小学校の通学路にいつも挨拶してくれるおじいちゃんがいた。
毎日優しい顔で「いってらっしゃい」と「おかえり」を言ってくれた。
わたしはおじいちゃんの名前を知らないし、おじいちゃんもわたしの名前を知らない。
別に知り合いでも友達でも何でもなかったけど、おじいちゃんの家に近づくと急ぎ足になって「おじいちゃん居るかな?」と思う自分もいた。
「おぉ、千春。久しぶりだなぁ」
小学校を卒業して中学2年の夏。
私の家からは中学校が小学校とは真逆の位置にあり、しばらく通ってなかったおじいちゃんの家の前を通った時にそう呼び止められた。
私の名前は宮子である。千春ではない。
これは私の名前を呼んだ訳では無い。
その虚ろな目は私の背後にいる誰かを見ていた。
ボケてしまったのだろう。
小学6年生の冬からおじいちゃんを見かけなくなった。それまでは毎日居たのに。
そのせいでおじいちゃんに卒業を報告できていないまま2年が過ぎてしまっていた。
私は6年近くほぼ毎日顔を合わせたおじいちゃんに
「私は千春ではないですよ」
と、否定する気持ちにもなれず話を合わせることにした。
「最近学校はどうだ?楽しいか?」
「普通くらいかな。課題が大変なの」
「何事も普通くらいが1番なんだ。毎日を大切にしなさい」
「うん。ありがとう」
腰を悪くして立ちっぱなしを辛そうにしていたおじいちゃんを縁側に座らせて敷地内で話を続けていた時、家の前に1台の車が到着した。
「八杉さん。お迎えに来ましたよ〜」
若くて屈強な体つきをした男の職員さんが車から降りてきて私たちに挨拶してから荷物取りに行きますね。とおじいちゃんを縁側に座らせたまま家の中に入っていった。
そして、再びおじいちゃんは私と向き合って言った。その時の目は確かに私を見ていた。
「話に付き合わせてすまなかった。ボケているといってもまだ孫の顔を忘れるほど落ちぶれてはいない」
「じゃあ、なんで……」
「君のことを死んだ孫と重ねてしまったんだ……千春は12歳の誕生日に死んでしまった。本当にかわいそうな子だ……」
「…………」
「もし、千春が生きていたら君みたいに大きくなって綺麗な子になっていただろうに……」
青い空のもっと先を見ているおじいちゃんに私は何も言えなかった
「久しぶりに見た君を見てそう思ってしまった」
私が下を向いているとおじいちゃんは私の頭を優しく撫でた
「八杉さん。そろそろ行きますよ!」
「今行きます」
おじいちゃんは縁側からヨイショと腰を上げ私に背を向けてゆっくりと歩いていく。
「あ!お孫さんですか?これ、八杉さんの七夕の短冊です。これはきっとあなたが持っていた方がいい」
貰った水色の短冊には弱々しい字を見ていたたまれない気持ちになった。
『孫の笑った顔がもっと見たい。』
「あぁ、そういえば言い損ねていた……」
おじいちゃんはこっちに振り返り優しく微笑んで言った。
「卒業おめでとう。遅くなってごめんな」