俺の名前を呼んでくれたのは、君くらいなものだった

 男は革の鞄を持ち、柳生と同じような赤色の帽子をかぶっていた。そこからは癖のない髪が少し覗いていて、太陽で焼けてしまったというよりは、その白い肌と同様に生まれつきそういう髪色なのだろうと思わされる、茶色混じりの黒だった。

「柳生先生ですか……?」

 男が名を尋ねてきた。
 文学誌に時折顔は出しているから、もしかしたら『柳生林山』の顔は知っているのかもしれないと推測しながら、柳生はややあって頷いて見せた。

「君が手紙をくれた『藤森(ふじもり)』か?」

 そう尋ね返すと、亡き妻の現在の夫――藤森(ふじもり)カナメが小さく頷いて、柳生の隣に腰を下ろした。

「このたびは、大変申し訳ございませんでした……」

 ベンチの脇に鞄を置いたところで、藤森が唐突に頭を深く下げてそう告げた。柳生は「もういい」と、彼の残りの謝罪の言葉を遮った。

「俺は怒ってはいない。一通目の手紙は、確かに妻が書いたものなのだろう。君は、やりとりした数通の手紙だけで、もう十分に謝っている。――不慮の事故なのだから、どうしようもない。運転手が俺であったとしても、未来は変えようがなかっただろう」