翌朝、差し込む光と花の香りの中で目が覚めて、この世界が夢ではなかったことに息を吐く。
 昨日よりもしっかりとした足取りで温室を出て、私は改めて集ったお茶会の席で、情報交換をするエマさんとユタに正直に話すことにした。

「どこにも、花が生えてなかった?」
「うん……」
「本当にどこにも?」
「服の下にも口の中にもなかったよ」
「……」

 私の言葉に、ユタは戸惑ったようにして、エマさんは少し考えたように茨を纏う腕を組む。そして、ぽつりと呟いた。

「レイアちゃん。あなたは……まだ生きられるわ」
「え?」
「たまに居るのよ、庭に迷い込んでしまう子が」
「迷い込む……?」
「帰りたいでしょう? 道を教えるわ」
「は……?」

 訳がわからない。迷い込むというのなら、ユタだって同じだ。気付いたらここに居たというエマさんだって。

「え、と? 帰れるなら、二人も……」
「ちょっと待て、あんたは何でそんなことを知ってるんだ?」

 ユタの問い掛けに、エマさんは左目を伏せる。右目の花は、昨日よりも花開いていた。

「……わたし、ここに迷い込むのが三度目なのよ」
「!?」
「ふふ、驚かせてごめんなさいね。……わたしは、過去に二度死にかけたの。でも、その時はレイアちゃんのように花がなくて、結局死ねずに帰ったわ」
「それなら、また一緒に……」

 彼女が切なげに告げる「死ねずに」という言葉と、手首から腕に絡む傷痕のような茨に、何と無く意味を理解してしまう。
 それでも、帰る方法があるのならエマさんにも生きていて欲しかった。見ず知らずの私に優しくしてくれた彼女に、死んで欲しいわけがない。けれどエマさんは、小さく首を振る。

「わたしは、望んだことよ。それにユタくんの言う通り、花の終わりが命の終わりなの。花がある時点で、もう抗えないわ」
「そんな……」

 思わずエマさんの目と腕の赤い花と、ユタの胸に咲く青い花へ視線を向ける。けれどそれより上、ユタの顔は、何と無く見られなかった。
 だって、私だけ帰る道があって、ユタの死はもう覆らないのだ。
 しばらくの沈黙の後、ユタが重々しく口を開く。

「……、エマさん。頼む。レイアを、帰してやってくれ」
「ユタ!? でも、ユタは……」
「レイアだけでも、帰るんだ」
「出来ないよ!」

 思わず見上げたその顔は、想像した絶望でも妬みでもなく、ただ安堵したように笑みを浮かべていた。
 自分が死ぬとわかって、怖いはずなのに。私だけ帰れると知って、恨んでもおかしくないのに。
 ユタはひたすら、私が生き延びられることを喜んでいるようだった。

「なん、で……」
「……レイアが好きだから、レイアには生きていて欲しいんだ」
「っ……! わ、私だって、ユタに生きていて欲しいよ……ここに置いて行くなんて、出来ない……」

 何と無く、両想いなのはわかっていた。それでもお互い言葉にすることなく、その関係を楽しんでもいたのだ。

 そんな彼が告げてくれた初めての「好き」は、なんて残酷なのだろう。力強い眼差しで、ユタは私を見つめた後首を振る。
 彼が死を受け入れたこと、私との別れを覚悟したことに、気付いてしまう。

「ユタ……嫌だよ……」
「エマさん、どうすればレイアを帰せる?」
「……花を持たない子が森に足を踏み入れれば、ここのことを忘れて、元の世界に戻れるわ。わたしも二回来てようやく、一度目のことを思い出せたもの」
「待って……」
「行くぞ、レイア」
「いや、待ってユタ、私、まだ……! エマさん!」

 ユタが私の手を掴み、森の方へと歩き出す。引きずられながらエマさんを振り返ると、彼女は出会った時と同じ柔らかな笑みを浮かべて、赤い花弁を散らし手を振っていた。


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「ねえ、嫌だよ……私、ここに居る。ユタはまだ、花が残ってる……せめて、散るまででも……!」
「ダメだ」
「どうして!?」
「……ここが生と死の狭間なら、レイアの両親は気が気じゃないだろ。早く戻って、安心させてやれ」

 鬱蒼と生い茂る森の入口、ここがきっと境界だ。踏み出せば最後、二度と会えない。
 なのにこんな時に、自分の命の残りよりも、別れを悲しむよりも、他人の心配をするユタ。そんなところが、大好きで大嫌いだった。

「ユタ、私……」
「……レイア。生きて、幸せになってくれ」

 最後に抱き寄せられて、その温もりを離したくないと願った刹那、彼は私の身体を突き飛ばす。
 別れの言葉も、想いを告げることも叶わぬ間に、淡い花の香りと涙に包まれて暗闇の森に落ちる。そして、私はそのまま、意識を失った。


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