今日は命日日曜日。
 約束の日、やっぱり外は雨降りで、私はあの日の駅へと舞い戻る。行き先もなくぽつんと立ち止まってみても、忙しなく行き交う人々は、誰も私を気に留めない。
 明日の今頃、私の居なくなった世界はきっと、こんな風に何も変わらず回っているのだと、何と無く安心した。
 最期に私は、思い出の地を巡ることにした。特に楽しかった記憶もないけれど。
 先ずは潰れてしまった孤児院。雨の日に猫みたいに捨てられた私を、拾って育ててくれた場所。建物は壊されて、ただの空き地になっていた。
 そこから近くの、小三の時に私を引き取ってくれた家。私は無造作に、残っていたお金をポストに入れた。手紙を添えようかと思ったが、書くこともなかった。
 育ててくれた恩はあるけれど、引き取られてすぐ夫婦の間に実子が出来てからは、幼心になんだかちょっと居心地が悪かった。家に馴染む前に、居場所をなくしたのだ。

 そんな中、私は野良猫に出会った。夕立の中に取り残された、ひとりぼっち仲間だった。けれど私は猫を飼って欲しいなんて我が儘は言えず、赤ちゃんの居る家に外の動物なんて受け入れられるはずもない。
 行き場のないその黒猫が何だか私みたいで、どうにもならないのに手離せずに、申し訳なさと愛しさと悲しさを抱き締めて泣いた。
 一週間こっそり空き地で世話をして、毎日給食の残りを運んだ。そして、翌週には姿が見えなくなった。誰かに拾われたのか、保健所に連れていかれたのか、車にでも轢かれたのかわからない。
 半端に手を出したくせに救えなかった罪悪感と無力さを感じながら、より孤独に成長した私は高校生になり一人暮らしを始めた。猫と出会うのがもう少し遅ければ、一緒に住めたかもしれないと、胸が痛んだ。

 私は毎日バイトをして、五月家に少しずつ振り込んだ。必要ないと言ってくれたけれど、それが私に出来る唯一の恩返しだった。
 ひたすら勉強して働く、灰色の青春時代。付き合いの悪い私は遊びに誘われることもなく、一人で過ごすのはお手の物。
 楽しいことも、流行りのことも、盛り上がる会話も、情報として耳に入ることはあっても、実際は何一つ知らない。バイト先の人とは仕事の話しか出来ず友達も出来なかったし、社会に出てもそれは変わらなかった。

 毎日一生懸命働いた。給料は良くないし、覚えることは山のよう。家に帰れば疲れきった心と身体は孤独な夜に擦りきれそうで。けれど、いつか慣れたら。いつか余裕が出たら。その時には、何か楽しいことをしよう。今までの分を取り戻そう。そう思っていたのに、数年間頑張り続けて、ある日唐突に気付いてしまった。
 私にとって、楽しいことって何だろう。やりたいことって、何だろう。私にはそんな細やかな希望すら、何も思い付かなかった。夢とか希望とかそういうものは、あの日黒猫と共に手離してしまったのだ。

 特に取り返しのつかないトラブルがあったわけでも、誰かに裏切られたりしたわけでもない。どこまでいっても、私の世界は私一人で完結するものだった。
 そんな孤独な世界で、ただ頑張り続ける果ての見えない日々の先、光ではなくただ暗闇が広がっているのに気付いて、とうとう『ぷつん』と、頑張りの糸が切れてしまったのだ。
 そして私は、あの雨の月曜日に、全部やめることにした。

「それで、私はあの駅に向かったんだ。毎日使ってた暗い日常の象徴」
「……あんたは今、走馬灯ってやつを自分の目と足で辿ってるのか?」
「あは、そうかも。……あーあ、つまんない人生だったなぁ」
「そう、か」

 私が辞めても変わらず仕事の回る会社の前。私に気付かず足早に側を通り過ぎる同期を横目に、諦めにも安心にも似た気持ちで一息吐く。

「そろそろ帰ろっか」

 あの日出会った死神と、あの日飛び込もうとした電車に乗って、遠ざかる走馬灯に別れを告げて帰路につく。
 最期の時を迎えるのなら、やっぱりここが良い。たった一週間で、どこよりも私の大切な場所になったワンルーム。
 大丈夫。孤独な夜は、もう来ない。


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