待ち合わせ場所や時間を確認して通信を切った。
急いで帰り支度を終わらせてサロンへ駆け込む。
デート用の、とびきり魅力的に見せる仮面を調達して、髪も肌も綺麗にしてもらうのだ。

「まああ、勝負どころじゃない。でも、お食事の後にふたりきりになるなら……仮面なんて野暮、でしょう?」
「うう、そこに持ち込むまでが大勝負なんですから」
「うふふ、そうね。特に髪には磨きをかけておきましょうか」

リアルお見合いに励んでいた頃に親しくなったスタッフが施術してくれる。
私が着用しているものとは少し違う笑顔の仮面は親しみを感じさせる仕様で、ついつい開けっぴろげに相談してしまったものだ。
顧客の悩みに寄り添う職業ならではの仮面なのだろう。
仕事用の仮面を外すと、やはり鼻の先が赤く腫れている。慣れたもので、スタッフが消炎剤を手際良く塗布してくれた。
今の私の肌に一番馴染む美容液のテストを終えて、最適な商品をじっくり浸透させる。この工程ひとつで、デート用仮面の馴染み方と仕上がりが桁違いに違うのだ。
少し時間がかかるけれど、待ち合わせ時間は余裕を持って決めてある。問題は無さそうだ。
待っている間に店内に流れる音声番組に耳を傾けた。
私達が使っている「仮面」の開発者──つまり、スエツムハナプロジェクトの創始者が、何やら大きな賞を受賞したというニュースだった。
略歴紹介が流れ、インタビューが始まった。

大昔、容貌の美醜によって人生の難易度が大きく左右されていたそうだ。
整った容貌の人間とそうでない人間の生涯を追った研究──何を基準とするかや倫理的な問題でたいそう揉めたようだが──その結果は仮説をはっきりと裏付けた。
理不尽な世の中だったのだ。
そこで開発者は立ち上がった。
研究のヒントになったのは、どこかの国の古典文学だったそうだ。

──スエツムハナというお姫様はね、当時の美人の第一条件である美しい髪の持ち主でした。そして一途な心を持った優しい女性だった。しかし、彼女は美しくなかった。ただそれだけで彼女は笑いものになった。美しい王子様も愛想を尽かしてしまった。酷い話だと思いませんか。資質や能力と無関係に人の価値が決められるなんて。あろうことか何千年もの間、スエツムハナといえば醜女の代名詞だったのです!

なんだそれ。酷い話だ。架空の人物とは言え、モデルがいた可能性もある。名誉毀損で訴えられるレベルじゃないか。
熱弁を奮う語り口に影響されて、私もスエツムハナ姫に同調していく。
耳を傾けていると、その文学が書かれた時代の男女のやりとりのしきたりに話が移っていった。

韻を踏んだハイコンテクストな文書通信のやりとりから始まり、ウィットに富んだ構成力の高い詩を即座に作れることで知性をアピールしたらしい。
いくつか段階を踏み、ようやくリアルでの対話だ。
しかし、同じ部屋に入れても直接対面はせずに、一線を超えるまではパーテーションで区切った空間で愛を語らったそうだ。
なんだか今の私達に近いものがある。
シーンごとに適した仮面を使い分けて、それを外すのは男女の仲になる時だけ……
なんだ。同じじゃないか。

宇宙だ、仮面だ、と文明が進歩しても人の営みは変わらないなんて、所詮根本が変わっていないのだ。
泣けてくる程に、人間はただの動物だ。

そうこうしている内に美容液が浸透して、デート用仮面を着用する手筈が整った。
たとえ数千年前から進歩していないとしても、今夜は文明を総動員せねばならない勝負の夜だ。
スタッフが手際良く薄いピンクに発色しているロール状の仮面をくるくると広げ、鼻の形に添わせて押し当てる。
優しくパッティングして、薄化粧の仮面が肌に浸透していくのを待つ。

鏡を見れば、ほんのり上気した顔色の、潤んだ瞳をした私がそこにいた。
接客用の仮面では絶対にチョイスされないであろう柔和な雰囲気と、絶妙なあどけなさまで追加されている。

「あらあら、可愛らしいこと。きっと今夜は上手くいくわよ」
「有難うございます……!」

仮面に似合うように結われた髪がふんわり肩で遊んでいる。
自分でやるのではこう上手くはいかない。形状記憶加工をしたいくらいだ。
髪に自信のあったスエツムハナ姫とどちらが美しいだろう。
架空の人物と張り合っても仕方ないのに、そんなことを考える。
それにしても、スエツムハナプロジェクトの名前がお姫様から取られたとは知らなかった。
今夜の会話のタネになるだろうか。

「またのご来店お待ちしております」
「お世話になりました」

インタビューはまだ続いていたが、最後まで聞いていたら待ち合わせに遅れてしまう。
確かにこの開発者が類稀な天才なのはわかったから、次は仮面を外すと必ず起こる、鼻先の赤い腫れを改善して貰いたいものだ。
早足で夜の街へ踏み出した私の背中に、インタビューの締め括りが投げかけられて消えていった。

──だから哀れなスエツムハナの恨みを晴らすため、私は決めたのです!
どんなに美しい仮面で着飾ろうが、外した途端に彼女と同じ赤い鼻になるように、消えない刻印を押してやろうと。
そう、これが仮面システム、スエツムハナプロジェクトの始まりだったのです!