「……先輩のお姉さんに、会ってみたい」

 そうお願いしたのは、あの名を聞いた数日後のこと。
 少し間を開けて、わかったと返事をくれたときは、正直戸惑った。断られると思っていたし、そもそも、本当に姉がいるのかと疑っていたから。

 高速道路を使って、一人暮らしのアパートから三十分ほどのところに、夏芽先輩の実家がある。
 助手席から降りて、外の空気を吸う。
 落ち着かないのは、先輩の家族に初めて会うからなのか。指先が震えて、止まらない。これほど緊張したことは、今までなかった気がする。

 黒い壁の一軒家で、木の玄関を過ぎると、手前にトイレとリビングへ繋がるドアがある。リビングには小さな和室がついていて、その奥に洋室があったはず。
 夏芽先輩の匂いだ。優しくて、花に包まれているようで。だから余計に、胸が苦しい。
 出されたアイスティーを口にして、私はため込んでいたものを吐き出す。

「やっぱり、お姉さんなんていないんだよね」

 玄関に靴がなかったし、家の生活感からして、若い女性が住んでいる様子は見えない。

「……それは」

 気まずそうに、先輩が視線を落とす。
 嘘をついてまで、私を実家へ連れてきた理由はなに?
 別れ話なら、いつものカフェかアパートでも済ませられる。

「小春に、ちゃんと知ってほしくて。俺のこと、家族のことも」

 多少の違和感を覚えながらも、小さくうなずいた時だった。

「あら、お客さん?」

 おもむろにドアを開けて入ってきたのは、母親らしき人。肩までの茶髪は綺麗に整えられていて、品のよい顔立ちが夏芽先輩と似ている。

「今日、いないんじゃなかったの」
「急に予定が遅くからになっちゃって。ごめんなさいね。私はすぐにいなくなるから」

 しとやかな笑みが飛んできたから、思わずその場で立ち上がった。

「ゆっくり、していって……ね」

 小さく頭を下げて、もう一度目が合う。
 ドクドクと体の中から音を立て、何かがあふれてくる感覚が分かった。止まらない震えは、すべてを呑み尽くすように、この場の時間を奪う。


「……さく……ら?」

 その人が再び口を開いたときには、抱きしめられていた。
 ほのかに香る花の匂いに、瞼が下がっていく。

 ああーー、この感じ、懐かしい。


「さくらちゃん、なのね」

 ずっと、不思議だった。初めて来たはずの家に、見覚えがあったから。
 彼岸世界に詳しかったこと。これまで姉の話をしなかったこと。さくらと私の前世の名を口にしたことも、全てが線で繋がった。

「母さん⁉︎ こは……る?」

 驚いた表情の先輩が、そっと離れる私たちを交互に見る。この様子だと、先輩は知らなかったのだろう。


「なんで……、泣いてるの?」


 ーー前世、私はこの家の長女・さくらとして生まれて、五年ほど暮らしていた。