「……大家殿、俺は壱といいます。正式には『壱翁』という名ですが、今は壱で通っています」
「壱さんか。私は朱鷺兼重(とき かねしげ)だ。よかったらたまにお茶しにおいでね」
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしないようにいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします」
壱は大家に深く頭を下げた。
――大家と話したことで、壱の中でひとつの区切りはついた。
舞弥と玉と約束したことを、絶対に叶えようと。
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「舞弥、俺はここを出ることにした」
「―――」
スターン、と、舞弥の手から包丁が落ちた。
夕飯を作っていた舞弥の前にたぬき姿の壱がやってきて藪から棒にそう言われた。
「え? こ、ここにいるっていうの、嘘、だったの……?」
「あ、違う違う、人の姿を取り戻したから、俺も仕事を始めることにしたんだ。そのために昼間はそこにいるという意味だ」
「そうなんだ……仕事って何するの?」
「神社を再建することにした。そこの取り仕切り役だな」
「神社? 壱って、神社と関係あるの?」
「いや――直接紹介した方がいいな。明日の土曜、空いている時間に連れて行こう。巫女殿はもう決まっているとこなんだが、神主が不在でな。今日の夜はそこの神格と話をすることになっているから、留守にする」
「………」
壱は上機嫌で出て行ってしまった。
一方、舞弥は壱の言葉を頭の中で反芻してショックを受けていた。
(巫女……巫女って女性だよね? え? 壱ってそんな親しい人がいたの? 一緒に仕事するくらいの仲なの? え、え、え……ふつうに許せないんだけど!?)
「ふー、さっぱりした。うおうっ、どうした舞弥、なんか炎しょってるぞ?」
湯あみからあがったたぬき姿の玉が驚いて悲鳴をあげた。
「玉……明日、私誰かの事恨んでしまうかもしれない……」
「えっ? なぜだ? 何があった」
「……言いたくない」
「ええーっ? 舞弥っ?」