これは文学作品というにはあまりに散文的で、日記というにはあまりに文学的な文字の集まりに過ぎない。

わずかな希望 - 12/23 16:27

どこで道を誤ったのだろう。どうしてこんなに消えたい気持ちで満たされているんだろう。
誰もいない車両で二人掛けの椅子に座る僕だけが揺られている。

最寄り駅に着いた。市内某所の禰津(ないづ)駅だ。駅自体はそれなりに大きいのだが、駅の周りはそれほど都市という感じではない。線路は禰津の東西を貫き、北はバスターミナルや大型ショッピングモール、銀行などが集まり、南は昔ながらの商店街や神社がある。禰津の北をずっと進めば海に、南をずっと進めば禰津山へと続く。僕は禰津駅から徒歩十五分余の家へと帰る途中だ。昨日は雪が降っていたおかげで、新雪が積もり冬靴の靴跡がしっかり残る。冬靴で歩く感覚というのは夏靴と似て非なるものがある。例えば靴底だ。冬靴は靴の中に解けた雪が染み込まないように靴底が厚いゴムで防御されている。つまり、夏よりも地面の感触が分かりづらいのだ。そのため、雪に埋もれた氷床をうっかり踏んで転んでしまわないように足元をよく見なければいけない、というのは雪国ならではの常識だろう。

当たり前に視界から消え去っていく家々を横目に僕は家に到着した。家を出発した時とは違って、家の前が除雪されている。どこか少し雪のかき残し、とでも言えばよいのだろうか。そういうのがあるのは最早気にも留めないほどである。当たり前の感謝をわずかに忘れて、吐き捨てるように言った。「ただいま」

家の中では僕は親の顔色を伺う雀のようだ。最近は勉強もロクにしていないせいもあって、成績がやや落ち気味だ。親は小学校の時の勉強のできる僕がお気に入りだから、今のような出来損ないの僕に関心はないのも無理はない。きっと、ただ最低限の暮らしを家で過ごさせるだけ、そう思っているのだろう。その証拠に最近は親の当たりもかなりエスカレートしていき、僕に対する憎悪の言葉を聞かなかった日はあるのだろうか、というくらいの頻度で聞いている気がする。しかもそのほとんどが自分のいないところで言う。何故聞こえるかというと、とにかく声が大きいのだ。家の壁がそれほど厚くはないといえども、あの声量ならば鉛の壁ですら届いてしまいそうなくらいだ。
僕の基本的な生活コミュニティというのは、学校と家に限られていた。家ではこんな調子で味方になってくれるような人はいない、確かに姉は味方なのかもしれないが最近法科大学院への進学に対する勉強で忙しいらしく、ほとんど顔を合わせない。実質的に家に居場所は無いも同然だ。学校はというと、完全に友人を作るタイミングを見失ってしまったが故に無所属だ。これは決して、僕のコミュ力が低いわけではない(と思いたい)。というのも、通っている学校が中高一貫で中学一年の大事な友好関係を築く時期にスマホを持っていなかったのが大きな原因だと考えているからだ。中高一貫は自分の意志で入りたいとなったわけではないし、スマホを持たずしても仮の友達のようなものを作りはしたが、結局一日中連絡を取れるスマホに勝てる手段はない。僕は友達戦争に負けたのだ。

しかし、その苦節三年強、ついに僕は新たな居場所を手に入れた。ゲームの大会で仲良くなったくまさんだ。くまさんというのはゲーム内の名前で本名は水瀬悠也と言うらしい(最近教えてもらった)。彼は社会人でゲームクリエイターとして働いているらしい。彼の特技は作曲、特に音作りである。たまに僕は時々彼の家に行って教えてもらっているがさっぱりだ。僕が分からないふうにしていると、彼は笑顔で何回でも教えてくれる、そんな優しい人だった。

そんな彼との忘れられない数か月を振り返ろう。

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