生まれてから十八年。私は、恋というものをしたことがなかった。
 何かを好きという感情がわからなかったし、アイドルやアニメキャラに夢中になる友人への理解も疎かったのだと思う。


「好きです。付き合ってください!」

 私が蒼木夏芽(あおきなつめ)先輩に告白したのは、ちょうど一年前の春のこと。
 大学へ入学して、キャンパス内ですれ違ったとき。全身に電気が流れるような感覚に襲われて、気づいたら引き止めていた。

「えっと、ごめん。誰?」
「私、一年の梅野小春(うめのこはる)といいます。運命を感じたんです。お願いします!」

 高らかな声が廊下に響き渡ったことを、今でも鮮明に覚えている。
 当然のごとく、返事はノーだった。が、夏芽先輩は私にチャンスをくれた。よく知らない同士だから、まずはサークルに入ってみないかって。
 付き合い始めるのに、それほど時間はいらなかった。


 *  *  *


「今日は、『君の名前を』を見ようと思うんだけど、いい?」
「サンセーイ!」
「何回見ても、いい映画はいいよね〜」

 私たち映画サークルは、放課後に映画を鑑賞するだけの活動をしている。
 部室の壁に取り付けられたスクリーンの前で、八人がパラパラと座った。私が一番後ろの席へ行くと、夏芽先輩がとなりへ来る。

 今日は近くなれた。そっと手を伸ばして、ひとつ空けた椅子の上で手を繋ぐ。あたたかい先輩の指と、いけないことをしている背徳感にドキドキした。
 誰にも見られてはいけない。この映画サークルは、恋愛禁止という掟があるのだ。


 一時間五十二分。さすがに、ずっと手を繋いでいたわけではないけど、離すタイミングがわからず。前の人がガタンと机の音を立てたとき、とっさに手を引っ込めた。
 みんなは画面に釘付けで、私たちの変化に誰も気づかない。
 バラバラに部室を出て、大学の外で落ち合う。それが、私たちの日課になっている。
 人の少ないカフェは穴場で、二人きりでも人の目を気にしなくていい。

「あの消えるシーンで流れる挿入歌、ヤバいよね」
「映像にあってるよな。何回見ても感動する」
「夏芽先輩、涙もろいもんね」
「小春に言われたくないなぁ。ああゆう運命系に弱いでしょ」

 ハハッと笑って、夏芽先輩がコーヒーを口にする。
 そうだよ。よくわかってるじゃん。その感情を押し込めて、チューとレモンティーをすする。ストローを離すと、ミルキーピンクのリップ痕が残っていた。

 出会ってから、ずっと確認したいことがあった。
 小さく息を整えて、こっちへ向けられている瞳をグッと見つめる。

「私が、前世がわかるっていったら、どうする?」

 わずかに大きくなった目が、一秒ごとに落ち着きを取り戻していく。

「あー、俺も昔やったことある。たしか、中学くらいのとき流行ったよね。なんだったかな」
「占いとかじゃなくて。真面目なやつ」

 ストローをいじりながら、わざと口先を先輩側へ向ける。
 もしも、覚えていないとしたら、どうしたらいいのだろう。

「私たち、前世で……出会ってるんだけど」

 ドクドクと鳴る心臓の音が、何百、何千もの時間に思えた。

「ああ……ごめん。俺、そうゆう記憶、まったくなくてさ」

 気まずそうに、夏芽先輩が視線を下げた。
 やってしまった。それと同時に、頭から岩石を投げつけられたような衝動に襲われる。

「ううん、いい。そんな能力、みんながあるわけないの、わかってるから」

 顔に出さないようにしたつもり。
 でも、目の奥から押し寄せる波には、逆らえなかった。

「……小春?」
「ごめんなさい。気にしないで」

 口だけで笑って、レモンティーを飲み干す。
 運命なんてものは、この世に存在しない。あらためて、現実を突きつけられた気がした。

 映画やSNSなんかで、たびたび運命の瞬間を目撃したことがある。
 夢の中で見た人と実際に出会ったとか、前世で結婚を約束した人と結ばれたとか。
 どれも奇跡的なことだと流し目で見ていたけど、心の奥では思っていた。いつか私も、もしかしたら……って。


『前世の記憶? それ、マジだったらすごいことだよ』

 中学生のとき、初めて友達に話した。それまで、誰にも言ったことはなかった。言う理由がなかった、が正しいのかもしれない。
 ぼんやりとしか顔は見えないけど、抱きしめてくれると優しい匂いがしていた。とても心地良くて、私は好きだった。

『生まれ変わったら、絶対また会おうって約束したんだ』
『それ、ほんとに現れたらエモいね。でも、顔も名前も違うだろうに、どうやって見つけるの?』
『うーん、直感?』
『うわぁ……、神頼みか』
『それを運命って言うんだよ』
『なるほど!』

 お互いに会えば、すぐにわかる。姿形は変わっていても、脳が、細胞が覚えている。
 それは、自分だけじゃないと、根拠のない自信があった。
 今思えば、とんでもない拗らせ女子だったなぁって。