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 ましろ、と舌っ足らずな声に呼ばれて、わたしはかすかに顔を上げた。


『ごはん……』

「あ、ごめんなさい。いま行ってくるわ」


 すっかり忘れていた。ここにいてね、と家を出て、わたしはいつもの場所に出かけた。

 真空を連れて行ってもいいけれど、あんまり下手に外を出歩くのはよくない。たぶん。詳しい事情も知らないまま連れてきてしまったし、真空自身分かっていないこともあるようだったから、わたしは名前と年齢以上のことを知らない。

 子供は、真空、と名乗って、わたしに『真白』と呼び名をつけた。わたしはなんて呼ばれようと構わなかったので、好きに呼ばせることにした。

 歳は、六つ、と言っていた。それにしては少し小さいような気もしたけれど、わたしはひとまずそれを信じることにしている。

 いつもの場所で事情を話し、少し多めにご飯をもらって、わたしは家に戻った。ちゃんと待っていた子供にそれを押し付けて、恐る恐る食べ物に手を伸ばすのを見つめる。あんまり見つめていると食べづらいか、とそこで気付いて、わたしは一度家を出ることにした。子供に、ひとりで勝手に外に出ないよう釘を刺すことは忘れない。

 下手に見つかって連れ戻されてはことだ。それではわたしが保護した意味がない。連れ戻しにくるような家なのか、それも問題だけれど、そういう家庭があることくらいはわたしだって知っている。

 だからわたしなんかが手を出したのだ。放っておくことだって、誰かに任せることだって出来たけれど。それでも、あの子を、放っておくことなんてできなかった。

 だって。あの子は、もしかしたらわたしの子供かもしれなかった子だ。

 助けられなかった。置いていくしかなかった。そうするしかなかったと分かっていても、我が子を置いていくしかなかった身を切られるような痛みを、忘れたことは一度もない。

 わたしにそっくりだった、あの子を。ほんとうは、置いていきたくなんてなかったのに。

 それが、ずいぶんと大きくなって。わたしの子ではないと分かっていても、うれしくなった。最悪な環境だったかもしれないけれど、あの子をこの世に産み落としてくれたことだけは感謝してやってもいいと思った。

 だから。ここから先は、わたしが頑張る番だ。

 誰に話を持って行けばいいのか、どうするのが一番あの子のためになるのか。まさかずっと家に置いておくわけにもいかないことは、わたしだって分かっている。できれば一日くらいのうちに、ある程度はめどを立てておかなければならない。

 手遅れになってからでは、遅い。せっかくいまこのタイミングで拾うことができたのだから、きちんとあの子のその先につなげなければ。

 そう考えながら、歩く。心当たりが一か所だけあった。あそこでなければ、わたしに他の選択肢はない。

 けれどきっと、わたしが助けを求めたら、何とかしてくれるのではないか、と思った。

 この時間ならもう家にいるだろうか、と考えながら、たどり着いた家の前でうろうろする。いつでも来てね、とは言われているけれど、今日はお願いごとがあるのだ。

 もうすっかり陽は落ちて、あたりは暗くなっている。この時間はさすがに冷え込む、と思いながら、家に置いてきた真空のことを思い出すと、一刻も早く帰りたくなってきた。

 家に明かりがついているのを見て、ふと思う。いま助けを求めたら、きっとすぐに助けてくれるだろう。そのくらいの信頼は持っている。でも、それはつまり、わたしとあの子が一緒に過ごせる時間は、そこで終わってしまう、ということでもあって。

 それは、ちょっと寂しい、と思ってしまった。

 くるり、と踵を返す。一晩だけ。今晩だけ。くっついて寝たら、きっと今日の寒さくらいはしのげる。だから、今日だけ。明日になったら、ちゃんと田助を求めに行くから。だから、今日だけは一緒に過ごすことを許してほしい。

 とぼとぼと、家に帰る。おかえりなさい、と笑った真空に、つきりと胸が痛んだけれど。それでも、触れた体温が暖かいから、やっぱり一晩だけは、と願って。

 わたしは、子供の頭に顔をうずめた。