女性の後ろをついて行くと、第3体育館に着いた。少し薄暗くて寒い。私は授業に体育がないので来ない場所だ。埃っぽい空気に少し顔をしかめる私に気づく様子もなく、女性は勢いよく扉を開けた。

「ごきげんよう、皆さん、稽古の調子はどうかしら!」

パッと何人もの人がこちらを見る。私は目を見開いた。そこにいる人たちは体操服やユニフォーム姿ではなかった。色鮮やかな生地、溢れるように膨らむスカート、たっぷりのフリル。男性も女性もまるで洋画で見る中世ヨーロッパのような格好だった。

「教授!チラシ、出来ましたか⁉︎」
「完成したから持ってきたわよ〜!ほら!」

教授は私の背中を押して、私ごと華やかな集団の中に放り込む。集団の1人が、私が持っていた箱の中のシュリンクに包まれた紙の束を取り出す。チラシには『ミュージカル部の伝統!オリジナルストーリー!』と大きく書かれていた。

集団の中からやっと解放されて、ミュージカル部の顧問らしい教授を見る。ミュージカル、それでこの派手さ…いや、華やかさ。納得がいく。
チラシに夢中になっていたミュージカル部の集団が、こっちをみた。
「そういや、この子は?」
「入部志望の子よ」
教授がサラッと返す。
「え⁉︎いや…」
動揺しまくる私に教授は近づいて
「私、『お詫びに』荷物を運んで、とは言ってないわ。」
と言って微笑んだ。理解した。私はとんでもない人にぶつかってしまったらしい。『お詫びに』ミュージカル部に入部しろと言うことか。
「私、演技も歌もド素人です。」
「関係ないわ。何かを始めるとき、人はみんなド素人から始めるものよ。」
完成したと言っていたチラシをぴらぴらと見せる。
「これ、9月にある文化祭でやる舞台なの。毎年している舞台なんだけど、絶対1年生がやる役があるの。いわゆる1年生をお披露目の舞台よ。」
「…で?」
「今年は入部志望者がいないから、あなたが入ってちょうだい。」
そんな理由で入部してたまるか。
「待って、教授。入ってほしいのは分かるけど、乱暴すぎるから!」
私と教授の間に人が割って入ってきた。
「君、ミュージカル部に入るか入らないか、今から僕たちの舞台を観て決めたらどうかな?ね?」
間に入っていた男性が、くるっと振り返った。少し気が弱そうな人の良さそうな顔。
「えぇ…」
男性の奥から教授が顔を覗かせる。断れば今すぐにでも入部届を書かされそうな強い意志を感じた。
「分かりました。」
とりあえず返事をする。観て「あーやっぱ無理です!」と言って、すぐに帰ろう。そしてもう、ここには近づかない。
「次やるやつ、見せんの?」
「今着てる衣装のやつ?」
部員が相談している。1人がパイプ椅子を出してきてくれたので座ると隣の椅子に教授が座る。なにやら話がまとまったらしく部員たちが準備を始めた。

ミュージカルが始まった。

『舞台は中世ヨーロッパ。華やかな世界に絶世の美女が1人。美女は自分の美貌を褒めそやし、群がる人々を嫌厭していた。そして、その様子を隠すこともしなかったので、敵も多かった。』
『美女はある日、みすぼらしい男を拾う。彼は盲目だった。美女は興味本位で何も見えない彼を側におくことにする。盲目の男は目の見えないことを気にせず接してくれる美女に、美女は見た目ではなく内面を見てくれる盲目の男に、惹かれていく。』
『いつも通り舞踏会に行くと、袖にされた男の1人が、怒り狂い美女の顔に熱湯をかける。美女は爛れた顔を隠しながら走って自分の家へ戻った。』
『さめざめと泣く美女を留守番をしていた盲目の男が急いで手当する。命に別状はなかったことを安堵する男をよそに美女は「どんなに目が見えない貴方でも周りから私の爛れた顔のことを聞いたら嫌いになる。」と声を震わせながら涙を流す。すると盲目の男は夕食に用意していた鍋を頭からかぶる。火をかけていた鍋の中身は盲目の男を容赦なく襲った。』
『焦る美女に対して盲目の男は「君がどんなだろうが嫌いにはならない。だけど、僕に同じような傷があることで、君が安心するのなら僕はどんな姿になっても構わない。」と言う。お互い火傷を負った姿だが、寄り添う2人の姿は幸せそのものだった。』

アレンジはされているけど、似た話を読んだことがある。でも全然違う。ミュージカルだからこそ、より一層、熱烈に、感情的に、感じる。お互いを想う台詞と歌。ダンスの指先さえ相手への愛おしさを感じる。
私は、背もたれから背を離し、目が乾くのを忘れるほど、夢中で観ていた。

あっという間に舞台が終わり、カーテンコール。脱力して椅子の背もたれにもたれかかる。隣の教授が席を立ち、拍手を始めた。スタンディングオベーション。私は慌てて席を立って全力で拍手をした。
「どう、だったかな…?」
教授と私の間に入ってくれた男性が声をかけてきた。盲目の男の役をしていた人だ。ほぼ目を閉じたまま、演じていた。よくそんなことが出来るなと思っていた。
「無理に、とは言わないけど…僕たちと一緒に舞台に立ってくれないかな?」
役のときにも見せた柔らかな笑顔、盲目の男のときには見せなかった煌めく瞳。
私はその笑顔に魅せられてしまった。
「入部します。鈴鹿 紫苑です。よろしくお願いします。」
私は衝動的に返事した。

「あなたを、我がミュージカル部に歓迎するわ!」
教授の声が体育館いっぱいに響いた。