食欲を刺激する香りが立ち込める部屋の中。

 俺は向かいに座るシエルのことを眺めていた。

「おいしい! すごい! 流石はバーのマスターだね!」

 彼女は手に持つフォークを一生懸命口に運び、口いっぱいに食べ物を詰め込んでいた。
 頬がパンパンに膨れ上がっており、まるでリスのようだった。
 本当に美味しいと思ってくれているのだろう。満足そうな表情と口振りに嘘はない。

「お口にあったようで何より……ほっぺにソースがついているぞ」

「あっ、ほんとだ」

 シエルは頬についたソースをおしぼりで拭った。

「こういうまともな食事は久しぶりなのか?」

 そこまで忙しくなく食べているということは、基本的な衣食住すらまともに行なえていなかったのかもしれない。
 体の線は細いし、顔色も少しばかり悪く見える。

「うん。マスターは詳しくないと思うけど、冒険者ってそんなに稼げないんだよね。中堅って呼ばれるCランク冒険者くらいになると別って聞くけど、私は一番下のFランク冒険者だったから普通に暮らすだけでいっぱいいっぱいだったかな」

「……弱肉強食の厳しい世界だよな」

 冒険者は下はFランクから、上はSランクまであるが、一つランクを上げるだけでもかなりの努力と時間が必要になる。
 ちなみに、俺は生まれ持った莫大な魔力と魔法の才能があったから別だ。

「厳しすぎるよ……。騙されて借金も背負わされて、おまけに奴隷に堕ちちゃうなんて……あんまりだよ」

 シエルはフォークを置いて途端に悲しそうに俯くと、悔しそうに歯を食いしばった。

「今は自由だろ?」

「……自由って言われても私に行く宛なんかないよ? それに、マスターは私のことを助けてくれて恩人なわけだし、何もせずに一人で自由になるなんてできないよ」

「じゃあここで働いてくれ。元々俺はシエルが了承してくれるならそのつもりだったしな」

「え? むしろいいの? 私なんかが働いちゃっても……」

 俺の提案を聞いたシエルはぽかんと口を開けると、こちらの様子を伺うような顔つきになる。

「もちろんだ」

「や、やったぁ!」

 シエルは文字通り飛び跳ねて喜んでいた。
 椅子から立ち上がると、その場でぴょんぴょんしている。

 元気だな。俺よりまだまだ若いだろうし、こういうところの力は有り余っているようだ。

「ってことで、決まりだな。食事は終わったらまずは皿洗いと店内の掃除でもしてみようか」

「うん! よろしくね、マスター!」

 シエルは満面の笑みを浮かべて返事をした。

 手始めに皿洗いと掃除をしてもらって手際を確認することにした。単調な作業の中でもわかることはたくさんある。彼女のできること、できないことを把握することから始めよう。