約十年前、自殺者と犯罪者の急増に頭を悩ませた国が目指したのは、「ポジティブ至上主義」の社会だった。
　自殺者と犯罪者の約八割が、精神的に弱く、ネガティブ思考の持ち主である、というデータを受けてのことだった。
　ポジティブ思考が正しく、ネガティブ思考は正しくない。
　ネガティブ思考を持つ人は危ない。大人になる前に矯正しなければならない。
　人前でネガティブな感情をあらわにする人は、危険人物なので排除すべき。
　SNS、ニュース、情報番組、動画、映画、ドラマ、アニメ、マンガ、小説、音楽、ラジオ、雑誌など、あらゆるメディアを使って、刷り込みを行った。
　人間のネガティブな感情を吸い取り、心理的な負担を軽減するための機械として、私たちが生産されるようになった。涙を流す姿が醜いと認識させ、自発的にポジティブ思考に移行させるという効果も狙っているようだ。
　そうして作り上げられたのが今の社会、らしい。「らしい」というのは、全てが工場の人たちの会話をつなぎ合わせて得た知識だからだ。組み立てられていただけの私は、どこまでが本当のことか分からない。
　でも、ユウタのような小さい子が自分の感情を制限させられるような窮屈な社会であることは間違いないようだ。
　蒸発しきれていなかった水が、私の内部の壁を伝って底に落ちた。かすかに「ぴちゃ」という音がした。

　脱力し、しゃくり上げていたユウタが思い出したように立った。私に近づき、「胸」に手を当てる。半球が光り輝いて、私の「目」から大量の水があふれた。
　ユウタは頬を濡らしたまま、少し笑った。
「やっぱり君のなみだはきれいだね」