俺の名前を呼んでくれたのは、君くらいなものだった

 柳生は無視できないやかましい呼び鈴と、小学生が友達を呼ぶような調子の呼び声に、たまらず珈琲豆の入った袋を投げ出して玄関に向かった。

「やかましいッ」

 玄関を開けて一番にそう告げたら、岡村がコンマ二秒ほどだけ小首を傾げた。

「先生せんせい、そんなことより見て下さい! 限定版のケーキなんですよッ、僕ほんとに超並んでようやくゲット出来て大興奮ですよ! ――あれ? 先生、なんだか重々しいオーラが出てますねぇ、執筆中だったんですか?」

 岡村はそこで、何やら思い至ったような顔をした。ほんの一秒ほど思案したかと思うと、荷物のない空いた方の手で指をパチンと軽快に鳴らした。

「さては、アイドルのビデオでも視聴してたんでしょ、ヒュ~」
「口笛が出来ないからといって、台詞にするんじゃない。今すぐ会社に送り返してやってもいいんだぞ」

 柳生があの女編集長を思い浮かべて指摘してやると、岡村は途端に情けない表情をして「そんなぁ」と言った。

「暑い中、精一杯急いで駆けつけた僕に水を一杯出して、いや出来れば冷房の効いた室内のソファで寛がせてもらいながらケーキを食べさせてくれて、その後少しだけでもテレビ番組を見る時間をくれたっていいじゃないですか」

 岡村という男は、根本的に遠慮や礼儀を知らない男だ。自分の欲望にここまで忠実な人間というも、逆に珍しい気はする。