「私も、まだまだ頑張らないとダメね。――ま、書きたくなったらいつでも言ってよ、先生」

 彼女は歩き出しながら、肩越しに彼を見やって寂しそうに笑った。

「できれば、どこよりも一番に声をかけてくれると嬉しいな」

 申し訳なさそうに口にして、彼女は困ったようにはにかんだ。彼の方も、どうしていいのか分からず、不器用で感情豊かには動いてはくれない己の表情を気にして、なんだか不味いものをつまんでしまったような顔をした。

 彼女が建物の中に入っていったのを見届け、彼は少し歩いた場所で立ち止まって、出版社のオフィスビルを見上げた。

 昔から長い付き合いがあり、初めて賞の選考委員をやった頃から現在に至るまで、もうすっかり身に馴染んだ場所でもあった。彼にとって様々な思考を必要としない、肌に合った古い友人のような暖かさに満ち溢れた出版社だ。

 最後にきちんとした小説を書いたのは、どのくらい前のことだったろうか。