俺の名前を呼んでくれたのは、君くらいなものだった

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 見知らぬ送り主から、その手紙の返事が届いたのは、八月上旬のことだった。

 その間、最終選考に残った作品の読み込みと、随筆の仕事が立て続けにあり、柳生はそれまで手紙の件を思い出す暇がなかった。もう既に終わったことだと思っていたから、一週間ほどで古い記憶の一つになってしまっていたせいでもある。

 何かと忙しくて、考える余裕がなかったからでもあった。ヨーロッパに出向いていた苅谷が帰国した際には、海辺でバーベキューという運びになったし、別の出版社の雑誌で天体観察について執筆するための取材に出掛けたりと、ほとんど物想いに耽る時間もない日々が続いていたせいだろう。

 勿論、その間も毎度のように、岡村という存在が絡んでもいた。あいつ、本当は暇であるに違いない、と確信めいた苛立ちを覚えたほどである。

 ひどく忙しかったというのに、岡村は都合など関係なく毎日電話を寄越してきて、柳生の行く先々に現れ、ある時はケーキや珈琲を持って家を訪ねてきた。柳生は後少しのところで己の冷静さを見失い、彼の上司等に「あいつを忙しくさせてくれ」と直談判するところだった。