「リリちゃん。あなたは、これからどんな時でも、風詩(ふうし)くんと仲良しなパパとママになることを誓いますか?」
 ベランダから差し込んだ陽の光が、幼い私たちを照らしていた。彼のサラサラな髪と、長いまつ毛がキラキラと輝く。
「はい、誓います」
 可愛らしい花冠とヒラヒラのドレスを着た私。彼は次のセリフを述べた。
「風詩くん。あなたはこれからどんな時でも、リリちゃんと仲良しなパパとママになることを誓いますか? ……はい、誓います」
 牧師役と新郎役、一人二役をやってのける彼と、結婚式ごっこをした時のことを、今でも鮮明に覚えている。
「じゃあ、誓いのキスをどうぞ」
 牧師役の彼がそう告げた後、幼いながらにファーストキスを交わした。
 触れたところはほんのり温かくて、鼻の辺りに擦れる髪がくすぐったい。
 少しずつ離れる彼の顔をそっと見つめると、ふふっと笑ってくれた。
 思わず顔が、いや全身が炎のように熱くなった気がする。
 女の子のように可愛らしい容姿と性格を持ち合わせた彼に、私はこの時、完全に恋に落ちたのだろう。
 そんな優しくてかっこいい彼と、毎日一緒に遊んだ。何をするにも一緒だった。
「リリちゃん、今日はピクニックごっこしよう」
「リリちゃん、今日のご飯はオムライスでーす!」
「風詩くんね、今日ママとパパと一緒にお出かけするんだけど、リリちゃんも一緒に行く?」
「リリちゃん、一緒にお昼寝しよう?」
「このお洋服、可愛いね」
 大人しい私を色んな遊びに誘ってくれ、彼と過ごす時間は、私にとってかけがえのないものになっていった。
「大きくなったら結婚しようね!」
 そんな約束事を交わしたり、何度も大好きだという言葉もくれ、私のことを大切にしてくれているのが、幼いながらにもよくわかった。
 でも親は違ったんだ。
「本当、汚い子ね……」
 小さな呟きは、はっきりと私の耳に届いていた。
 日に日に私を睨む目が強くなっていく。歳を重ねるごとに、愛されていないことははっきりと自分の中で理解できるようになってきた。
 理由はわからない。でも、私の存在が、きっとあの人たちにとっては邪魔に思えているのだろう。
 そうして度々、狭くて真っ暗な部屋に閉じ込められ、誰にも会えない日が増えていった。
 心細くて、風詩くんに会いたくて、声にもならない声で泣く。
 それでも重たい扉を開けられるほど、私には力もなくて、外に出してもらえる機会をひたすら楽しみに待つことしかできなかった。
 だが、その生活も、終わりを迎えることになる。
「ええ、そんな。いいんですか?」
 久々に外に出してもらえたと思いきや、私は知らない人の家に連れてこられていた。
「いいんですよ。家ではもう役に立たないから。ボロボロになるまで働かせちゃって」
 すると相手はニンマリと笑って、私の腕を引っ張った。
 怖くて言葉を発することができなかった。目にいっぱい涙を溜めても、大人たちは誰も気づかない様子で話を進めていく。
「じゃあ、有難く頂戴しますね」
 知らない玄関の扉が閉まる。懸命に手を伸ばしても、あの人は振り返ることもなく車に乗りこみ、去っていった。
 嫌だ。置いていかないで……。
 いくら酷い扱いを受けても、あの人たちは私の家族だった。だから、まさか捨てられるなんてことはないと思っていたのに。
 そんな心の声なんて、言葉にしたところで誰も受け止めてはくれないのだと、どこかで悟っていた。だから言わなかった。ただひたすら、もう一度風詩くんに会いたいとだけを願っていた。
 新しい家では、それはそれはボロボロになるまで働かされた。幼い子どもが多い家庭だったため、子どもの相手が私の役目だった。
 時には腕がちぎれそうなほど引っ張り合いにあったり、噛みつかれたり、叩かれたり。変な呼び名をつけられることや、笑いながら髪の毛を切られること、無理やり口にご飯を突っ込まれたり、赤ちゃんが飲むようなミルクを飲まされることもあった。
 やめてと言っても伝わらず、ただひたすらそのいじめに耐えていた。
 だが、それも数年経てば飽きてきて、今度は私の存在を無視する遊びが流行り始める。そのうち本当に忘れてしまったかのように、声をかけられることすらなくなった。
 もう存在価値がないと見なされた私は、またも家主に連れ出され、別の家に捨てられた。
 私も年齢を重ねたことにより、自分はこういう扱いを受ける人なのだと、辛い現状を『辛い』と認識しないように考え方を変えるようになってきた。まだ生かしてもらえるだけ有難いのだと。
 次の家でも、同じように子どもの面倒を見せられたが、その子はあまり私に興味がないようで、それほど仲良くはなれなかった。
 子どもの面倒を見ることが仕事なのに、その勤めを果たせない私はいらないらしく、最後はその子が通っていた保育園へと移された。
 子どもが室内にいる間だけ遊び相手になるようボランティアのように勤める。優しい子は私のことを、まるで家族かのように接してくれるが、やんちゃな子にはいじめられることが多かった。
 それでも、あまりに酷い時は先生たちが子どもに注意をして、私を守ってくれる。だから、ここで住み込みで働くことは悪くないのかもしれないと、自分の勤めを果たすことを決意した。
 だが、子どもたちと遊ぶ度に、思い出してしまうのだ。風詩くんとの、穏やかで陽だまりのような日々を。
 私、どれだけ愛されなくても、懸命に生きてるよ。風詩くんは、今頃何をしてるのかな。
 ふとそんな事を思って、夜、窓の外で輝く月を眺めることがある。
 もう一度会えたなら、その時こそ本当に結婚でもしてくれたら、私の今までの人生は全て報われるのに。
 いつか起きる奇跡を願って、私はゆっくりと眠りについた。