「最高ー! あー、愉快ったらありゃしない! 残念ながら、もう遅かったみたいですねー。宏太くん、ばっちり発症しちゃってますよ。宏太くーん、お父さんと名乗る人がお迎えに来ましたよー。本当にお父さんなんでしょうかね? 嘘ついてるんじゃないの? あはははは」
 「……和弥、帰ろう」
 「帰さないよおおおお!」
 その時、おじいさんがとても興奮した面持ちでお父さんに近づいてきた。
 「痛っ」
 お父さんはおじいさんの頬を右手で殴った。おじいさんがその場に倒れる。
 その後、お父さんはこれ以上誘拐犯を問い質すこともなく、宏太を抱きかかえて、倒れたドアを踏みつけながら出て行った。
 
 車に戻り、僕と宏太は後部座席に乗った。お父さんが運転を始める。
 「宏太、僕だよ、僕。和弥。お兄ちゃん。分かる?」
 僕はとにかく不安でいっぱいだった。何をするにもいつも側にいた弟、この世界で一番大切な弟。宏太との思い出が砂となって、パラパラと消えていくようだった。
 「お、お兄ちゃん?」
 「うん、そうだよ」
 「……分かるよ」
 「え?」
 僕は嬉しさよりも困惑の方が勝り、宏太をじっと見つめてしまった。
 「あ、あれきっと、眠っている脳には効かないんだ。あれって血縁忘却症のやつでしょ。お兄ちゃんが学校に行ってる時、ニュースで見たよ。誘拐犯の仕業だって。ぼく、誘拐されたというのに、なぜか誘拐犯の車の中で寝てしまったんだ」
 「宏太、お父さん、分かるだろ?」
 「うん、分かるよ。ごめん、さっきは嘘をついたんだ。とりあえず、誘拐犯に従っていた方がいいのかなと思って」
 「宏太」
 「何?」
 「俺の睡眠薬、飲んだだろ?」
 宏太は凍結したかのように、ぴたりと固まってしまった。