「……さくら」
 うとうとと、うたた寝をしかけていた。前日に出かけた日帰り旅行で、二人とも疲れていたのだろう。
 薄暗い部室がより眠気を誘ったのだけど、たった今、頬を引っ叩かれたかのようにパッチリと目が覚めた。

「すっごい眠い。俺、寝てたかも」

 まわりが映画に集中する中、小さくあくびをする夏芽先輩が、ぼそりとつぶやく。
 となりに座る私が、目を見開いて凝視していることに気づいたのは、その数秒あと。

「今、俺……変なこと言ってた?」

 心当たりがあるのか、気まずそうにしている。
 どんな夢を見ていたのか。問いただしてやろうかと思ったけど、一度冷静になって。

「さくらって」
「えっ、あ、違うから! それ、姉の名前で」

 浮気がバレて、慌てて言い訳をする人みたい。
 ひとつ離れた前の席から、ゴホンと咳払いが飛んでくる。いくら映像の音が大きいと言っても、さっきの声量ではさすがに聞こえたのだろう。
 再び静かになったところで、そっと体を寄せた。

「ふーん。夏芽先輩って、お姉さんいたんだ。初耳」

 わざとらしく煽ってみたけど、先輩は何も反論せず黙っていた。
 思い返してみれば、私は夏芽先輩のことをあまり知らない。

 自分について多くを語らない人だから、深く追求することもないし、趣味が映画鑑賞ということくらいしか情報はない。
 家族構成も、今日初めて知った。好きな色、好きな科目。食べ物だって、もしかしたら春巻きより好きなものがあるのかもしれない。
 運命を感じていたから、今まで細かいことは気にならなかった。
 この人しかいないと、心が揺るがなかったから。