俺の名前を呼んでくれたのは、君くらいなものだった

 やりとりを聞いていたらしい曽部野編集長の「なんて電話の対応をしているのよ、あたしに代わんなさいッ」という声が受話器越しに聞こえた直後、連絡が遅くなってしまった事と、メインとなる取材先は山形県のT葡萄農園で、他の場所にも果樹生産の盛んな産地として話が聞けるよう話をしてある事を説明した。

 山形県にあるその地名には、聞き覚えがあった。記憶を辿るよりも早く、娘から届く手紙の住所に書かれていたと柳生は思い出した。そこは果物の栽培が盛んであるし、彼女からの便りの中で「葡萄」という単語を見た覚えもあった。


 取材当日、柳生はビジネスバッグに必要なものを入れて家を出た。待ち合わせの駅は家の近くにあったので、移動に困る事はなかった。


 岡村とは駅前で合流したのだが、彼はいつもの大きなボストンバックを抱えて柳生を待っていた。しかも、近づきがたい状況で待ち構えていたので、他人の振りをしたくなった。

 岡村は、早朝一番からアイスのソフトクリームを食べていた。早朝一番に駅を利用しなくてはならない会社員達が、なんだこいつは、という目でその存在を確認しつつ、関わり合いを避けるように足早に通り過ぎて行く。