俺の名前を呼んでくれたのは、君くらいなものだった

「君には以前にも紹介したとは思うけど、僕にとっては、やっぱり『砂漠の花』が一番なんだ」

 是非聞いてくれと言わんばかりに水崎が身を乗り出したタイミングで、柳生は話を聞くのをやめて席を立った。先輩につき合わせされることになったアルバイト君をそのままに、店主がレジへと移動する。

「美味しかったかい、お客さん?」

 煩くしてすまなかったね、と言って店主は申し訳なさそうに笑った。柳生は、自分が怒っていないと伝えるために、首を横に振って見せた。

「賑やかでいいと思う」
「それは有難いね。うちは元々そんなに客足がある場所でもないから、あまりアットホームな感じの空気を作っちまうと、ふらりと立ち寄った新規のお客さんが、いい顔をしないんだよ」

 味も良かった、また来るよと柳生が言うと、店主はまいどありがとうと答えて、気さくな笑顔と共にやや頭を下げた。
 水崎は後輩のアルバイト君に夢中になって話していて、柳生はカウンターに置かれた本や、青年達の間を行き来する作品名を耳にしないよう店を出た。

 何故ならあの青年が好きだと断言し、語り続けている『砂漠の花』は、受賞した柳生の作家としてのデビュー作だったからだった。