「お前は小説家なんかになるなよ。真っ当に生きて真っ当に評価されるんだ」

それが生前の父親の口癖だった。
幼少期に両親が離婚し、母親に引き取られた僕は、女手ひとつで育てられた。
そんな中、母親に内緒で月に二度父親に会ってはそればかりを聞かされていた。

父親は小説家だった。
一発屋だったみたいだけれど、それでも僕にとっては小説家だった。
一発屋なんてどうだっていい。贔屓目無しに僕は父親の作品が好きだった。

そんな父親も五十歳と若くして癌で死んだ。
父親は遺書に『短命なのも作家らしくていいな』と馬鹿げたことを書いていた。
僕にはわかりっこない思考だった。
狂っていると思った。作家の何を知ってるんだ、と何者でもない僕が思った。

けれど、そんな父親を憎めなかった。
つくづく家族は面倒だと思う。
友達感覚で縁を切るなんてことはできないし、なんとなく引き合ってしまうものだ。
僕は両親の離婚の原因が父親の頑固さだったことを知っている。知ってもなお父親に会ってしまった。

父親の性格が母親を不幸にしたことは変わらない。
けれど、父親の人生でもあるからこそ、なんとも言えないところがあったのだ。
ましてや僕は母の言い分しか知らないのだから。


『夜を泳ぐ』
大ヒットして世間を賑わせた小説だ。父親が書いた。

それも、離婚してからだ。
内容は大学で上京した田舎の女が都会に揉まれる話だった。無垢な少女が仲間に、夜の街に溺れていく。最後は酒に酔って川に飛び込み溺死してしまう。何を伝えたいのか、僕にはちっともわからなかった。
ただただ狂っていた。
読後の第一声は、『よく刊行までこぎつけたな』だった。

「ほら、順番だぞ」

母親に誘導されて炉前室に着いた頃には、父親の両親が静かに手を合わせていた。
そこに母親と僕が加わり、遺族は4人で全員。
それでも、生前孤独で過ごした父には贅沢なお見送りだった。

棺の小さな窓から父親の書籍が覗いている。
そこには、『夜を泳ぐ』もあった。
父の死後、書類を探しに自宅に向かった際、母親が何冊かを持ち帰っていた。
僕はてっきり飾るのだと思っていたけれど、母親は全てを棺に入れたみたいだ。

無理もなかった。
好き勝手して成功した人間の遺したものを手元に置こうとは思えなかったのだ。
僕は静かに目を瞑って手を合わせる。
僕が憧れていた父親が、その日、小さく見えた。

「あんた、父親と会ってたんだろ?」
控え室に戻る最中、母親が僕だけに聞こえる声で言った。
母親の勘は鋭く、どうやら隠しきれていなかったみたいだ。

「あんたは小説家になんてなるんじゃないよ」

「父親みたいにはならないよ」

母親の言葉に目が潤んだ。


それから、控室に戻ってたまたま持参していたパソコンを開いた。僕は父親の人生を描き残そうと思った。
物語を左右する書き出しは考えるまでもなかった。

『お前は小説家なんかになるなよ。真っ当に生きて真っ当に評価されるんだ』

と。