「あの時の私は王都に来て冒険者になったばかりで浮かれちゃってたから、人を疑うとかそんなことは考えてなかったんだよね……今思えば、怪しいところはたくさんあったかも」
「そうか」
シエルは後悔の念を表すように眉間に皺を寄せていた。その気持ちは俺にもわかる。俺だって初めて魔法を使えた十数年前は昂って我を失っていたと思う。
冒険者になってすぐできた仲間や、冒険者について熱心に教示してくれた受付嬢のことは疑いたくないもんな。
「……ねぇ、本当にルーナさんは悪い人なの?」
「まだ証拠はないが、善人ではなさそうだな」
おずおずと尋ねてきたシエルに対して俺は迷いなく答えた。
ただ、シエルを嵌めることで得られる旨みがわか、ないな。
彼女が奴隷に堕ちることで得する人物は誰だ?
それを命じている人物が真の黒幕か?
今ここで考えても分かりそうもないな。
「シエル。これからは初対面の相手は必ず疑え。誰であろうと絶対だ。いいな?」
「う、うん……」
立ち止まった俺はシエルの方に手を乗せて目を見て言葉をかけたが、彼女はいまいち理解していない様子だった。根っからの善人なのだろう。人を疑う気持ちを一切知らない優しい顔をしている。
だが、それでは生きていけない。
「王都はシエルが思っているよりも物騒なんだ。特に冒険者なんて命知らずのバカがやる仕事だ。高い報奨金と命を天秤にかけて、誰もが死に物狂いで戦っている。おかしなやつも少なくない。人を騙して悦に浸ったり、モンスターの大群を別のパーティーにわざと押し付けたり、魔法を意図的に暴発させて無害な村を燃やし尽くそうとしたり……中には残虐な奴もいるんだ。だから、もう少し警戒心を持った方がいい。わかったか?」
「……わかった」
「悪い、説教みたいになっちまったな」
少し瞳を潤ませながら返事をしたシエルを見て、俺は一つ咳払いをして彼女に謝辞を述べた。
ついつい真面目な声色で長々と言葉を垂れてしまったな。申し訳ない。
「大丈夫。マスターが私のことを思って言ってくれてんだってことは伝わったから!」
「ふっ……そうか。それじゃあお腹も空いてきたし早く帰ろうか」
「うん!」
元気に返事をしたシエルはサラサラの銀髪を揺らして歩き始めた。
俺はそんな彼女を駆け足で追いかける。
色々と話し込んでしまったが、知り得た情報もたくさんあった。
またどこかでアレンに会えたら、ルーナのことについて聞いてみたいな。
彼女の評判や過去の悪行について何かわかるかもしれない。場合によってはシエル以外き被害者がいる可能性も高いので、少しばかり探りを入れたいところだ。
時は流れて夜になり、【ハイドアウト】は今日もひっそりと開店していた。
ただ、今のところお客さんが一人も来ていないこともあって、俺は合間を見ながらシエルに仕事を教えていた。
「……んー、グラスを磨くのもコツがいるんだね」
「一般的なワイングラスやショットグラス、大小サイズの異なるジョッキ……これに加えて、それぞれ材質も違ったりするから意外に大変かもな……大丈夫そうか?」
初歩的だが奥が深く、それでいて最も単調かつ大切な作業であるグラス磨きだが、シエルは少々苦手なようだ。
「うん! 早く覚えられるように頑張るね!」
シエルは真白い布でグラスを磨きながらも快活な笑みを浮かべた。
「もう割るなよ?」
「あの時はわざとじゃないからね!?」
ふざけてからかった俺の言葉を聞いたシエルは、バッとこちらに視線を移して睨みつけてきた。
「冗談だ」
「もう……」
呆れたようにシエルが息を吐いたのとほぼ同時のことだった。
古風な加工を施した店の出入り口扉が勢いよく開かれる。
現れたのは素面に見えるのに、少しばかりテンションの高い若い男だった。
ちょうど聞きたいことがあったからナイスタイミングだ。
「いらっしゃいませ。アレン様」
少し前から接近していることを気配で察知していた俺は、間髪入れずに来客に頭を下げる。
今回はシエルは隅に移動せずに俺の横で待機している。
「マスター、前は悪かったな。ちょっとくだらない会食の用があったのを忘れてたんだわ」
つまらなさそうな口調で挨拶をしてからカウンター席に腰を下ろしたのは、王都の冒険者ギルドでギルドマスターをしているアレンだった。
チャラけた風貌と雰囲気であるが、饒舌で頭の回るタイプだと思う。
「いえいえ。またいらしてくれると思っておりましたので心配は無用です。それで、本日はいかがなさいますか?」
「そうだなぁ……今日の仕事はもう終わったし、かなり重ための料理とか頼めるか? メニューは任せる」
「かしこまりました。嫌いなものやアレルギーはございますか?」
この質問を忘れると事故に繋がり、相手からの信頼を損ねてしまう危険性が高いので、しっかりとヒヤリングする必要がある。
「特にないが、パワフルで腹持ちのいい料理だと嬉しいな。魚より肉って気分な。それと、酒は前回と同じやつで頼む」
「気に入ってくれたのですね」
「まあな。料理にも期待してるぜ?」
アレンは慣れた様子でキザなウインクをすると、カウンターに両肘を乗せて指を組み、自身の口元に持っていった。
偉そうな雰囲気をビシビシ醸し出しているが、実際立場的に偉い人なのでどこか様になっている。
「お任せください」
一つ微笑みを返した俺は、まずは前回と同様にウイスキーの炭酸割りを作り、彼の前に差し出した。
それから小さい声でお礼を言うアレンの顔を一瞥すると、すぐさまカウンター下に設置された冷蔵庫の中を確認した。
膝を曲げてしゃがみこみ思考する。
パワフルで腹持ちの良い料理で、気分的には魚よりも肉。
いちいち迷うことはない。
さて、アレを出すか。
「……」
すぐに閃いた俺は冷蔵庫の奥から大きな肉塊を取り出すと、静かにまな板の上に置いた。
そして、重さにして三百グラムほどの肉塊の上から、パラパラと塩胡椒を振りかけていく。
無駄な味付けは必要ない。
「おおっ! 肉だ!」
ちびちびお酒で口を潤していたアレンは、カウンター越しに肉塊を見て喜び混じりに驚いていた。
「ええ。結局はシンプルが一番だと思いましてね」
「よくわかってるじゃないか。ところで、それは何の肉だ? 牛や豚にしては筋張った無駄な脂身がかなり少ないように見えるが……」
アレンは肉塊を凝視しながら言った。
「こちらは子供のドラゴンのテール肉でございます。成長過程の途中のため、筋肉が少なく非常にジューシーな味わいになっております」
一般的に世間に出回る食肉は家畜化された牛や豚の肉になるが、冒険者はモンスターを食すことも少なくはない。
中でも子供のドラゴンはかなりの人気を博しているのだが、討伐が困難という理由で市場に流通することは滅多にない高級食材だ。
まあ、俺からすれば適当に魔法を撃ち込めば討伐できるし、彼らの尻尾は十数日程で再生するから手に入れるのは容易である。
余談だが、大人のドラゴンの肉は不味い。栄養価は高いのだが、筋肉が多すぎて固すぎるのでおすすめはしない。
「はぁ? お、おい。なんでそんな高級食材があるんだ? ギルマスのオレでさえ中々お目にかかれないんだぜ?」
「たまたま知り合いに譲ってもらったのですよ。それで……焼き方はいかがなさいますか? 私的にはカリッと香ばしく焼き上げるのをお勧め致しますが」
「たまたまねぇ……まあ、焼き方は任せるよ」
アレンははぐらかされたことが気になる様子だったが、同時に腹の虫を鳴いたからか特に追求はしてこなかった。
「かしこまりました。では……失礼致します。少々熱波が飛びますのでご注意ください」
俺はまな板の上に置かれる肉の上に右の掌を翳すと、すぐさま無詠唱で火の初級魔法を限定的な範囲で発動させ、肉全体を眩い炎で包み込んでいく。
「え?」
アレンがぽかんと口を開けて驚いていたが、俺は特に気にすることなく肉を火の魔法で焼き続けていった。
タイミングが命だ。肉の断面にしっかりと火を通し、表面にパリッとした焦げ目がつく絶好のタイミングを見逃してはならない。
「……」
やがて十秒ほど経過した頃、絶好のタイミングで俺は魔法を解くと、丁寧に分厚く切り分けていき、あらかじめ用意していた木製の皿の上に盛り付けた。
ちなみに、隣に立つシエルは口をあんぐりと開けて言葉を失っている。他の物に引火させることなく、肉塊のみを焼いた火魔法に驚いたのだろうか?
別にこれくらいはお手のものだ。
少し魔法をかじっていれば簡単にできると思う。
「……お待たせ致しました。ドラゴンのテール肉でございます。簡単に塩胡椒のみで味付けしておりますので、どうぞそのまま召し上がってください」
俺は丁寧な所作でアレンの前に皿を置き、併せてナイフとフォークを差し出した。
「っ……やべぇな、これ」
彼はごくりと唾を飲み込み、ステーキを見ながら舌なめずりをした。
立ち上がる香ばしい湯気は鼻腔の奥まで侵入し、誰であろうと空腹にしてしまうことだろう。
「どうぞ。お召し上がりください」
俺が微笑みかけると、アレンは右手に持ったフォークでステーキを突き刺し、ゆっくりと自身の口に運んでいった。
刹那。彼は目玉が飛び出そうなほど瞳を見開いた。
「っ!!」
一瞬にして肉の旨み自身の体を支配されたのか、アレンはそれから何も言葉を発することなく、無我夢中で手を動かしステーキを頬張続けていた。
満足していただけたようで何より。
さて、この間にシエルにはまな板と包丁を洗ってもらおうかな。
「シエル、これを頼む」
「……あ、う、うん!」
シエルはハッと我に返ると、洗い場に置かれたまな板と包丁をスポンジで洗い始めた。
手際は悪くない。少しばかりドジなところがあるが、愛嬌はあるし愛想も良いので問題ないだろう。
それにしても、たまたま子供のドラゴンの肉が手元にあって良かったな。アレンには少しばかり聞きたいこともあったし、料理で気分を昂らせた隙に質問を投げかけてみるとしよう。
「ふぅぅぅ……ボリュームたっぷりで最高だったぜ! 満腹でしばらくは動けそうにねぇ」
アレンはぐでっとだらしない格好でカウンターにもたれると、満足げな様子で頬を緩めていた。
「満足していただけたようで何よりです。お酒のおかわりはいかがなさいますか?」
「ん、ああ、頼む」
アレンがこちらにショットグラスを差し出してきたので、俺は流れるような手捌きでウイスキーを炭酸で割る。
彼はほんのり酒が回っているのか、顔がやや赤らんでいる。
「……ところで、アレン様」
「んぁ? どうした?」
「少し冒険者ギルドの受付嬢に関して聞きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「いいぞ。なんだ、惚れた女でもいたか?」
俺の問いかけに対して、アレンはニヤニヤと悪どい笑みを浮かべて聞いてくる。
こうして話すと彼はごく普通のノリの良い若者にしか見えないが、一応警戒の念を解くことはしないでおく。
もし、万が一、アレンがあっち側の人間だった場合のことを考えて、慎重に探りを入れていく。
「いえ、実はルーナさんという金髪の方のことなのですが……」
「あー、ルーナねぇ……あいつぁちょっと変な噂も多いからオススメしないぜ?」
アレンは何か心当たりがあるのか、ぴくりと眉を顰めていた。
「変な噂ですか?」
「本当かどうかは知らねぇけど、色々と話を聞くぜ? 美人局みたいに冒険者の男を何人も唆して貢がせてるとか……まあ、受付嬢なのにあんな高級なアクセサリーをつけてたら不思議に思うのも無理はねぇ。ありゃあ相当なもんだぜ? ギルマスの俺でも何個も買えるもんじゃねぇな」
「そうなんですか」
「まあな。というか、マスター。隣に可愛いお嬢ちゃんがいるのに、他の女に手を出すつもりかい? ははっ、中々のプレイボーイだな!」
アレンは短く、それでいて甲高い声で笑うと、ぐいっとショットグラスを一気に煽った。
悪酔いはしないはずだが、酒に酔いやすいタイプなのか、すっかり楽しい気分になっているようだ。
また、いきなり可愛いと言われて悪い気はしていないのか、隣に立つシエルもどこか得意げな表情になっている。
単純すぎて困る。だから騙されるんだぞ?
まあいい。今なら何でも話してくれそうなので、適当に質問をぶつけていくことにするか。
「ちなみにですが……ルーナさんの装いや身につけるアクセサリーなどに違和感はございませんか?」
アレンがどこまで把握しているかはわからないが、この質問の答え次第で正解が導き出せるかもしれない。
「うーん……そう言われてみれば、大体半年に一回くらいの頻度でアクセサリーが増えてたり、変わってたりすることがあるな……」
「左様ですか。よく気が付きましたね」
ビンゴだ。一端の受付嬢の容姿の変化に気がつくとは、流石はギルドマスターである。
「まあ、これでもオレは一応ギルマスだし、ギラギラして目立つやつをつけてるってこともあって、よく覚えてるんだよ。それに、色んな男と日替わりで夜遊びしてるって噂もあるしな。歓楽街にほぼ毎日通ってるみたいだぜ? ありゃあ間違いなく太いバックがついてるな」
アレンは顎に手を当て記憶を探るような、ただどこか核心を突くような断定的な言い方をした。
「ほう……太いバックですか」
そう言われて真っ先に思いつくのは金使いの荒い貴族だったが、どのような手段を用いて単なる受付嬢が貴族と繋がりを持ち、高級なアクセサリーを買えるほどの大金を得ているのだろうか。
まだまだ不明点が多いな。
しかし、わかったこともある。
アレンのこと様子と口振りからして、彼はルーナと手を組んでいる黒幕的な何かではなさそうだ。
除外してもいいだろう。
嘘をついている様子も特になさそうだ。
「それよりマスターって、もしかして元々ルーナと親しい間柄だったりするのかい?」
アレンは疑いの余地を持つことなく、純粋な疑問をぶつけてきた。
本当に詳しいことを何も知らないらしい。
であれば、ここいらでこちらが持つ情報を開示して協力を仰いでみることにしよう。
「いえ、バーのマスターをやっていれば、様々な情報を自然と耳にするんですよ。例えば、ルーナさんが無知な初級冒険者を騙してわざと奴隷堕ちさせていたりとか……ですよね? シエル」
「え、えっ!? ここで私に振るの!?」
「……それは本当か?」
飛び跳ねて驚くシエルを横目に捉えたアレンは、ギロリと瞳を細めて息を吐いた。
おちゃらけた雰囲気から一転して、威厳のある重々しいものになる。
「ええ。彼女の名前はシエル。つい先日開かれた奴隷オークションから私が迎え入れた奴隷です。初級冒険者になってすぐにルーナさんとその御一行に騙されて、およそ一千万ゼニーの借金を背負わされています」
一介のバーのマスターがそんな奴隷を購入したら怪しまれると思い、俺は適当に言葉を変換させてアレンに真実を伝えた。
「一千万ゼニー!? おいおい、それが事実なら大問題だぜ? それに奴隷オークションって……成金の肥溜めスポットじゃねぇか。ルーナみたいなギルドの受付嬢からは程遠い場所だぜ」
そんな成金の肥溜めスポットである奴隷オークションの会場でシエルを購入しただなんて、口が裂けても言えない。
「ですが、シエルから聞いた話と私がルーナさんのリアクションを見た限りでは話の全ては真実に近いと思われます」
「はぁぁぁぁ……」
アレンは大きなため息を吐いて頭を抱えた。
まだ若そうに見えるのに、髪の毛には若干の白髪が混じっている。各所から重圧をかけられストレスの溜まる大変な仕事なのだろう。
リラックスを求めてバーに来てもらったのに申し訳ないな。
「ん? いや、ちょっと待て。お嬢ちゃんはあの時会場で売買されていた奴隷なんだよな?」
「ええ」
途端に我に返ったアレンの問いに返事をする。
シエルが俺の奴隷という認識はゼロに近いが、事実として俺が購入した奴隷で間違いない。
「さっきは迎え入れたって言っていたが、まさかマスターはあの日の会場で起きたゴタゴタに遭遇してたってことはないよな?」
「一応、その場にはいましたよ」
俺が返事をすると同時に、隣に立つシエルがほんの僅かに肩を震わせた。わかりやすいリアクションを取るのは勘弁してほしいが、彼女は完全なる被害者なので、俺の意向を無理強いすることもできない。特に言及はせずに話を続けよう。
「……ちなみに、会場で黒髪で仮面の男は見かけなかったか?」
アレンは多少の疑いの念を俺に向けているようだ。
「見かけませんでしたね」
嘘は一切ついていない。
俺こそが仮面の男なのだから、第三者の視点から”見かける”ことなど不可能なのだ。
「そうかい」
「仮面の男を見つけたら、その時はどうするおつもりですか?」
「ん? 保護するんだよ。もしまだ王都に留まって隠れているのなら、オレが責任を持って外に逃がしてやるつもりだ。今回の一件で奴隷オークションの信頼はガタ落ちしたみたいだし、チャーリーだけじゃなくて、他の成金貴族たちにも一杯食わせることができるだろ?」
アレンは至極当然といったような表情だった。
同時にその言葉を聞いたシエルが僅かな笑みを浮かべて何かを口にしようとしていたが、俺はすぐさま横目で一瞥して言葉を制した。
アレンの考えに賛同して、真実を打ち明けようとしたのかもしれないが、それはダメだ。
この段階で打ち明けてしまうと、行動が制限されてしまう。
「……素晴らしい考えですね。私も仮面の男を発見したらすぐに報告します」
「おう。いつでもギルドに来てくれ。その時はこのコインを見せるとスムーズだぜ?」
アレンは胸元から取り出した一枚のコインを指で弾いてこちらに飛ばしてきた。
意図していなかったことだが、これでギルマスとバー以外で気軽に接触できることになったのはありがたいな。
「ありがとうございます」
俺は浅く頭を下げる。
「オレもマスターに興味があるから大丈夫だ。肉を焼いた火魔法だったり、隠しきれてねぇその強者のオーラ……いつかマスターの話も聞かせてくれよな?」
アレンは少しだけ神妙な面持ちだったが、最後には笑いかけてきた。
今はSランクパーティー『皇』に所属していた賢者だったという事実さえバレなければ何でもいい。
「ええ……その時が来たら必ず」
「よっしゃぁ! 話も済んだ事だし、オレは帰るっ!」
アレンはモヤっとした空気を振り払うように勢いよく席を立つと、懐からパンパンに膨れた麻袋を取り出した。
「お代は結構です。たくさん話も聞けましたし、今日は私の奢りということにしてください」
「いいのか?」
「ええ」
「ますますこの店が気に入った! また来るぜ! またな、マスター」
アレンは顔をほんのり赤らめながら退店した。
少々お酒に酔っているようだが、夜風をあびて外を歩けばすぐに覚めるだろう。
それくらい魔力を含有させた氷は効くのだ。
「さて……今日はもう閉めるか」
「うん。ね、ねぇ……マスター」
こうしてアレンが退店することで、今日も【ハイドアウト】は静かに閉店したのだが、シエルだけは何か言いたげな様子だった。
「どうした?」
「アレンさんに全部事情を説明したほうがいいんじゃないかな? 確かにマスターは私を助けてくれたけど、ルーナさんのバックに凄い貴族がいたら流石に……ね?」
「問題ない」
心配そうなシエルをよそに俺は即答した。
「え?」
「俺に任せろ。すぐに終わらせる」
「……あ、危ないことはやめてよ?」
シエルは困惑した様子で聞いてきた。
「もちろん」
この俺が危ない目に遭うことは断じてない。絶対にありえない。
「そこまで言うならいいけど……私にもできることってあるかな?」
「今後身につけてほしいのは、炊事洗濯家事掃除だな」
「もうっ! そういうことじゃなくて!」
上から見下ろして笑いかける俺の言葉にシエルはムッと頬を膨らませた。少々の負い目を感じているのか、どうしても手伝いたいようだ。
「冗談だ。シエルには後で手伝ってほしいことがある」
「え! なになに?」
「その前にまずは片付けと掃除を済ませるぞ」
パァッと明るい表情になっているところ悪いが、先に後片付けを済ませないといけないので、俺はアランが使用した食器類を全て回収して洗い場に置いた。
「う、うん! わかった!」
シエルは元気な返事をすると、テキパキとテンポよく皿洗いを始めたのだった。
彼女には皿洗いを任せる。俺はその間に床とカウンターの掃除をしておこう。
「疲れたよぉぉぉぉぉーーーーーー!!」
アレンが退店してから数時間後、シエルはベッドに勢いよく倒れ込むと、頬を緩めて柔らかな感触に酔いしれていた。
もう既に日を跨ぎそうな時間になっているので疲れも溜まるだろう。
「……もう眠たいか?」
「うん……でも、私にできることがあるって言ってくれたから、眠いけどまだ頑張るね」
俺の問いかけに、シエルは欠伸を噛み殺しながら答えた。目がしょぼしょぼしているように見えるし、相当眠気が襲ってきているようだ。
「そうか。じゃあ早速始めるからこっちに来てくれ」
「はーい」
シエルはのそのそとベッドから抜け出すと、ゆったりとした足取りでこちらにやってきた。
俺は部屋隅に置かれた横長の大きなソファに腰を下ろしており、彼女は一人分の間を開けて隣に座った。
「これからやるのは、シエルの記憶を紙に写す魔法だ。魔紙写と言った方がわかりやすいか?」
「まししゃ?」
シエルはまるで言葉を覚えたての幼子のような言い方をした。
「魔紙写だ。俺はこれからシエルの魔力と同期を図って、シエルが頭に思い浮かべた記憶をこの紙に写し出す」
俺はより詳しい説明をすると、魔法収納から適当な一枚の白紙を取り出した。
「えーっと……まししゃをやるのはわかったけど、私は何を思い浮かべればいいの?」
「自分自身を騙した三人の初級冒険者の顔だ。記憶に新しいだろ?」
「あっー! そういうことなら任せて! 何週間も一緒に過ごしたから顔は忘れてないよ!」
シエルは補足の説明でようやく完全に理解することができたようだ。
鼻息を荒くして張り切っている。
「それじゃあ、髪の色や長さ、瞳の色や大きさ、輪郭や首から下の容姿、ひいては服装まで、できるだけ鮮明に思い浮かべてくれ」
俺は要点をざっと述べながらも、シエルの銀色の頭に右の手のひらを乗せた。
少しだけ湿っている。先ほど、一通りの後片付けと作業を終えてお風呂に入ったからだろう。
「……もういい?」
「頼む」
俺は瞳を閉じて唇に力を入れるシエルに合図を送った。
そして、すぐさま魔力の同期を図り、左手で持つ白紙に視線を注ぎ込む。
魔紙写は相手の記憶を自分の記憶として取り入れることで、それを鮮明に紙に写し出す魔法だ。かなりの集中力と魔力の消費が必要になるが、俺からすれば容易い作業である。
「……三人組の男性で……多分、こんな感じ……届いてる?」
「ああ。徐々に浮かび上がってきてるから続けてくれ」
シエルが頭の中で鮮明に思い描いていくにつれて、俺が注視する白紙には薄らと人間の顔や全体像が現れていく。
それから、しばしの沈黙が続くこと数分。
覚えている記憶の全てを思い描き終えたシエルは、大きなため息を吐いて脱力した。
「ふぅぅぅ……なんか少しだけ疲れちゃった」
「お疲れ。さて、早速で悪いがこれを見てくれ」
「……え? す、すごい……! すごいよ! この三人だよ! 私のことを騙したのは!」
俺が手渡した紙を確認したシエルは、紙を指差して興奮していた。
騙されたという事実から、相手の顔は鮮明に覚えていたようだ。
これなら捜索もしやすくなる。
「それにしても、見た目だけなら全員優しそうに見えるんだな」
三人組の男の表情やルックスはどこをとっても温和だった。
特にそれ以外に特徴はないのだが、だからこそ悪人には見えない。普通の見た目だからこそ人を騙すのに打ってつけなのだろう。
「うん。愛想も良くて、よく笑う人たちだったよ? 今思えば全部嘘だったんだろうけど、初対面であんなに話が合っちゃったら見破るのも難しいと思う」
「だよな……わかった。後は俺に任せてくれ」
純情なシエルだからこそ狙われて騙されたのかと勝手に思っていたが、そういうことでもないようだ。
次なる被害者が現れる前に早い段階で懲らしめておこう。
「任せろってどうするの?」
「まだ決めてないが、アレンに相談してみる」
相談なんかする予定は今のところない。
こんなものは単独行動で何とでもなる案件だからだ。
嘘をついたのはシエルに心配をかけさせないために過ぎない。
「それなら安心だね。マスターって魔法は得意みたいだけど、戦いとかってしたことないよね?」
「あるぞ。昔、少しだけ冒険者みたいなことをしてたからな」
「えっ!? どのくらい強いの?」
どのくらいと言われても……ドラゴンを氷漬けにしたり、幾つもの首を持つヒドラを業火で丸焼きにしたり、巨大ゴーレムを重力魔法で沈めたり……戦闘経験は多彩だと思うが、ここも適当に誤魔化しておくか。
「ぼちぼちだな。王都の冒険者に比べたら全然だったが、この三人組くらいなら多分勝てると思うぞ。だから安心してくれ。無茶はしない」
「わかったよ。マスターがそういうなら、奴隷である私が口出しするわけにもいかないもんね」
シエルは意思を決めたのか、何度か首肯してから右手の親指を立てて笑った。
奴隷どうこうについては気にしてないので言及してほしくないのだが、ここで触れると話が長くなりそうなのでやめておこう。
「ああ。任せてくれ。それより、もう眠たいんじゃないか? 今日は色々とあったし、早く休んで疲れを取るといい」
「うん。実はさっきからすっごく眠たいんだよね……おやすみ……」
シエルはふらふらと覚束ない足取りでベッドへ向かうと、そのまま力無く倒れ込んで寝息を立てた。
そりゃあ眠いはずだ。だって、こっそりと微弱な睡眠魔法をかけて徐々に眠気に誘われるように仕向けていたのだから。
「さて、行くか」
立ち上がった俺はタキシードの上から黒色のローブを羽織り、居住スペースを後にした。
アレンはルーナがほぼ毎日歓楽街に行っている噂があると話していた。ちょうどこの時間は歓楽街が一番栄えている頃だし、まずは向かって彼女を探してみるとしよう。
この紙に描かれた三人の男の姿を見せて動揺した時には、全てを洗いざらい吐いてもらおう。
ギルドで話した時にわかったが、ルーナは些か感情が表に出やすいタイプだった。きっと芋づる式に方がつくと思う。
「……歓楽街なんて久しぶりにきたな」
煌びやかで眩い街並みを見ていると、思わず意識が覚醒してしまう。
確か、どっかの国の王女かなんかが拉致されたとかで、だいぶ昔にここに来た記憶がある。あっさりと解放したのであまり覚えていないが……。
それにしても、やはりここは特殊だな。
男女が欲を満たすためのお店が無数に建ち並んでおり、老若男女を問わず様々な種族の人々が行き交っている。
正直言って、あまり好きな場所ではない。
いや、むしろ嫌いだ。
「はぁぁぁぁ」
思わずため息を吐くと同時に、背後から何者かが近づいてくる足音が聞こえてきた。
「ねぇーえ、お兄さぁん……あたしと遊んでいかない? 最高に気持ち良くて忘れられない夜にしてあげるよ?」
俺の首に腕を回しながら話しかけてきたのは、これでもかと言わんばかりに肌を露出している女性だった。
女性は俺の背中に胸を押し付けると、耳元に口を近づけて甘い声色で言葉を囁く。
香水がキツイ。味覚と嗅覚がおかしくなりそうだ。
人通りが多い通りに突っ立っていると、こうして話しかけられてしまうが、俺の返答は決まっていた。
「結構だ」
俺は一瞥してから女性を払いのけた。
すると、女性は途端に不愉快な顔つきになる。
「なによ! つまんない男ね! 金もなさそうだし弱そうだし! あたしもアンタなんかに興味ないわよ!」
女性は先ほどまでの猫撫で声から一転して、強気で粗暴な口調で言い放つと、一方的に文句を垂れて立ち去っていった。
勝手な性格だな。
まあ、側から見れば、俺は歓楽街に遊びに来た若い男なのだろう。
妖艶な女は道行く男を体で誘惑し、自身が勤めるお店へと巧みに誘い込む。
紳士風の男は甘い言葉で道行くを誑かし、怪しげな裏路地へと連れていく。
夜の世界は恐ろしい。お酒の単価も高く、席代まで取られるので、頑張って稼いだお金が一瞬にして消えてしまう。
需要と供給がマッチしているので、当事者である彼らには何も言うつもりはないが、一途に冒険者をしていた俺からすれば完全なる別世界だった。
「……ルーナを探すか」
辺りに立ち込める悶々とした独特の夜の香りに鼻をやられながらも、俺は目的の人物の姿を探すことにした。
あまりにもお店が多いので分かりにくいが、ルーナの気配と魔力はギルドで話した時に記憶している。
じっくりと気配と魔力を探知すればすぐに見つけられるはずだ。
「……」
俺は大きな通りから外れて薄暗い路地裏に入り込むと、外界との感覚を断ち切って魔力探知に意識を集中させた。
あまりにも広い歓楽街の中には無数の魔力が立ち込めている。
その中からルーナを見つけるためには、まずは俺の魔力を歓楽街の全てに張り巡らせる必要がある。
王都の一角を牛耳る広い歓楽街であろうと、俺の魔力を使って余裕で覆い尽くすことができる。
そして、そこに張り巡らせた魔力の中は俺のテリトリーとなる。
おおよそであるが、魔力を元にして人数や、その者の強さなどが瞬時にわかるのだ。
中々に優れた力だが、意識を集中させる作業がかなり厳しいので、戦闘中などは使えない。
「……あー、いた。一人っぽいな」
魔力探知を始めてから数分。
俺はルーナの居場所をあっさりと突き止めた。
こことは真反対の位置にいるらしい。
そこにどんな建物があって、今何をしているのかについては全くわからないが、誰かと一緒にいるわけではなさそうだ。
「瞬間転移」
俺は辺りに人影がないことを確認してから転移魔法を発動させた。
とっとと接触を図って話を聞くとしよう。
魔紙写で写し出したこれを見せつければ一発だろう。
「るんるん……ふふん、今日もたくさん稼いじゃったぁ~。男ってほんとにチョロくて助かるわねぇ」
転移した瞬間。
俺は楽しげな様子で鼻歌を奏でるルーナの姿を見つけた。場所はほとんど人気のない路地裏だった。左右に背の高い建物があり、幅はそれほど広くない。大きな通りまでは少しばかり距離があり、二人で話すにはうってつけの場所だ。
彼女は胸の中に麻袋を抱えて呑気に歩いている。
パンパンに膨れた麻袋の中には大量のお金か宝石が入っているようだ。
きっと一仕事を終えたばかりなのだろう。
であれば、ちょうど良いタイミングだ、
後は帰るだけだろうし、少しだけ俺に付き合ってもらう。
「おや? ルーナさん、こんなところで何をされているのでしょうか?」
俺は五メートル後方からルーナに声をかけた。
彼女は急に名前を呼ばれたからか、それとも俺の声に覚えがあったからか、びくりと肩を震わせてから振り返ってきた。
「……っ! あ、あなた……!?」
「ご無沙汰しております。シエルの所有者であるスニークと申します」
俺はゆったりとした足取りでルーナに近寄った。
「ス、スニークさん……ね……な、何の用でしょうか?」
ルーナはギュッと強く麻袋を抱きしめると、瞳を細めてこちらを睨みつけてきた。
相変わらず、わかりやすく素直な感情だな。
俺への嫌悪感が隠しきれていないどころか、表面に顕著に現れている。
「何の用か、それは貴女が一番よくわかっているのでは?」
「……ふんっ、なによ! 説教でもするつもり!? ギルドの受付嬢が夜の仕事をしていたらいけないってわけ!?」
不貞腐れたような顔つきで堂々と言い放ってきたが、俺が聞きたいのはそんなことではないし、誰もそれを咎めることはないだろう。
そもそも美人局や夜遊びについて聞いてはいたが、夜の仕事をしているなんて知らなかったしな。
「論点がまるで違いますね。夜の仕事をするのは各々の自由ですし、私が否定することは一切ございません。私が聞きたいのは何人の冒険者をそうやって奴隷に堕としてきたか……それだけだ」
俺は一歩ずつゆっくりとルーナに近寄ると、敬語を外して彼女に微笑みかけた。
彼女は完全に言葉を失っているのか、驚く様子すら見せずに固まってしまった。
もっと強気に攻めてみるか。
徹底的に攻めて吐かせてやる。
誰が黒幕か俺は知りたい。
「シエルから話を聞いた限り、あんたらの犯行はあまりにも手際が良すぎる。きっとこれまでに嵌めてきたのは一人や二人じゃないんだろ? 半年に一回ならバレないと思ったか? どうなんだ?」
俺は無言で歯を食いしばるルーナを問い詰めた。
眉間に皺を寄せて悔しそうにしており、返す言葉もないのか全く口を開く様子はない。
だが、確かに心当たりはあるようで、こめかみには一滴の汗が滴っていた。
「協力者がいるんだろ? 初級冒険者のフリをした三人組だ。ほら、見覚えはないか?」
俺は少し膝を曲げて背の低いルーナと視線を合わすと、彼女の眼前に一枚の紙を突きつけた。
魔紙写によって鮮明に写し出された三人の男の素顔に心当たりがあるはずだ。
「っ……し、知らないわよ!」
思わず反射的に紙を確認したルーナは、黒い瞳を小刻みに揺らしていた。
明らかに狼狽えている。
目を伏せて見ないようにしていたらしいが、やはり己に関係のある何かを突きつけられると、どうしても人は好奇心や興味で視線を移してしまうらしい。
このまま押して吐かせてやろう。
「いつ、どこで出会った? どうやって犯行に及んだ? なぜシエルのような無害な初級冒険者をターゲットにした?」
俺はルーナとの距離が無くなるほど詰め寄ると、間近で彼女の揺らぐ瞳をじっと見つめた。
怯えてわなわなと肩が震えている。
しかし、まだ口を割るつもりはないのか、俺から視線を逸らして二、三歩後退すると、大きく息を吸い込んだ。
「———助けてぇぇっ! 襲われてるのぉぉーーーーーーーー!!」
ルーナは甲高い悲鳴をあげた。
叫び声はそれほど響かなかったが、迷いのないその行動は確実に助けてくれる何者かを呼んでいるように思えた。
「……」
俺は無言で呆れてしまった。
全く、面倒なことをしてくれる。
そんなことをしても無駄だというのに。
「あんたみたいな弱そうな奴なんて、あっという間にやっつけてやるんだから!」
何も口にしない俺が怯えているのだと勘違いしたのか、ルーナは打って変わって得意げな様子で指を差してきた。
その瞬間、背後からドタバタと複数人の足音が聞こえてくると、そこには見覚えのある三人組の男たちが立っていた。
「ああ……都合が良いな」
俺は思わず笑みを浮かべて呟いた。