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「まだ、目覚められませんか?」
「あ、鈴さん……はい」
――鈴の名前を知った日から、一か月が経ったある日曜日。
鈴はカフェの客として来店していた。
この一か月の間訪れなかったので、あれ以来鈴とは初めて会う。
窓際の席に座った鈴のもとへ注文を取りに行った舞弥は、無理に笑顔を作ってみせた。
「壱がいつ目覚めるかは、神様にもわからないそうで……」
壱が眠りについてから、アパートの舞弥の部屋に、榊は頻繁に来ていた。
最初にやってきたときは開口一番に、
『……なんでこいつたぬき姿で眠ってるんだ?』
と怪訝そうに舞弥に訊いてきた。
『な、なんででしょう……気に入ってるんですかね……?』
その理由は舞弥にもわからなかったのでそんな返事になってしまった。
すずの傷を治療した壱は目を閉じ、いつも姿が変わるときと同じく、音もなくたぬき姿になっていた。
一方すずはひとの姿から猫の姿に代わり、静かに眠っていた。
すずを抱いた鈴と、壱を抱いた舞弥は神社で別れた。
「あの、すずさんは……どうですか?」
「はい。まだ家から出せませんが、順調に回復しています。壱翁さんが目覚められたら謝りに行きたいと言っています」
「そんなことは……回復されていて、何よりです」
「舞弥さんは……元気がありませんね? ……元気出せって方が難しいですよね……」
「あ、私は、その……大丈夫ですっ。壱と、約束してますからっ」
両手をこぶしの形にして言った舞弥だが、空元気であることは鈴にもわかってしまう。
「舞弥さん、正直言って、すずと壱翁さんの間にあったことは、私にはよくわかりません。開闢(かいびゃく)って言われてもピンときませんし……」
「私もです」
「でも、すずだけをかばう気もありません。誰が悪いとかそういう問題ではないのでしょうから、すずの友達として、舞弥さんまで傷つけてしまって申し訳ないと思っています」
そう言って、鈴は頭を下げた。
「……壱が、その……結婚しようって言ってくれたの、私に生きて、ってことだったんだと思うんです」
「………」
顔をあげた鈴が、まっすぐに舞弥を見上げる。
「待ってるって、約束を形にするために、ああ言ってくれたんだと思ってます。なら、私は壱が目覚めるのをちゃんと待ってなきゃですよね」
「………」
舞弥の決意を聞いた鈴は、唇をほころばせた。
「私は……壱翁さんが、純粋に舞弥さんと結婚したいんだろうなあって思いました」
「えっ、そ、そうですか?」
「はい。とても……舞弥さんが大切なんだと、初対面の私にも伝わってきましたから」
にこっと微笑んだ鈴に、舞弥も作り笑顔ではない笑みを返すことが出来た。