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彼は現在、多くの人間に『柳生(やぎゅう)』と呼ばれていた。
それは本名でもあったし、筆名としても使用している名字でもあった。数少ない友人達は彼を『柳生』の呼び名で親しみ、出版関係者の多くは『柳生先生』と呼んだ。両者共に下の名前の『静(しずか)』は呼ばないし、そもそも友人達の中には、それを知らないか忘れている者もあった。
柳生静(やぎゅうしずか)――筆名を『柳生林山(やぎゅうりんざん)』とする彼は、小説家である。現在は雑誌のコラムやエッセイをいくつかと、選考委員の仕事を主にやっている。
他の雑誌や新聞社の執筆については不定期であったが、付き合いの長い例のW出版社だけが、連載という形でコラムや特集記事など執筆企画が続いていた。
その小説誌が誕生する過程から、すっかり有名になる現在までを間近で見てきたせいか、頼まれると断ることができなかった。ようやく作家として名を売り出した頃から通っていたこともあり、理由を見つけては足を運ぶ自分がいることも否定できない。
彼は現在、多くの人間に『柳生(やぎゅう)』と呼ばれていた。
それは本名でもあったし、筆名としても使用している名字でもあった。数少ない友人達は彼を『柳生』の呼び名で親しみ、出版関係者の多くは『柳生先生』と呼んだ。両者共に下の名前の『静(しずか)』は呼ばないし、そもそも友人達の中には、それを知らないか忘れている者もあった。
柳生静(やぎゅうしずか)――筆名を『柳生林山(やぎゅうりんざん)』とする彼は、小説家である。現在は雑誌のコラムやエッセイをいくつかと、選考委員の仕事を主にやっている。
他の雑誌や新聞社の執筆については不定期であったが、付き合いの長い例のW出版社だけが、連載という形でコラムや特集記事など執筆企画が続いていた。
その小説誌が誕生する過程から、すっかり有名になる現在までを間近で見てきたせいか、頼まれると断ることができなかった。ようやく作家として名を売り出した頃から通っていたこともあり、理由を見つけては足を運ぶ自分がいることも否定できない。