそ……ッ!」

 奴隷商の男は一般席に座る俺と、最前列に座るチャーリーの姿を交互に見ながら最終確認をしたが、チャーリーはこれ以上は金を出す気がなさそうだった。

 彼らがしているのは商売だ。
 貴族だからといって忖度する気はないのだろう。
 金を出す方に譲る。それだけだ。

「かしこまりました! なんと、一般のお客様の手によって、八百二十万ゼニーで落札となりました! そちらのお客様はステージ裏までお越しください! これにて、本日の奴隷オークションを終了致します!」

 俺がシエルを無事に購入したと同時に、半年に一度の奴隷オークションは無事に幕を閉じた。
 それにしても、たった八百二十万ゼニー……いや、借金を含めると二千万ゼニーに近い額か。
 だが、それだけで彼女のことを救えて、尚且つ雇用できる人材が手に入るなんて儲けもんだな。
「本日は当館の奴隷をご購入頂きありがとうございます」

 俺は周囲の盛り上がりが覚めやらぬ中、いち早くステージ裏へ向かった。

 そこには気色の悪い笑みを浮かべる奴隷商人の男と、檻に収監されるシエルがいた。
 彼女は隅の方で膝を曲げて寂しそうに座っており、首を垂らしてこちらを一瞥すらしない。

「運搬方法はどうなさいますか?」

「一から説明してくれると助かる」

 俺は初めて奴隷を買ったので知らないことだらけだったので、とりあえず聞き返しておくことにした。

 それと同時に魔法収納(マジックボックス)から金を取り出すと、奴隷商人の男に投げ渡した。

「おお! これはこれは、収納魔法を使えるだなんて、有名な魔法使いのお方でしたか! 初めて拝見いたしました!」

 奴隷商人の男は俺が空間に手を突っ込んで、どこからともなく金を出したことに驚いているようだ。

「説明の続きを頼む」

 だが、そんなことはどうでもいい。
 時間が惜しいのだ。
 徐々に近づいてくる複数の(よこしま)な気配を感じる。

「もう少しばかりお金を積んで頂ければ、我々が責任を持って安全に運搬致します。もしも腕に自信があるのでしたら、檻から出して連れて行っても構いませんが、生憎珍しい奴隷ですので外部から狙われる危険性もあります。故に我々に頼んだ方が安心かと思いますがね。我々にお任せいただけますか?」

 奴隷商人の男は手のひらを擦り合わせながら、媚を売るような態度でにじりよってきたが、俺よりも弱いやつに運搬を任せる方が危険性が増すので、断る以外の選択肢はない。
 
「必要ない」

 俺は狭い檻の中で三角座りになって涙を流すシエルに手を伸ばす。
 そして優しく頭に手を添えて魔力の同期を図る。
 奴隷商人は訝し気な目で俺のことを見ていたが、特にその行為を止める様子はなかった。

 しかし、背後から耳障りな声が聞こえてきた。

「おい! そこの黒髪の男! さっきはよくも横取りしてくれたな! ぼくを誰だと思っている!? ぼくは公爵家のチャーリー・ヘンダーソンだぞ!」

 現れたのは胸を張って偉そうに自己紹介をするチャーリーだった。
 怒気を孕んだ口調から分かるように、かなり頭にきているらしい。

「手篭めにした大勢の貴族を引き連れて何を企んでいるんだ? もしかして、腹いせに自分が買えなかった奴隷を無理矢理奪い取るつもりか?」

 俺は呆れながらも言葉を返した。
 シエルの首元から手を離し立ち上がると、彼らに向き合う。

「うるさいっ! 一般の愚民がぼくに口答えする気か! 大人しくその魔族をよこせ!」

 話が通じないな。背後にいる護衛の騎士や他の貴族共もすっかりやる気みたいだ。

 彼らに買われた奴隷たちは更にその後ろにいるようだが、よく見てみると今日一日でオークションにかけられていた十名全員の姿が見える。

 ふむ……このまま引き下がるのも癪だし、少し騒動(トラブル)を起こして退散するとしよう。

「———悪夢誘因(ナイトメアスリープ)

 俺は瞬間的に魔法を発動させた。
 魔力を練り上げる動作すら見せることはない。

「あ……っ……え?」

 刹那。チャーリーを含むこの場にいる貴族や護衛の騎士の全員が、白目を剥いて泡を吹きながら地面に崩れ落ちた。
 俺のすぐ隣にいた奴隷商人の男も同様で、近くの壁にもたれかかって瞳を閉じている。

 バタバタと倒れ伏していく貴族共の姿を見た奴隷たちは、わなわなと震えて怯えていた。

 この魔法は俺が選択した対象を一瞬にして眠りの世界に誘い、強制的に悪夢を見させる魔法である。
 周囲からの評価や恨まれ方がそのまま悪夢に反映される為、チャーリーや奴隷を買いに来た貴族共はもれなく酷い悪夢を見ることだろう。

「……さて、君たちはこの隙に逃げるといい。もちろん強制はしないが、こんな下衆共の奴隷(ペット)にはなりたくないだろう?」

 俺は困惑する奴隷たちを一瞥すると、彼らに背を向けてシエルに視線を移した。

 それからすぐに背後から複数人が走り去っていく騒がしい音が聞こえてきた。
 何人かは律儀にお礼の言葉まで述べているようだった。

 まあ、何はともあれ、気配的に全員逃げたようだ。
 当たり前だよな。こんなところに留まる必要なんて全くない。
 彼らはに自由を手に入れる権利がある。

「さて……俺たちも行こうか。瞬間移動(テレポート)

 俺は檻の中に手を伸ばしシエルの首元に手を当てると、転移魔法で【ハイドアウト】へ向かった。
 彼女は外部との接触を完全に断ち切っているのか、未だに俯き続けていた。
 一つ瞬きをすると、奴隷オークションの会場から【ハイドアウト】に帰還していた。

 やはり転移魔法は楽で助かる。

「さあ、着いたぞ」

「……え? ここは……どこ……?」

 俺が声をかけると、シエルは柔らかい絨毯の上に座りながら、ゆっくりと視線を動かし部屋の中を見ていた。

 転移先は【ハイドアウト】の奥に位置する居住スペースだ。
 ここは表にある薄暗い店内とはまるで違う為、初見で【ハイドアウト】だと気づけるはずがない。

「———シエル。君には今日からここで働いてもらう」
「は、働く? わ、私に何をする気……!?」

 シエルは自身の体を抱いて小さく震えていた。
 まあ、訳のわからない男に買われたと思ったら、いきなり働けと言われたのだから当然の反応だ。

「ついてきてくれ」

 シエルはまだ状況が飲み込めていないようなので、俺は特に説明をせずに、薄暗いバーカウンターに連れて行った。

「———ここは……この前の……」

 昨日と立っている位置は逆だが、どこにいるかは察してくれたようだ。

「ここで働いてもらう」

「え?」

「どうだ? 働いてくれるか?」

「マスターは? マスターはどこ? ここには優しいマスターがいたの……」

 シエルはわなわなと震えながら、辺りを見回していた。
 少し話しただけなのに、優しいと評してくれるとはありがたい。

「マスターはどこにいると思う?」

 俺は優しいと呼ぶには低すぎるトーンで、不敵に笑いながら聞いた。

「……ま、まさか!」

 すると、シエルは口をぽっかりと開けながらも瞳の奥を震わせた。
 これは妙な妄想を膨らませているな。ちょっと驚かせてやろうと思っただけなんだが、思った以上に本気に捉えられてしまった。
 精神的に弱っていることだろうし、変な冗談は控えた方が良さそうだ。

「悪い、俺がマスターのスニークだ」

「えぇ!?」

 俺が顔を覆うほど大きな黒いマスクを外すと、シエルは心底驚いたというような表情をしていた。
 そして彼女は続け様に口を開く。

「……どうして? どうして私を買ったの……? 出会って間もないのに、大金を叩いてまで、使えるかどうかも分からない奴隷を買うなんてばかばかしいよ!」

 確かに、俺は腐るほど金を持っているが、こんな使い方は馬鹿なのかもしれない。
 だが、そこにはしっかりとした理由があった。

「シエルを買ったのは俺の自己満足と偽善的な心だ。そこは否定しない。だが、一度見知った人間が酷い目に遭うのはちょっと悲しいだろ?」

 パーティーメンバーに騙され、金を返すことが出来ず奴隷になる。
 他にもこれと同程度、又はそれ以上の苦しい思いをしている者はたくさんいるだろう。
 だが、それは俺からしたら他人なので全員は救えない。
 救える範囲で命を救った。それだけだ。
 先ほど逃した奴隷たちも一緒だ。最低限の手助けをしただけにすぎず、それ以上のサポートはしてやれない。

「……シエルは俺の記念すべき初めての客なんだ。簡単に見捨てたら寝覚めが悪いだろ?」
「……っっ……ぅぅ……」

 シエルは喜びか、悲しみか、はたまた双方か、詳しい感情は分からないが、涙を流しながら綺麗な笑顔を浮かべていた。

 俺は涙を流す彼女に寄り添い続けたのだった。