ぐうっと伸びをする。公園のベンチの上がちょうどよく温まっていることを知って、日向ぼっこをし始めたのはお昼ごろだったように思う。陽の当たる場所が変わってきたことを察して、まどろんでいたわたしはふと目を覚ました。
よいしょ、とベンチの上から降りて、もう一度伸び。よし、と歩き出して、次の日向ぼっこの場所を探す。春のこの時期はいつもぽかぽかしていて、過ごしやすい季節だった。
少し前までは本当に寒かったので、暖かくなってきたことに感謝をしながら歩く。と、ふと誰かのむずかるような声が聞こえて、わたしはふと顔を上げて声の出どころを探した。
姿は、見える範囲にはない。気のせいだろうか、ときょろきょろしていると、もう一度「んん……」と声がする。気のせいじゃない、と気付いて声の聞こえる方へ足を向けると、茂みの奥に何か大きなかたまりがちらっと見えた。
何だろう、と覗いて、こてり、と首を傾げる。そこにいたのは、ひとりの男の子。まだきっと小学校には行っていない歳のころで、本来なら近くに保護者がいるべき歳でもあった。
ちょっと、と手を掛けて子供を揺り起こす。それでも、むずかるままで目を覚ます様子はない。誰かひとを呼んできた方がいいだろうか、と考えてから、わたしは途方に暮れる羽目になった。
ここは公園だし、子供たちはよく遊びに来るところだけれど、どうしてか今日に限って公園からはすっかりひとがいなくなってしまっている。ひとを呼ぶにもこの辺にはわたしが声を掛けられそうなひとは少ないし、犬の散歩の時間には少し早いしで、結局この子が目を覚ますのを待つしかなさそうだった。
仕方がない、と開き直って、わたしは子供に身を寄せる。せめて少しでも寒くないように、と考えて、せめて茂みの向こう側なら陽射しが暖かいのにな、と残念に思った。
でも、この子はどうしてこんなところにいるのだろう。
地面から伝わる少し冷たい温度に嫌になりながら、わたしは子供の顔を覗き込んだ。
あまり、顔色がよくない。よくよく見ていれば、息も少し荒い気がする。これは放っておいて大丈夫なのだろうか、と別の疑問を抱く羽目になって、わたしはまたもや途方に暮れた。
早く目を覚ましてほしい。そうしたらもう少しできることもあるはずなのに。
ねえ、ともう一度、声をかけた。決死の覚悟だ。わたし、ひとを起こすのって苦手なのに。でも絶対、こんなところで寝ていていいわけがない。
「起きてってば」
ねえ、と起きて、を繰り返すこと数回。んん、とむずかる声が少し変化したことに気付いて、わたしは子供の顔を覗き込んだ。
「……起きた?」
『……あれ?』
「あ、起きた。よかった、大丈夫、どうしたの?」
『ぼく、……そっか』
子供が、わたしの顔を覗き込み返してくる。ぱちぱちと瞬いて、くしくしと手で目をこすって、それからもう一度、わたしをじっと見つめてきた子供は、へにゃり、と困ったように笑った。
『ごめんね、おこしてくれて、ありがとう』
どういたしまして、と返して、子供が起き上がるのを待つ。けれどその場に横になって丸まったまま、どこにも行こうとする様子がないことに気付いて、わたしは「ねえ」と声をかけることになった。
「どうしたの、きみ」
『……ぼく、どうしよう』
「帰るおうち、ないの?」
わたしが問いかければ、子供はきょとりと瞬いた。そういえば、会話が続いていることに驚いて、それから、ああ、と納得する。
この子は、きっと『そう』なのだ。だとしたら、わたしが手を貸してやらない理由もなかった。
「こっちにおいで。わたしのおうち、案内してあげる」
たいした家ではないけれど。でもきっと、いまの場所よりはずっといい場所を教えてあげることができると、そう思って。
すっくと立ちあがって、すたすたと数歩、先に歩き出す。くるりと後ろを振り返ると、きょとん、とした顔のままの子供が、わたしをぱちくりと瞬いて見つめてきていた。
『……でも、ぼく』
「だって、ここは寒いでしょう?」
『……でも、ここは、さむい』
「ここよりはずっと暖かいわ。だから、行こう?」
ほんとうは、いけないことだと分かっている。
でも、このまま何もせずに帰してしまうことが、どうしてもいいことだとは思えなかった。わたしにできることなんてたかが知れているけれど、それでもきっと、何もしないよりはマシだろう、と思った。
どこか別のところをじっと睨みつけて、子供が何かを考えている。きっと子供なりに考えることがあって、子供なりに何がいいことで悪いことなのか考えているのだろう、と分かって、わたしはねえ、ともう一度呼び掛けた。
「きみはいま、幸せ?」
ぴくり、と子供の肩が揺れる。言葉なんてなくたって、それだけで答えなんて簡単に察することができた。
この子はきっと、いまの環境にいても、絶対に幸せになんかなれない。
誰かの幸せを決めつけることはよくないことだと思いながら、けれどそう思うだけの理由は揃っていて。
臭いのきつい洋服、そこから覗き見える手足の細さ、かすかに香る血の匂いと、触れたときの手の冷たさと。
「だから、おいで」
いざなう。今度こそ、子供がついてきてくれることを祈って。
くるり、と振り返って、先を歩き出す。もう後は振り返らないことにしよう、ついてきてくれなかったらわたしが悲しくて泣きそうだから、と思いながら、足音に耳を澄ませて。
恐る恐る、それでも確かに聞こえた足音に、前言撤回だ、と思いながらうれしくなってすぐに後ろを振り返ると。
素直にわたしのあとを着いてくる子供に、わたしはこの子の人生を背負うことを決意した。
それが、わたしとこの子──真空との出会いだった。