「最期に言い遺すことは?」
「ないよ。言葉を残す相手なんて居ないもん」
「そうか……」

 雨音の響く暗い部屋で、私は小さな嘘を吐く。本当は、目の前の彼に言いたいことが一つだけ。
 あなたが好き。世界で唯一、あなただけが、私の日々に彩りをくれた。あなただけが、私の光だった。
 けれど、言わない。言える訳がない。言ったところで、困らせるだけ。だって彼は、優し過ぎる死神なのだ。

「ねえ、私の死因って何なの?」
「リストには孤独死とだけ。自殺じゃないなら、原因は何でも良い」
「孤独死、かぁ。私にぴったり」
「……俺が居ても、孤独だったか?」

 ぽつりと、雨音に紛れそうなその声に、思わず出会った時のように凝視してしまう。まさか彼からそんな言葉が出るなんて。
 もしかしたらこの一週間、私と居て彼の孤独も少しは埋められたのだろうか。死神なんて酷な仕事において、この日々が束の間の癒しとなれたのだろうか。
 だとしたら、こんなに嬉しいことはない。私の今日までの命は、そのためにあったに違いない。

「ふふ、夜と居られたこの七日間、ひとりぼっちじゃなかった。私、とっても幸せだったよ」
「……なら、良かった」

 安心したような彼の穏やかな表情を、目に焼き付ける。初めて会った時よりも、纏う空気が柔らかくなった気がする。なんて、勘違いかも知れないけれど。私との日々で何か変ったのなら、嬉しく思う。
 正真正銘、これが人生最後の恋だ。少しくらい、この想いを噛み締めていたかった。

「わかっただろ。最後の一週間、誰かが傍に居たなら……幸せなんだ。たとえ死ぬ運命だとしても、そのぬくもりは救いになる」
「え……?」

 聞き返そうとしたものの、彼の手にはいつの間にか黒い靄で出来たような朧気な輪郭の『死神の大鎌』が握られていた。
 それを見て思い浮かぶのは、恐怖ではなく安心。好きな人に殺されるなんて、こんな惨めな人生においてなんて贅沢な終わりなんだろう。きっと、私の今までの頑張りへの、神様からの御褒美だ。この場合、その神様は目の前の死神様なのだろうけれど。

「怖いか? ……死神が狩った魂の行き先は、天国か地獄のどっちかだ。あんたなら、天国に行けるだろう」
「天国……あの時の猫、居るかな。ずっと、謝りたかったの」
「……どうだろうな」
「あっ、天国に行ったら、もう夜には会えない?」
「……俺は、死神だから」
「そっか……ならさ、いつか私が生まれ変わったら、その時はまた、私を殺しに来てくれる?」
「は……?」

 出来るだけ感情を抑えるように淡々と話していた夜が、ぽかんとした表情をする。
 我ながら、酷い要求だ。普通、来世の再会を約束するなんてとってもロマンチックなはずなのに。これではまた、彼に悲しみを背負わせるだけ。それでも、そんな突拍子もない提案に優しい彼は驚いた後微笑んで、指切りを交わしてくれた。

「それがあんたの『願い』なら、約束だ」
「うん、約束」

 初めて会った時、一週間の猶予の対価に『願いを叶える』と言っていたのを、今になって思い出した。願いなんて要らないくらい、満ち足りた一週間だったのだ。
 名残惜しく小指が離れて、彼は僅かに震える両手で鎌を握る。
 やっぱり、最後に好きって言えばよかったかな、なんて。彼の目に涙が滲むのを見て、思わず決心が揺らぐ。
 硝子玉のようだと思っていた綺麗な瞳。涙を溢さぬよう懸命に堪えながら、それでも大きく鎌を振りかざす彼の姿に、心臓が止まりそうな程胸が締め付けられるのは仕方ないだろう。

「……雨、幸せな七日間を、ありがとう」
「……! 夜……私っ」

 最後の最後、彼の声で初めて呼ばれた名前。もう止まってしまうというのに、今までにないくらい心臓が大きく跳ねる。
 日付が変わる直前、刃に貫かれる刹那。咄嗟に絞り出した声が間に合わなかったことを、少しばかり後悔した。来世では、今度こそ想いの全てを伝えようと心に誓う。
 それでも今は、最期の瞬間に見たものが私のために泣いてくれる好きな人の顔だなんて、私はこの雨の夜において、きっと世界一の幸せ者だ。


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