アラームよりも先に目が覚めた。
眠たい目を擦りながら覗き込んだスマホの顔認証システムが、ロックを解除する。なんて便利な機能だ。寝ぼけた顔を光が照らし、赤い②で通知されたLINEのメッセージを確認する。「咲良、おはよう」と可愛らしいキャラクターのスタンプと一緒に君からのメッセージが届いていた。目覚ましだけで起きるのが苦手な私。最終手段と思っているテレビが、けたたましい音量で時間ぴったりに起動した。「うるさっ···」思わず口に出すが自業自得。画面の中のお天気キャスターの女性が清々しい笑顔で「エルニーニョ現象の影響で今年の冬は暖冬です」って言ってる割に今朝もしっかり寒い。その甲高い声も、寝起きの私には耳障りだ。

「なによ、エルニーニョだかラニーニャだか···。わけわかんない」
不貞腐れた私は、熱の篭った布団の中に、また潜り込んだ。

私は冬が好き。
クリスマスにお正月。それからバレンタインにホワイトデー。毎月イベントが充実している冬が好き。そして春には私の誕生日がやって来る。冬は私のゴールデンタイムだ。その分、夏は少し退屈。そんな夏に今年は一つ特別な日が増えたけど。

私は桜が咲く頃に生まれた。
母が桜の花が好きだからって理由で名前は咲良(さくら)。小学校の授業で「名前の由来を親御さんに聞いてきて下さい」と言う課題が出されたとき「母の好きな花だからです」と、みんなの前で答えるのが恥ずかしかったのを覚えている。だけど、今は違う。
窓を見上げる。外の桜の木が寂しそうに震えていた。

「咲良、おはよう」
毎朝欠かさず届く彼からのメッセージ。彼の好きなキャラクターに重ねて、彼が万遍の笑みを浮かべている様だ。
彼氏の逞斗(たくと)とは試しに参加した塾の夏期講習で出会った。
私は初日から遅刻。私の名誉のために言うと、これは寝坊じゃなくて、遅延とだけ説明しておく。遅れて教室に入った私は空いている席をみつけ、講師の冷ややかな目から逃げるようにそこに座った。
「あの先生、嫌味すごいから気をつけた方がいいよ···」
コソッと隣の席の彼は私に耳打ちをすると、すました顔で前を向いた。
「違う···遅延で···」私が耳打ちを返そうと、体を彼に向けた瞬間講師の怒号が飛んできた。ほら見ろという顔で彼は苦笑いをしている。休み時間に「災難だったな」と彼から話しかけてくれたのをキッカケに、それからよく話すようになった。自然とふたりの距離が縮まった。高校2年生、思春期真っ只中。そんな私達が恋に落ちるなんて容易いこと。駅までの帰り道、2人でよくアイスを食べながら色々なことを話した。逞斗は宇宙が大好きで、宇宙の事になると目を輝かせて私に語る。高校ではサッカー部と天文学部を掛け持ちしているらしく、星にも詳しい。表向きはスポーツ青年、中身は天体ヲタクと、見た目からは想像できないギャップがいい。容姿はスポーツ青年らしく、褐色の肌は筋肉質だし、顔も悪くない。180センチの長身が、その身を縮めて望遠鏡を覗き込む姿を想像すると可笑しくてにやけてしまった。ある日、私が天体観測に興味を持ち、有名な夏の大三角を見たいと言ったのを彼が叶えてくれた。どちらかと言えば、見たかったのは望遠鏡を覗き込むアンバランスな彼の、可愛らしいその姿の方だったかもしれない。
休みの日に逞斗は私を誘い、横浜臨港パークに連れ出してくれた。広い芝生にシートを広げてふたりで寝そべって空を見上げる。その非日常に私の気持ちは少し高ぶっていた。逞斗は嬉しそうに空を指さしている。
「望遠鏡は使わないの?」
「あぁ、大丈夫。肉眼でもちゃんと見える」
「···そっか」
想像していた姿が見れないのは残念だ。楽しみにしていたお菓子が売り切れてた時のような気持ちになる。
「いいかい?あれが、アルタイルだろ?それであっちがデネブ。そしてベガ。ベガとアルタイルが七夕の織姫と彦星。見えにくいけど二人の間に天の川が流れてる」
「え?どれ?見えない」
私は目を凝らしてみるが、違いがわからない。
「ほら、明るい星が3つ⋯あれと、あれ、それとあれ」
「んー···全部同じに見える」
逞斗は私が指さす右手をそっと捕まえると、ゆっくりと動かす。
「指の先に見えるのがベガ···織姫様だ」
その大きな手にドキッとした。私の小さな手が優しく包まれる。
「それでこっちが···アルタイル。彦星様」
「うん···」
ぎゅっとその手に力が入る。
お互いの手が強く求めあった。初めて手を重ねた私の鼓動は光の速さで加速した。
夜の静寂の中で心音だけが二人を包む。
逞斗は私の方に顔を向けると、緊張の息を飲んだ。それから、夏の大三角の真下で彼は恥ずかしそうに私に言った。
「あのさ⋯俺、君が好きだ。咲良さん、俺のいちばん好きな花になってくれませんか?」
そんな彼のちょっと照れくさい告白に、私は小さく頷いた。
私は母のいちばん好きな花から、逞斗のいちばん好きな花になった。だから、咲良って名前は好きだ。

─好きで、嫌いだ。