その日、壱は舞弥の学校には着いて行かず、ひとりでてちてちとたぬきの姿で歩いていた。

ちょっと考えたいことがあったのだ。

風邪を引いた日に丸一日寝ていた舞弥は、翌日になって近所の医院にかかった。

一応薬も処方されたが、さらにその翌日である今日はほぼ回復して登校していった。

壱は舞弥のいない場所で考えを詰めたかったので、今日の護衛は玉に任せた。

舞弥の部屋の窓から庭の木に飛び移って、葉に身を隠して考え事をしていたところ――

「はっ、たぬき!?」

という、男性の声がした。

え、と顔を巡らせると、驚いた顔で壱を見ていたのは、自室のバルコニーに出ている大家だった。

「しまったっ」

更にしまったことに、壱はそれを口に出していた。

慌てて自分の口を押さえたが、もう遅い。どこかしらに通報されてしまうかもしれない。そうしたらもう舞弥と一緒に暮らしていくなんてできなくなってしまうんじゃ――

刹那の間にぐるぐると頭の中で考えた壱だったが、大家は興味津々な子供のような顔で壱に向かって手招きをした。

「たぬきさん、ちょっとじいさんとお茶をしていかんかい?」

「………え?」

またもや思わず、人の言葉をしゃべってしまった。







これで逃げたら二度と舞弥のもとへ帰れないと思い、壱は恐る恐る大家のもとへ向かった。

大家の部屋はバルコニー部分に人が並んで二人は腰かけられるくらいのウッドデッキがあって、大家はそこへ壱を呼んだ。

「たぬきさん、喋れるんだね?」

「……はい。俺はたぬきではありません。あやかし――簡単にいえば妖怪の類です」

大家の隣にちょこんと座った壱は、ちらっと周りを警戒しながら言った。

大家は一人暮らしのようだ。

今座っている場所も、バルコニーの影になって外からは見えないだろう。

このバルコニーはアパートの駐車場に面していて、道路からは離れている。

アパートの住人が通る以外には気づかれなさそうだ。

「たぬきさん、妖怪だったのか。だから喋れるんだね」

大家は好々爺(こうこうや)といった様子で答える。

驚かれていないことに壱の方がびっくりだ。