俺の名前を呼んでくれたのは、君くらいなものだった

 彼女は沸騰する鍋の具合を耳で計りながら、黙って私の話を聞いていました。私がすべて話し終えると「なんだ、そんなこと」と溜息混じりに言い、キッチンに戻るために立ち上がりました。

「あの人は幸せな家庭だとか、そういった経験も努力もしない人だったから。たぶん、もうそれ以上の想像力が続かなかったんでしょう」
「あれ? 君は先生を知っているのかい?」
「あら、言わなかったかしら」

 歩き出そうとしていた彼女は、肩越しに私を振り返ると、静かな眼差しを向けてこう答えました。

「その人、私の元夫なの。それだけのことよ」

 私は大きな驚きと共に、あんぐりと口を開けて、しばらく言葉が出てきませんでした。妻の姿が奥へと消えた時に、ようやくその事実を頭で理解することができて、どうしても話が聞きたくて慌ててキッチンまで追いかけました。

 その時の私は、まるでサンタクロースに会った母親に、尋ねる子供のようだったに違いありません。鍋の中を少しかき回していた彼女は、こちらを振り返ると、なんだか可笑しそうに、それでいて困ったように笑いました。